時代背景の殺人事件
ということで、新婚当初は、どこに行くのでも一緒だったような気がするということを思い出すのであった。
そして、子供ができると、
「今度は、子供に全神経を集中させることになる」
というのも、それは仕方のないことで、
「いつ子供が泣き出すか分からない」
ということ、そして、
「ミルクは真夜中でも、2時間に一度与える」
ということになっていて、それどころか、
「子供が泣き出せば、子供中心になり、いつ眠れるか分からない状態」
ということになると、旦那の面倒など見ていられない。
それを、最初の頃は旦那も分かってくれていたはずだが、いつも間には、今度は家に寄りつかなくなる。
その時は、会社のメンバーと、いつも飲み歩いているようだった。
確かに、
「こっちの気も知らずに」
というのもあるが、それ以上に、飲み歩いてくれている方が気が楽だということもあった。
というのも、
「家事や育児を助けてくれるのであれば、それに越したことはないが、まだまだその頃は、家事も育児も、旦那がすることではない」
という風潮があった。
意見としてはいわれるようになってはいたが、社会的には少数派だったのだ。
それを思えば、
「行政や政治は、まだまだ時代に追い付いていない」
ということで、奥さんが、言い出すと、
「明らかに喧嘩になってしまう」
ということになり、却って、厄介な問題を抱え込むということになり、
「余計なことは言わない方がいい」
と考えられるようになったのであった。
「だから、旦那が飲んでくるくらいはいい」
と思うようになっていた。
そのせいもあってか、
「家族での会話というのがなくなっていった」
ということもあり、そのうちに、母親の方が体調を崩してくると、父親が、
「さすがにまずい」
と思ったのか、家事や育児を少しだけ手伝うようになったのだ。
そのおかげで、奥さんは、頭が上がらないと思うようになり、谷口家では、
「父親の威厳」
というものが、復活したのだった。
それも、バブル前ということで、それが、兄のまだ小さかった頃のことであった。
両親の不倫は、そんなお互いに、自分が思う時代を、同じ時代なのに、すれ違った気持ちで過ごしてきたことで、今までになかったことではあったが、子供もそれなりに大きくなり、平和な家庭というものが生まれてきた時、生まれてきたのだった。
二人とも、それなりの年齢になっていた。
ただ、時代というのは、両親ともに、感覚がずれているのは否めなく、
「父親が殺された」
という時代は、実際には、バブルが崩壊し、お互いに共稼ぎを始めてから、かなり経ってのことであった。
次男の方が、すでに中学生になっていて、長男は、もうすぐ大学を卒業するという時代であり、
「この年になるまで、二人とも、よく不倫をせずに来れたものだ」
と考えられるが、逆に、
「ここまで不倫をしなかったのに、どうしていまさら、しかも、二人とも同じくらいの時期になって」
ということになるだろう。
ただ、実際には、最初に浮気した方を、相手が見て、
「だったら、私も」
ということになったのである。
しかし、父親が犯人だとすると、おかしな気もする。
どちらかだけが不倫をしているということであれば分かるのだが、どちらも不倫をしているのだとすれば、お互いに因果関係としては一致しているので、何も相手を殺す必要はない。
つまり、
「動機としては、薄い」
ということだ。
じゃあ、
「息子が?」
ということになるが、前述のように、次男には、鉄壁のアリバイがあるので、そもそも、捜査線上から消える。
となると、もう一人の息子である長男が考えられた。
他の捜査で、まったく進展が得られず、
「おおかた、外からの犯行ということはないだろう」
ということになった。
だから、長男のアリバイや動機が考えられた。
長男は、アリバイを申し立てようとはしなかった。警察から聞かれても、
「友達と出かけていた」
といって、友達の名前を出して、出かけていたところを話すのだが、実際に裏を取ってみると、
「二人を見かけた」
という人はいないのだった。
息子の表情は、まるで、
「苦虫をかみつぶしたかのような顔」
といってもいいだろう。
そんな様子を警察は、
「やつは何かを隠している」
ということになったのだ。
母親にも、次男にも、それとなく聞いてみたが、
「ずっと大学に通うために、一人暮らしをしているので、私たちには、よくわかりません」
という答えしか出てこなかった。
そこで、大学の友達に当たってみることにしたが、彼に対しての意見は、徹頭徹尾、決まっていたといってもいいだろう。
「彼は、とにかく一徹な男で、性格的には、分かりやすいやつで、しかも、勧善懲悪なところがあるので、人を殺すということは考えにくいですね」
というのであった。
「偏屈ということかな?」
と、刑事は少し鎌をかけてみたが、
「そういうわけでもないですね。生真面目ではあるけど、気難しいということはないですね。それだけに、イライラさせられるところはありますけどね」
というのであった。
「どういうことなんですか?」
と刑事が聞くと、
「偏屈というよりも、性格的に几帳面というか、神経質なところがあるんですよ。それこそ、自分の机に人が触れると、いちいちアルコール消毒をするという人でしたね」
というではないか。
それから、数十年経てば、
「そんな几帳面で神経質な性格が当たり前」
という時期が、一時期であるが訪れるということを、誰も予期していない時代だった。
ただ、またそこで顔をそむける素振りをする人がいて、
「どうしたんですか?」
というと、
「彼の場合、それが極端で、自分が許せることであれば、他の人が許せないと思うことでも平気で、戒律を破るというところがあるので、人からは嫌われていたのかも知れないですね。でも、僕は彼の気持ちはよく分かった気がするので、要するに彼は、誤解されやすい性格だということになるんですね」
というのであった。
そういう意味では、
「いかにも、谷口家の長男」
といってもいいくらいであろう。
そんな谷口家の長男のことを調べていた警察は、
「アリバイ」
というものを見つけようとして必死になっていた。
実は、これは別に本人が白状しようがしまいが、
「調べればわかる」
ということであった。
それなのに、なぜ彼が正直に言わなかったのかというと、
「性格的な面が禍いしている」
といってもいいだろう。
彼が行っていたのは、風俗だった。別に風俗に行くことは悪いわけではない。ちゃんとお金を払って、サービスを受けているわけで、特にソープランドというのは、風営法という法律があり、その法律に則って決められた、
「都道府県の条例」
に逆らっていなければ、
「ちゃんと市民権を得た商売」
ということで、
「これほど合法的なものはない」
といってもいいだろう。
彼は、それを自分から口にしてしまうと、
「自分の中の、潔癖な部分が汚されてしまう」
と考えるのではないだろうか?
かといって、