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時代背景の殺人事件

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 だから、そんな状態において、
「事件性のないものに、かかわっている暇がない」
 というのも、当たり前のことだった。
 実際に、人手不足の原因が、
「警察官になりたいと思う人が少ない」
 ということなのか。
「それだけ警察官が嫌われている」
 ということなのか、ハッキリとは分からない。
 しかし、全体的に、いろいろな職業で、
「人手不足問題」
 が多いというのは、その中に、
「過剰サービス」
 というものが多すぎて、手が回らないということも多いのだろう。
 ただ。それが、本当に過剰サービスなのかというのは難しい。
 一度、サービスを始めてしまうと、前の状態に戻すことが難しいところもあるだろう。
「やめてしまうと、明らかに売り上げ減につながる」
 ということがハッキリしているところは、そのサービスをやめるわけにはいかない。
 そうなってしまうと、利益と損益を微妙に計算しないとやっていけないということであり、それでも、損益が利益を上回る場合は、少しでも、損益を減らす方向に考えると、
「経費節減」
 の観点から、サービスをやめないと、人手不足の問題を解消できないということで、世間は、
「暮らしにくい世の中になる」
 ということである。
 ただ、時代というのは難しいもので、
「バブル期に向かう、右肩上がりの時代であっても、警察のようなところは、決まったことだけしかしない」
 という、公務員気質だったのだ。
 バブルが崩壊した後であれば、
「公務員なら、安定している」
 といわれるようになったが、バブル期以前であれば、
「給料も安く、出世もなかなか難しい」
 といわれる時代があった。
 何しろ、バブル期になれば、
「事業を拡大して、仕事をすればするほど、出世も、給料も高くなる」
 ということである。
 天井は見えず、無限に可能性が広がっているようで、誰もが、
「夢を見ることができる時代だった」
 といってもいいだろう。
「土地を転がすだけで、金が儲かる」
 ということで、資金さえあれば、どんどん増やすことができる時代だったのだ。
 それが一気に、崩れてしまい、
「誰もがいつ、リストラされるか分からない」
 という時代になった。
 リストラされなくても、給料は一気に下がり、ボーナス支給もない。
 買い物を分割払いでしていた人は、それもできなくなり、結果手放さなければいけなくなるということも多かっただろう。
 車を買ったり、中には、
「家やマンションを買った」
 などという人もいるだろう。
 リストラされてしまうと、支払も滞り、かといって、売りに出しても買い手はいない。果たしてどうなるのだろう?
 そんな時代に殺された父は、本当に空き巣に殺されたのだろうか?
 警察も最初は、
「空き巣の可能性もある」
 と考えていたが、途中から、その可能性が低いということを感じ始めていた。
 確かに、時代としては、
「空き巣が蔓延る時代」
 ということであったが、実際に、
「この近くで空き巣の被害はほとんどない」
 ということ、
「ほとんどが一軒家であり、マンションなどの集合住宅では、あまり考えられない」
 ということ、
「いつ近所に見られるか分からない」
 という危険性があるからだ。
 一軒家でも、その可能性がないとは限らないが、物音の問題や、隠し場所のパターンを考えた時、一軒家が多いというのもうなずけると、警察は考えていた。
 しかも、
「争った跡もないのに、部屋だけがまるで、空き巣が入ったかのように荒らされていた。しかも、通帳などが入っていた場所だけが荒らされていて、隠し場所を、あらかじめ知っておかなければいけない状態だった」
 ということから、
「強盗にやられた」
 という、カモフラージュのようなものだと思えたのだ。
 しかも争った跡がないということで、
「顔見知りの犯行」
 というのが、最初に思いつく、犯人は、いきなり正面からナイフで突き立てたのであろう。悲鳴すら上げる暇がなかったのかも知れない。
 そこで、
「犯人は、顔見知りだ」
 ということを考えた時、家で殺されていたわけだが、そうなると、
「犯人は、家族に限られる」
 ということになる。
 もちろん、強盗などの犯行ということも可能性としてまったくなくなったわけではないが、実際に、目撃者捜しをしていても、空き巣や強盗らしき人を見かけたという人は誰もいない。
 そもそも、何か怪しい人を見かけたとするならば、
「その時に、警察に連絡するというものですよ」
 という人も多かった。
 だが、実際に、そういう人を見かけたとして、本当に通報するというものだろうか?
 警察に通報して、それが間違いだったということが分かると、気まずいことになってしまい、まるで自分が、
「オオカミ少年」
 になってしまったのではないかと思えるであろう。
 実際に警察に通報して、間違いだったとすれば、警察は、
「あの人の証言は、前は間違いだった」
 ということで、その履歴が残ってしまえば、次に証言したとして、それが、
「五分五分の状態」
 だったとすれば、警察は、無視するかも知れない。
 通報した方が、
「善良な市民の通報」
 というつもりでいても、結局、警察に信用もされないということが分かれば、
「誰が警察に協力などするものか」
 ということになるのだ。
 警察としても、
「いくら善良な市民の通報」
 といっても、ガセネタを食らわされてしまったと思えば、
「無駄足を踏まされる」
 ということになると、さすがにショックも大きいだろう。
 ここで、市民と警察との間に亀裂が入る。
「せっかく通報したのに、市民の通報を無視された」
 と市民は思うだろう。
 そうなると、
「どうせ警察にいっても、何もしてくれない」
 ということになる。
 警察の方も、
「そんなに俺たちは暇じゃない」
 ということになり、
「平和や治安を守るのがいくら警察の仕事だとはいえ、市民のガセネタに振り回されていたのでは、らちが明かない」
 ということになってしまうだろう。
 それでも、まだ昭和の時代は、
「警察の捜査は、足で稼ぐ」
 といわれていて、
「靴の消耗が、警察官の勲章」
 とまで言われていた時代だった。
 この時の警察は、やはり、
「家族の中に犯人がいるのではないか?」
 ということで、徹底的に家族のアリバイ調べから行った。
 実際に、アリバイがハッキリしていたのは、中学生の康人だけだった。
 鑑識の調べでは、死亡推定時刻は、夜の7時から8時の間ということであった。
 彼は、学校から帰って、午後6時から8時までの学習塾に通っていた。
 その日は、塾の日で、実際に、遅刻することもなく、8時まで教室いたことが確認された。
 しかも、その後、友達と一緒に、行きつけの店で、ラーメンを食べて帰ったということも、友達や、店の人の証言で間違いない。
 つまりは、9時前までのアリバイは完璧だったわけだ。
 しかも、そこから家まで、どんなに急いでも、
「30分は掛かる」
 という。
 これほどのアリバイはない。
 しかも、死体発見時間の8時に、絶対に間に合うわけはないということだ。
 次の容疑者は、母親である。
作品名:時代背景の殺人事件 作家名:森本晃次