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二重人格国家

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 ということを法律で規定しておかないと、結果、実際に起こった時、判断がつかないということでの、
「違法性阻却の事由」
 ということができてくるのであった。
 基本的に、刑法では、その二つが、
「違法性阻却の事由」
 ということになるのであろうが、それぞれに特徴のようなものがあり、
「まったく同じ性質のものではない」
 といえるだろう。
「正当防衛」
 の場合は、客観的に見ると、その見方は、
「人によって、バラバラだ」
 といってもいいだろう。
「あの人は、あの場面では、ああするしか他になかった」
 という人もいれば、同じ場面を見ていたとしても、
「いや、何とか止めようと思えばできたはずで、殺すところまでは必要がない」
 という見方をしたとしても、その一点だけを取ってみても、
「すべてが同じことになる」
 といえるであろうか。
 というのも、
「見え方が違う」
 ということが言えるからではないだろうか。
 例えば、まず、
「見る角度によって、見え方が違う」
 というもので、例として適切かどうか分からないが、野球で、
「タイムリーヒットになるかならないか?」
 という場面において、
「外野からバックホームされたボールを受け取ったキャッチャーが、ホームに突っ込んでくるランナーをタッチに行った時、審判の見る角度によって、まったく違ったりするのではないだろうか?」
 今の時代であれば、
「審判によって下った判定に対して、異論があれば、リクエストという形で、2回だけ、「審判に、ビデオ判定を求めることができる」
 というものがある。
 この場合、
「リクエストが成功すれば、その1回は、リセットされる」
 というルールがあり、つまり、
「判定が覆れば、使わなかったことになる」
 ということである。
 または、日本の国技でもある、
「相撲」
 というものは、土俵のまわりに数人の審判員がいて、もし、微妙な判定があった時は、
「物言い」
 という形で、判定を一度保留にし、
「審判員が、ビデオで確認をして、最終的な判定を行う」
 という形になっているのである。
 これは、サッカーや他のスポーツにもある、
「ビデオ判定」
 というものである。
 なぜか、プロ野球だけは、
「リクエスト制」
 などという、面倒くさい裁定があるのか分からないが、それを考えると、
「プロ野球だけ、何か変だ」
 と思える。
 どうしても、最初の職業プロ集団が、野球だったということからなのかも知れないが、相撲だって、昔からの国技なので、本来なら、
「相撲の方が、もっと厳しいはずなのに」
 と考えてしまうのだった。
 どうしても、相撲界というと、
「他の世界からは見えない世界が蔓延っている」
 ということで、どうしても、
「その世界だけで完結しているものがある」
 といえなくもないだろう。
 つまりは、
「見る角度によって、ミスジャッジも仕方がない」
 ということになるのかも知れない。
 というのは、
「しょせんは、人間の判断だから」
 ということになるわけで、
「他の動物に比べて、一番の高等動物であるはずの人間であるが、生身ということからか、絶対的な信用というものはない」
 ということになるのであろう。
 これは、
「矛盾した考えの最たるもの」
 といってもいいかも知れない。
 いわゆる、
「ロボット工学」
 という問題であるが、
 ここには、
「フレーム問題というものが存在することで、ロボット開発が進まない」
 ということで、ずっと昔から、
「人工知能を持ったロボット開発」
 というものが考えられていたが、一向にできないではないか。
 人工知能という意味では、
「コンピュータの開発は、結構スムーズに進み、大型の電子頭脳と呼ばれるものも、今では存在している」
 といえるだろう。
 しかし。古くは、それこそ、
「江戸時代」
 といわれる昔から、
「ロボットというものに繋がる発想があった」
 といえるではないか。
 それは、
「からくり人形」
 といわれるもので、この開発にかけては、当時は世界的にも日本は長けていたといってもいいだろう。
 そういう意味では、
「ロボット開発の黎明期として、最先端を行っていた」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、
「そんな日本人にも、開発できないのがロボットというものだ」
 といえるだろう。
「ロボット開発とタイムマシンは、開発が無理ではないか?」
 といわれている。
 タイムマシンにおいては、
「タイムパラドックス」
 であったり、
「パラレルワールド」
 などといういろいろな発想が頭をよぎることで、開発は無理だということになるのだろう。
 しかし、これが、
「ロボット開発」
 ということになると、2つの大きな問題が存在するのである。
 一つが、
「ロボット工学三原則」
 と呼ばれるもので、これは、
「フランケンシュタイン症候群」
 というものからきている。
 これは、
「今から200年くらい前に書かれたゴシック小説」
 というもので、
「理想の人間を作ろうとして、怪物を作ってしまった」
 という話であった。
 つまり、
「開発においては何が起こるか分からない。だから、そのことを考えて、人工知能に、最初から、人間のために動く知能を入れ込んでおく必要がある」
 ということになるのだ。
 それが、3箇条によるもので、
「ロボットは人を傷つけてはいけない」
「ロボットは人間のいうことを聞かなければならない」
「ロボットは自分の身は自分で守らなければならない」
 という3原則である。
 そして、これらには、
「厳格な優先順位が存在する」
 ということであり、これが、最初から順の、絶対的な優先順位ということになるのであった。
 これを人工知能に組み込んでおけば、
「怪物になることはない」
 ということで、もちろん、
「機械の故障」
 というものを考慮には入れていない。
 ただ。この頭脳は絶対に必要なもので、
「人間が生きるのに、心臓が必要だ」
 というのと変わらないくらいのものであろう。
 これを考えたのは、実は、SF小説家であり、ちょうど60年くらい前に考えられたことであった。
 さらに、もう一つの、
「ロボット開発に不可欠なもの」
 というのが、前述の、
「フレーム問題」
 であった。
 これは、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
 ということからであった。
 人間は、この可能性に関して、
「意識することなく、乗り越えている」
 ということだ。
 例えば、
「家を出る時、靴を履く時など、どちらから履けばいいのか?」
 ということに直面した時、ロボットは、その時に起こりえる可能性だけではなく、あらゆる可能性を考えるのだ。
 人間の場合は、あらゆる可能性の中から、
「考えられる可能性」
 というものを、無意識のうちに、当たり前のようにして、
「どちらの足から」
 という、二者択一ということに狭めることができる。
 しかし、それはロボットにはできない。だとすれば、
「考えられる可能性をパターンに分けて、まるでフレームに当てはめるようにすれば、その判断が爆発的に早くなるだろう」
作品名:二重人格国家 作家名:森本晃次