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二重人格国家

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 というものがあるが、東京には、
「都警」
 というものがない。
 それが、
「警視庁」
 というものである。
 だから、警視総監というのは、いわゆる、
「県警本部長」
 と同じレベルということであるが、警視総監は、他の県警本部長よりも、少しランクが上なのだ。
 これは、
「県知事」
 と
「都知事」
 の違いのようなものであり、
「都知事というのは、他の県知事に比べれば、圧倒的な権力と、発言力がある」
 といわれていて、
「下手をすると、ソーリよりも、権力があるから、一度都知事になると、中央政界に出たくない」
 という人もいるだろう。
 ただ、
「都知事というのは叩かれる」
 というのも事実である。
 それでも、やめられないと思っているということは、本当にそれだけの権力を持っているからなのかも知れない。
 つまり、東京都知事ともなると、
「権力が最高にほしい」
 と思っている人には、麻薬なくらいに、魅力的に見えるのであろう。

                 不可解な殺人事件

 さっそくK署から、二人の刑事が、鑑識を伴ってやってきた。二人の刑事というのは、
「門倉刑事」
 と
「山本刑事」
 であった。
 門倉刑事は、父親も警察官で、今は、県警本部で管理官のような仕事をしていた。だから、捜査本部ができると、どうしても顔を合わせることになるのだが、父親が、
「公私混同は絶対にしない」
 と思っているので、声すらかけない。
 もっといえば、
「家に帰っても、捜査本部が開かれている間は、口も利かない」
 という徹底ぶりであった。
 門倉刑事としては、
「その方がありがたい」
 と思っている。
 というのも、門倉刑事は、どこか上からの視線には、神経を尖らせる方で、
「神経質というのが、過剰なくらい」
 と、直属の上司が思っているくらいで、それが、
「父親の威圧だ」
 とは思っているが、
「その度合いがどれくらいのものになるのか?」
 というところまでは、なかなかわかるものではないだろう。
 それを考える本人は、
「どうして、俺は警察官になろうなんて思ったんだろう?」
 ということであった。
 そもそも、子供の頃は、
「父親が警察官だ」
 ということは、あまり好きではなかった。
 親から何かを言われても、逆らうくらいの気持ちが強かったのだ。
 警察官というものが、
「なんぼのもんじゃい」
 であったり、
「そんなに偉いのか?」
 という反発心が大きかったのだ。
 だが、警察官になったのは、自分でも分からないが、一つ言えることは、
「勧善懲悪」
 という感覚が強いからだといえるのではないだろか?
 そのことに気づいたのは、
「世界的なパンデミック」
 というものがあった時の、
「自粛警察」
 などという言葉があった時だった。
 これは、痴漢犯罪などのように、現行犯逮捕をできる環境にいて、満員電車などで、一人の女性が嫌がっている素振りを見て、そこにいた男性を、痴漢ということで、仕立て上げるということに似ている。
 実際に、そんな場面を、警官だった時代から見てきているが、何やら、違和感がいつもあったのだ。
 勧善懲悪ということであれば、そういう男を、
「正義感に溢れた人物」
 ということで、本来なら、
「えらい」
 と思うべきなのだろうが、しっくりと来ないのだ。
 というのも、
「自分が正義だ」
 ということをまわりに宣伝したいがために、その場を利用していると感じるからだ。
 実際に、そこで捕まった男性の中には、実際に、
「冤罪だ」
 ということもあったのだ。
 犯人は他にいて、そいつが捕まった時に、彼の冤罪が晴れた場合があったということである。
 しかし、こういうことは、満員電車だということもあって、まわりで誰が見ているか分からない。
「ひょっとすると会社の人が見ていて、彼は痴漢をしたんだということを会社で噂になり、そうなってしまうと、いくら冤罪だと分かってしまっても、もう取り返しがつかない事態となる」
 ということであった。
 一度レッテルを貼られると、
「冤罪だ」
 と分かって、
「大変だったね」
 と口では言ってもらえるかも知れないが、
「疑われるだけのことをしたんだ」
 ということになり、結局、会社を首になり、まわりからの評価は、
「痴漢をしたから首になった」
 ということで落ち着いてしまう。
 だから、冤罪というのは恐ろしいのである。
 それと同じで、自粛警察というのは、
「自分たちの信念」
 でしか動かない。
 しかも、集団でしか動かないので、彼らには、責任感というものがまるでない。
 つまり、
「まわりが悪だと思っていることを、自分から攻撃するのだから、自分たちが悪いわけはない」
 という感覚である。
 だから、その行為はエスカレートしていき、その限界を知らないということになるのだ。
 それを考えると、
「現行犯で捕まえる方も、自粛警察というのは、必要悪の逆なんだ」
 ということになるだろう。
 必要悪というのは、
「表向きには悪であるが、世の中に必要なものなので、ある意味、善に近いものなのかも知れない」
 ともいえるものである。
 しかし、こちらの場合は、
「表向きは善に見えるが、やっていることは悪なのだ」
 ということで、これは、正真正銘の悪ということになる。
 だから、悪ということの定義があいまいであり、少なくとも、
「世の中には必要のないものであり、必要がないということで、それだけで、悪だという認識になるのではないか?」
 ということなのだろう。
 例えば、経済学の定義の中にある言葉として、
「利益を出せなければ、会社としては、悪なのだ」
 という言葉がある。
 つまり、
「会社というのは、利益を出すことが企業理念だ」
 ということである。
 これは当たり前のことであり、
「利益を出せないと、会社として生き残ることができず、その穴埋めをまわりにさせることになる」
 ということになり、さらには、
「働いている社員に、給料も出せない」
 ということになるのだ。
 これは、
「警察が、市民の生命と財産を守る」
 という理念と同じだということになる。
「当たり前のことを当たり前にする」
 というのが、本当はどれだけ難しいのかということになるのであろう。
 だから、門倉刑事は、
「父親に対して反発心というものがあるにも関わらず、自分は自分で、警察官を全うする」
 と思っているのであった。
 山本刑事の方は、まわりに警察官がいるわけではなく、ただ、彼も、
「どうして、警察官になんかなったんだろうか?」
 と思っていた。
 そもそも、最近の刑事ドラマを見ていると、あまり、警察官としての仕事にあまりいい気分はしておらず、絶えず、
「警察なんて辞めてやる」
 と心の底で思っていたのだ。
 だが、この感覚は、いまさらだといってもいいのではないだろうか?
 というのも、
「サラリーマンだって、似たようなことを考えているだろうからな」
 ということであった。
 ブラック企業などであれば、理不尽な上司の下で、嫌な思いをしながら仕事をしていることになるので、警察だって変わりない」
 と思っていた。
作品名:二重人格国家 作家名:森本晃次