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静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑪信州・富山の旅

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■9/24(2日目):長野県木曽 ⇒ 長野県北安曇野郡池田町(道の駅「池田」)


【走ったルート】 道の駅「日義木曽駒高原」から少し南下して、木曽福島の「崖屋造り(がけやづくり)」を見上げ、元宿場町の「古い町並み」を散策。更に南下して、R19から山深く入った先の「赤沢森林鉄道」に乗車、「鉄道記念館」で当時のことを学んだ。思いの外、かなりの時間を費やしてしまい、塩尻から松本の間で夕方の渋滞に巻き込まれ、安曇野市の北の道の駅「池田」で車中泊。【走行距離:129km】

【忘れられない出来事】 「赤沢森林鉄道」に乗車し、「鉄道記念館」を見学したこと。軽便鉄道好きの私にとっては、至福の時間を過ごすことができた。

【旅の内容】 昨夜はちょっと涼しかったが、Tシャツと半ズボンという昼間の姿のままで、薄手のタオルケットを腹に掛けて就寝した。それで十分だと思っていたが、寝付く前に寒さを感じて、もう1枚、タオルケットを羽織った。
 4時頃にトイレに行きたくなりで目が覚めた。エントランスから外に出ると、かなり涼しい。いや寒い。ジルに戻ってからは、念のために準備していた薄手の布団を掛けて寝て、6時過ぎに起床した。

 ダイネットの空気の入れ替えのために窓を開けて、外に出た。涼しくて気持ちの良い朝だ。
 木曽駒高原あたりが朝霧に包まれていて、木曽駒ヶ岳の山容は明瞭には見えなかったが、朝霧の奥には太陽が透けて見える。今日も晴れそうだ。

 この紀行文の執筆中に、木曽駒高原の衛星写真を見たところ、高原の中央にはゴルフ場があり、そこから高い場所には別荘地らしいエリアが広がっていた。
 キャンピングカーは「走る別荘」のようなものだと思っているが、本物の「別荘ライフ」を知らないため、この「走る別荘」の表現は一方的な言い分だろう。
 これからも続くセカンドライフの中で、別荘を持つことはないと思うが、機会があれば、「別荘ライフ」を楽しんでみたいものだ。

 これまでの「キャンピングカーの旅」では、旅のテーマなるものをあまり決めたことはなかったが、今回の旅では、色々な旅の風景を見ながら、色々なシチュエーションの中で、別荘とキャンピングカーの違いを整理することにした。
 とは言っても、知っているキャンピングカーライフと想像する別荘ライフの違いのため、整理した内容の半分は推測になってしまいそうだ。

 道の駅の駐車場を見渡すと、私の「ジル」以外にはキャブコンはなかったが、車中泊したバンコンや他のクルマの人たちが朝を迎えている。
 その中に、昨日、声を掛けるチャンスのなかった女性が、軽バンのリアハッチを開けて、何やらやっているので声を掛けた。
 ナンバープレートどおり、沖縄からやって来ていて、もう2ヶ月も旅を続けているという。車内はDIYで軽キャンパーの様だった。山に登ったり、資料館に入ったりで、充実した旅を送っているようで、私の全く知らない旅を経験している旅の大先輩のような気がした。
 旅での困ったことを尋ねたら、あまり走らないので、サブバッテリーが充電しないとのこと。ドラレコが電気を食っているのだろうと言っていた。
 訊くのを忘れたが、旅の資金はどうしているのだろうか? ひょっとしたら、軽バンの旅をドラレコのデータを使って配信しているユーチューバーだったかも。そういえば、彼女は昨日、ずっとスマホを触っていたので、ホントにそうかもしれない。

 朝食は、このところ定番になってきたホットサンドで、しょうゆ味の玉子焼きに、ハムやウインナーを挟んで、バナナも食べながら、淹れたコーヒーを飲んだ。自宅の朝食よりリッチな内容は、旅の朝に相応しい内容かもしれない。

 朝食後、道の駅を出発する際に、先ほど会話した沖縄の女性に、お互いに安全に気を付けましょうねと声を掛けて、木曽福島に向かった。

 実は、道の駅で入手したパンフレットを就寝前に眺めていると、木曽福島の「崖家造り」と赤沢自然休養林の「赤沢森林鉄道」を訪ねたくなり、明朝、道の駅「日義木曽駒高原」からR19を少し南下することに決めていた。それが旅のロスとか思わなくなっている。それが「気ままな旅」の奥儀のひとつかもしれない。

 R19を南下するとすぐに、右折方向が「開田高原」と記された案内標識が見えた。そこは前回の旅で行った場所で、僅か2ヵ月前のことだが、既に懐かしい思い出になっていた。

 紀行文を書いている今、「光陰矢の如し」ではないが、この2ヶ月間を振り返るために、日記をスクロールした。
 私の日記は、PC(パソコン)のエクセルに、20種類ほどに分類した行動項目を横軸に、月日を縦軸にした表に、日々の出来事を箇条書きで残しているため、過去を振り返る際は、エクセルシートをスクロールすればいい。
 その結果、この2ヶ月間は新型コロナの第5波の真っ最中で、先ずは外出を控えていて、TVで放送されていた東京オリンピックを自宅で見ていて、庭の芝生の手入れもしていた。そして、某FM放送の毎週土曜日の某番組におたよりを送り始めていた頃で、毎週、番組内で扱ってくれるため、おたよりを書くことに熱中して、一気に「ラジオ愛」が高まっていた頃だった。それは今、ウィークリーのルーティンになっている。

 日記の話から、木曽福島に向かっている旅の話に戻そう。
 R19がトンネルに入る手前で右に分かれ、木曽川沿いの旧中山道の道に入ると、「福島関所跡」近くの巨大な関所門を潜った。それは現存しているものではなくオブジェだ。ちなみに、福島宿は中山道の37番目の宿場だ。
 先ずは、木曽川沿いの「崖家造り」に向かうことにした。ところが、木曽川に架かる行人橋(ぎょうにんばし)を渡るポイントを通過してしまった。その理由は、市街地に入る直前に、これまで見ていたナビの画面を拡大した瞬間に、実際に「ジル」が走っているポイントとナビの画面の中の現在地の表示にタイムラグが生じて、行人橋に右折する交差点を通過してしまったのだ。

 そのため、どこかでUターンしようかと左折したところ、その先は急勾配の上り坂で、転回できる広さはなく、仕方なく上って行くと、宿場町風な外観のJR木曽福島駅の駅前に着いてしまった。駅名の表示に「驛」の字が使われていたのは、らしくていい、と思った。
 その驛に向かっていた途中、走りながらではあったが、ちょうど駅前の店が崖家造りになっていて、その風景を見ることができたのはラッキーだった。
 この店は駅側から見ると二階建ての家に見えるが、店舗部分は崖屋造りの二階に相当し、地下に一階があり、トータル三階建ての家屋だった。

 駅前の広いスペースでUターンして、来た道を戻って、先ほど通過してしまった交差点から行人橋の方向に左折し、橋を渡りながら、運転席の車窓からは右後方になる木曽川の崖部分に建った「崖家造りの家並み」が見えた。
 橋を渡り切って右折した場所に、「市民タイムス」の事務所の専用駐車場があったので、ちょっとだけ駐車させてもらい、崖家造りの家並みの写真を撮った。

 この崖家造りが建てられたのは1900年代初頭で、道路の整備の際に、道路と木曽川の間の狭い土地を利用するために、川にせり出すように家々が建てられたとのこと。