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二重人格国家

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「たまに校庭で朝礼をすれば、生徒がバタバタと倒れていった」
 というのが当たり前のようになると、
「今の世の中が、どんどんひどい自然環境になってきた」
 ということを分かっているくせに、なぜ、それを受け入れて、
「昔と今は違う」
 ということにならないのか?
「いやいや、分かっていることだ」
 という人もいるだろう。
 しかし、だったら、昔の迷信のような、
「水を飲むな」
 といわれたことも、
「あの時代だったら、よかっただけのことだ」
 と考えないのだろう。
「いや、考えている」
 という人もいるかも知れないが、
「迷信を信じされていた」
 ということで、
「迷信」
 という言葉を使う時点で、そもそも考え方が間違っているといえるのではないだろうか?
 要するに、それだけ、社会常識であったり、考え方がついてこれないという人が多いと思われるほどに、その進展は、ものすごく早いということであろう。
 それを思うと、
「もう、逃げられないくらいの、待ったなしの状態になった」
 ということで、
「果たして、今の時代の、戦争すらなくならないこの時代に、地球環境の破壊を止めることなどできるのであろうか?」
 というものである。
 確かに、世界で首脳が集まって、
「自然環境をどげんかせないかん」
 ということで、対策を打とうとしているが、その片方で、
「自分たちの勝手な都合で、戦争を引き起こしているところがある」
 しかも、それを日本や他の国は、
「秩序のため」
 ということなのか知らないが、片方の国に鐘や武器弾薬を供与し、片方に味方して、
「戦争継続を形として促しているではないか」
 といえるだろう。
「戦争自体が、自然環境の破壊だ」
 ということで、その元凶であるということに、どうして気づこうとしないのだろうか?
 それが、不思議で仕方がないのだ。
 この暑さの中において、会社から帰ってくるのに、駅から降りて、近くの住宅街まで、バスを使って帰っていた。
 その住宅街は、今から数十年前に、
「腐乱死体が見つかった」
 ということで、その時は、
「不可思議な事件」
 ということで噂になり。その時代においては、まだまだ科学捜査も行き届いていなかったが、その当時、事件を解決に導いた、当時は若手だった
「下瀬刑事」
 というのが、今では警部補となり、
「副本部長」
 とまで言われるようになっていた。
 それは、
「捜査本部」
 におけるものであり、もうすぐ警部に昇進という話もあった。
 だが、彼はどちらかというと、昇進には興味がなかった。
 若い頃は血気に走った時期があり、彼の教育係でもあった八木刑事という人が、結構なだめることもあったくらいだが、それ以上に、冷静で頭がいいところをいかんなく発揮して、事件解決に、彼の発想が大きく影響したのは間違いなかった。
 昭和の頃は。
「まだ、足で稼ぐ」
 という時代だったので、
「頭を使った捜査というものは、まだまだの時代だった」
 しかし、彼が、主任と呼ばれ、第一線では、中堅からベテランになってくると、
「やっと時代が追いついてきた」
 というべきか、科学捜査の発展もあることで、
「本当に、コンピュータの発達とともに、紙の時代から、データの時代ということになってきたのであった」
 それを思うと、下瀬刑事は、
「時代の寵児」
 といってもいいかも知れない。
 それでも、もし彼が、もっと昇進に貪欲であったら、頭の良さも手伝ったはずで、しかも、勉強熱心で、勉強に関しては要領もよく、
「とらえどころは捉えるので、テストも、受ければ、必ず合格していた」
 といわれる、一種の、
「秀才肌」
 といってもいいだろう。
 しかも、その秀才の中には、
「天才肌」
 というのが含まれていて、それこそ、
「天は二物を与えず」
 といわれるが、下瀬に関してはそんなことはなかったようだ。
 それでも、今では、
「警部補」
 たたき上げとしては、まわりから見れば、出世は早い方で、それだけ、
「控えめ」
 というか、
「生粋の刑事魂」
 というものを持っているといってもいいだろう。
 トレンディドラマの時代に、刑事ものの中で、
「警察の縦割り社会:
 というものに不満を持っている刑事が、
「警察は個人の力では何もできないのか?」
 ということを愚痴った時、その上司が、
「やりたいことをしたいなら、昇進して自分が上の立場に行くしかない」
 ということで、昇進に力を入れているという人だったのだ。
 そのセリフが印象に残っていて。下瀬刑事という人は、
「そういうところを理想として、刑事生活を送っている」
 というように見えたのだ。
 その時代あたりから、警察の体質も変わってきたのかも知れない。
 今は、捜査本部ができると、
「本部長が、八木警部、副本部長が、下瀬警部補」
 というのが、最近の流れになっていて、特に所轄の、K警察署では、最近事件も増えてきて、捜査本部ができることも少なくなかった。
 それは、このK市というところが、最近になって、住宅地への人の流れが多くなってきた。
 今までは都心部に住んでいた人たちが、こっちに流れてきたというイメージが強いからかも知れない。
 一つの理由としては、
「都心部の家賃が一気に上がってしまった」
 ということと、
「それに比べて、通勤圏内から少し離れたところに建設していた住宅街に人がこずに、結局、無駄になりかかっていたので、分譲の値がほとんど据え置きだということもあって、都心部から流れてくる人が増えた」
 ということがあったからだ。
 いまさらのドーナツ化現象であるが、
「時代は繰り返す」
 というが、まるで、今から半世紀くらい前の時代を思い起こさせるような気がするのであった。
 そんなK市には、昔から大学があり、駅前は、
「大学の街」
 ということで、それなりの賑わいはあった。
 住宅地がなくとも、大学の賑わいのおかげもあってか、それほど、人の流れは少なくはなかった。
 しかし、ここ15年くらい前から、街の雰囲気はガラッと変わってしまった。
 それは、商店街の人も、昔から駅前に住んでいる人たちも感じていることで、警察も、同じことが分かっているといってもいいだろう。
「何が、そんなに変わったのか?」
 と思うのだが、最初は、ハッキリと分からなかった。
 しかし、明らかに、
「以前に比べて寂しい」
 と感じるようになったのだ。
 それは、歩く人が減ったというわけではない。大学生が急に減るわけもないのだから、だとすると、
「雰囲気的に感じることだろう」
 と思うようになった。
 ただ、一つ事実としてあったのは、
「駅が、きれいになった」
 ということであった。
 それまでは、平屋に、歩道橋を渡って隣のホームに出るというような雰囲気の駅であった。
 そして、駅に行く階段の近くには、線路に隣接するように、コンビニであったり、パンやや喫茶店が並んでいて、そこから少し先あたりから、アーケードの商店街が広がっていたのである。
 駅は、快速電車が止まる駅だったので、それなりの乗降客もいた。それでも、以前は、
「快速が止まるのは、大学生のため」
作品名:二重人格国家 作家名:森本晃次