二重人格国家
というほと、大学生の街だったのだ。
だが、住宅街に関しては、かつて、腐乱死体が見つかったあの頃から比べれば、若干人の数が増えたのは否めないが、ただ、それは、
「街の再開発」
という意味では、当初の計画からは程遠い状態だった。
「これは、計画を間違えた」
と思わせるほどだったが、ここ15年くらいの間に、人が増えてきたのだった。
先にできていた大型商業施設も、おかげでにぎわうようになっていて、住宅地からのバイト希望者も多いことから、商業施設も、活性化できていたのだ。
以前は、
「休日の賑わいは、結構なものだが、平日は客もまばらで、その差の激しさは、ハンパではなかった」
というほどだったのに、やはり近所の住民が増えれば、平日も、時間帯によっては、駐車場がかなり車で埋まっていて、近くの道路が一時的に渋滞を起こすというほどになっているくらいであった。
「駅前の再開発」
という計画もあった。
アーケードの商店街」
というのも、ある程度の老朽化が進んでいた。
このあたりは、結構古い町並みであり、アーケードも、戦後の闇市が発展したものであり、昔の趣を残した雰囲気であることから、
「昭和レトロを思わせる」
ということで、大学生にも、
「憩いの場」
ということを感じさせていた。
しかも、駅前の商店街から少しそれた、いわゆる、
「大学通り」
といわれる横丁には、クラシック喫茶であったり、今でも、昔ながらの、
「昭和の純喫茶」
というものを思わせる佇まいとなっていたのだ。
それが、
「K駅の駅前」
ということで、他の駅前とは、
「一線を画している」
といってもいいような街並みだったのだ。
そんな街の雰囲気を分かっているのかいないのか、鉄道会社は、他の街の駅のような、いわゆる、
「似たり寄ったり」
といってもいい、
「まったく個性がない駅舎」
に作り変えたのだ。
あまり来たことのない人は、
「あれ? 自分の降りる駅だったっけ?」
ということで、どこの駅も同じ雰囲気になっている光景を、まるで、
「どこを切っても」
という雰囲気の、
「金太郎飴のようではないか」
と感じているのであった。
そんな、金太郎飴のような駅のその向こうに、ずっと建設中の線路があった。
そこは、新幹線の建設予定地であり、ちょうど駅舎が新しくなってからすぐくらいの時に、新幹線が開業したのである。
もちろん、快速が止まるとはいえ、新幹線が止まるほどの駅ではない。それこそ、大きな商業施設が立ち並ぶような都会でないと、新幹線の駅を作る意味はないということであるが、最近の新幹線の駅の特徴としては、
「住宅地でもありなのではないか?」
ということであった。
新幹線が開業すれば、在来線を通っていた特急は、
「廃止になるか?」
あるいは、
「本数がかなり減って、通勤時間か、最終に近いくらいの時間に数本走らせる」
というくらいに限定されるのである。
だから、付近の住民は、危機感を持っているのだ。
というのも、
「新幹線は、騒音と、高速で走るため、最短距離の直線を必要とする。そのため、トンネルも多く。開発費用もハンパではない」
というのだ。
政府が請け負う金額も大きいが、新幹線により、
「潤うであろう」
といわれる自治体にも、その費用を課すということで、当然、
「市県民税」
というものは、新幹線が通っている地域には、かなりの負担を強いることになり、
「果たしてそれで、住民が納得するのだろうか?」
ということになる。
実際に、今まで新幹線が通ってきた地域のことを考えると、
「今までの在来線の特急が止まる」
ということで、街を再開発させ、町おこしということに躍起になっていた矢先、新幹線の計画を聞いて、街の住民は、愕然とした。
というのは、
「新幹線を通すから、特急は廃止」
ということになったのだ。
というのも、
「新幹線は、山間にトンネルを掘って走らせる」
ということになったので、
「今までの在来線は、遠回りをしていたのは、きれいな海岸線を通る」
ということで、国鉄からJRになった時、
「その立地を使わない手はない」
ということで、海岸線をアピールし、特急車両や、営業車両は、
「オーシャンビュー」
ということで、できるだけ、窓を大きく取るという列車が人気だったのだ。
そのおかげで、観光客の足も好調に伸びてきて、街の賑わいもそれなりにあったのだった。
観光地は、いろいろなイベントを開催してきて、イベント期間は、
「全国から集まってくる」
というほどで、
「町おこしに成功した街」
ということで、全国から取材も多かったりした。
しかし、それも、
「新幹線の開通」
ということになった時、悲惨な状態が巻き起こることになったのだ。
新幹線が開通することで、
「新幹線に客を取られ、こちらには、客がまばらになるのでは?」
と思われたが、そんな生易しいことではなかった。
「特急電車の廃止」
ということに、さすがの住民は切れてしまっていた。
「今まで、鉄道会社ともタイアップすることで、お互いに潤ってきたはずなのに、新幹線を通すということで、今までの協力関係を切って、こちらを見捨てるということになるのか?」
というと、
「そうです」
と、さすがに鉄道会社も、
「利益にならない」
あるいは、
「この路線を残して、新幹線に金がかかっているにも関わらず、採算がとれるのか?」
ということを考えると、鉄道会社とすれば、
「住民が何といおうとも、こっちもシビアに行くしかない」
という態度に出るのであった。
だから、完全に、
「それまで、二人三脚だったものを見限ることで、完全に見捨てられた町は、惨めなものだった」
ということになる。
しかも、
「特急も通らない在来線は、一気に赤字路線」
ということで、当時の鉄道会社は、
「赤字路線の排除」
ということを、全国規模で行っていて、
「廃線候補」
ということになったのだ。
昔は、特急電車が通っていて、
「○○本線」
ということで、少なくとも、地方の幹線路線だということで、まさか、
「廃線候補」
に上がるなど、考えられなかった、
しかし、元々、
「赤字をずっと放置してきた」
という
「国が経営していた鉄道会社を、民間会社として、指導させたのは、赤字を少しでも、甲斐性させるため」
ということが表向きで、本当は、
「国の借金もどんどん膨れ上がってきているので、国の赤字を放り投げる」
という目的での、
「国有企業の民営化」
というものだった。
鉄道だけでなく、電信電話事業であったり、郵政省関係まで、
「完全に、国の責任を、国民に丸投げした形になった」
ということである。
ただ、その事情というのは、
「共産主義」
というものが、当時は、
「社会悪」
として見られていたことで、
「国営が多いというのは、共産主義に近づく危険のあるものだ」
ということで、国民も、そのあたりは理解しているつもりだっただろう。
しかも、
「ソ連の崩壊」
などということで、世界最大の社会主義連邦が崩壊すると、