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二重人格国家

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「ああ、やはり、共産主義は限界なんだ」
 ということで、
「資本主義の勝利」
 というものを、
「経済界の自由競争」
 ということで、国営ということは、
「国家がその事業を独占していたものを、民間で競わせる」
 という自由経済が芽生えてきた。
 ただ、鉄道に関しては、私鉄というのが昔からあって、
 ということがあるが、実は、元々、
「国鉄というのが、鉄道の走りではなく、元々は、私鉄だったものを、国が買い上げ、国有とした」
 ということだったので、国鉄のほかに私鉄も存在していたという、他の産業とは違った流れだった。
 だが、国鉄は、国有ということで、
「営利二の次」
 ということを他の国営と同じ発想で行ったことが、
「血を垂れ流しているかのような、慢性的な赤字体質」
 というものが、消えないのであった。
 そんな体質が、
「昭和という時代が終わるとともに、民間に押し付けないとやっていけない」
 という状態から、
「国鉄を中心とした国有を、民営化させる」
 ということに繋がったのだ。
 だから、
「JRというのは、国鉄から、赤字ごと継承したことになり、ある意味、大きな負からの出発ということになり、営利を特に追求しないといけない」
 ということんいなり、
「サービスよりも、利益」
 という体質になったのだろう。
 しかし、長年育まれた、
「親方日の丸体質」
 というのが消えるわけもなく。
「サービスどころか、民間の客に対しての、横柄な態度は、民営化されて、40年近く経とうとしている現在でも、変わっていない」
 といってもいいだろう。
 特に、
「人身事故をはじめとした、遅延などの対応に対しては、実に上から目線であり」
 特に人身事故などに関しては。
「ほとんどが自殺」
 ということもあり、
「人が飛び込んだのだから、しょうがない」
 といって、笑っている有様だった。
 普通の民間企業であれば、そんな態度を取った社員がいたということになると、
「懲戒解雇」
 レベルのものではないだろうか、
 もちろん、民間人と喧嘩になり、相手をケガさせるなどという刑事事件を起こした場合などであろうが、大げさではなく、
「会社の信用を著しく失墜させた」
 ということと、
「警察沙汰になった」
 ということが重なれば、十分に、懲戒問題に発展しないとは限らないのだ。
 それを、昔の国鉄気質ということでやっているので、当然住民とのトラブルは絶えないだろう。
 だが、住民も、怒りを持つのは持つが、冷静になると、
「しょせんは、元国鉄」
 ということで、溜飲が下がってくるというものだ。
 だから、鉄道会社も、
「反省すらしない」
 ということになる。
「客がわがままだ」
 とまで思っているかどうかは分からないが、
「自分たちが悪いわけではない」
 ということを考えるのだ。
 確かに、自殺まで防ぐことは難しいだろう。
 しかし、防犯カメラを増やしたり、駅構内に、警備員を増やすなどという、
「最低限の努力」
 すら、しようとしないのは、それこそ、本当に、
「親た日の丸根性が抜けていない」
 といってもいいだろう。
 そんな会社なので、
「新幹線を通すかわりに、在来線を廃線にする」
 というのは、当たり前としか思っていないのだ。
 地域住民とすれば、
「せっかく金を掛けて、町おこしを行ったのに、新幹線のせいで、水の泡になってしまった」
 と考えると、
「市県民税を新幹線のために取らせる」
 というくらいに、これでもかとばかりに締め付けるというのは、
「完全な搾取ではないか」
 ということになる。
 もちろん、在来線は廃線とはなるが、それがないと
「住民生活が立ち行かない」
 ということで、地域が買い取り、運営するという、
「第三セクター方式」
 というものが取られ、
「何とか、在来線を保つことができる」
 というもので、これも、JR、いや、その前の国鉄時代からのツケというものを、地域住民が結局背負わされるということになるのだ。
 そもそも、国鉄時代の借金も、税金が使われるわけで、それだって、元々国民の、
「血税」
 というものだ。
 地域住民とすれば、
「ダブルで税金を払っているようなものだ」
 ということで、国家や自治体に対しての不満は最高潮になっていることであろう。
 そこへもってきて、駅の再開発によって、
「商店街が、市の街のようになってくる」
 ということが現実味を帯びてくると、
「果たして、自分たちは、どこを見ていけばいいんだ?」
 と、途方に暮れることになるのであろう。

                 体育館の死体

 そんなK市を取り巻く事情であったが、事件が起こったのは、
「今も昔も、街のシンボル」
 といってもいいくらいの、K大学内のっことであった。
 K大学というのは、大学としては、それほど大きなところではなかった。私立大学としても、さほど学生数が多いわけでもないし、学部もそこまで多くない。
 もちろん、
「総合大学」
 という意味においてのことであるが、学部すうも、4つしかなく、理数系の学部は、
「理学部」
 というのがあるだけで、その中に、科が細かく分かれているだけであった。
 だから、
「医学部:
 などもないので、大学としては、
「文系大学」
 という印象が強かったりする。
 必然的に、卒業生に、
「文筆家」
 であったり、
「芸術家」
 などが多いというのも、当然のことであった。
 また、部活にも力を入れているのか、特定のスポーツでは、結構全国大会で優勝候補になるものもある。
 テニス、ゴルフなどは結構強いようで、プロスポーツとして、脚光を浴びるには、少し寂しいところもあるが、それでも、有名人として、バラエティなどで顔を見る人の中には、この、
「K大学出身者」
 というのが多いというのも、ウソではなかった。
 だから、
「高校時代に、インターハイで全国優勝」
 という輝かしい実績を持って、
「スポーツ推薦」
 という形で入部してくるという人も少なくはないだろう。
 そんな部員が多いことで、大学のキャンパスは、それほど広くはないが、近くの土地を買い取って、
「部活用」
 ということで、練習場などに使っているところも、K市には多かった。
 もちろん、部活というと、
「テニスやゴルフ」
 だけではない。
 もっと、他の部活もあるわけで、決して他の部がそんなに劣るというわけではない、
 そもそも、全国的に有名な部というと、どこの大学でも、優先的なのは当たり前であるが、どうしても、それ以外の部というと、色褪せて見えてきて、その処遇も、
「明らかに違っている」
 ということになるだろう。
 しかし、K大学に関しては、
「体育会系の部活」
 には、少々の成績であっても、脚光を浴びさせていて、その体制が、大学の校風ということをアピールしているので、
「K大学を目指す」
 という高校生も多いようだ。
 さすがに、スポーツ推薦から漏れてしまった学生も少なくはないが、それでも、
「文武両道」
 ということで、まわりの評価は、悪くはないだろう。
「それでこそ、大学生というものだ」
作品名:二重人格国家 作家名:森本晃次