悠々日和キャンピングカーの旅:⑫信州・富山の旅
トンネルを出てからは、小さなRのコーナーが繰り返し、かなり厳しい下り勾配の道が暫く続いたあと、勾配が緩くなり、集落の中を走り抜けた。
そんな時、いつも不思議に思うことがある。その集落に住んでいる人々の生活やその地域経済が成立しているのかどうかということだ。
たまたま、そこを走っている旅人がその地域のことを心配しても仕方がないのだが、どうしても不思議に思ってしまう。
果たして、どのような仕事をして生計を立てているのか、集落のみならず、その地域経済はどうなっているのかということだ。集落の経済は成立せず、過疎化が進んでいるのかもしれない・・・、もしくは、何か凄い「金のなる木」があるのか・・・、そんなことを思いながら走っていると、直進は「中津川・妻籠宿」、右折は「大平(おおだいら)高原」と記された道路案内標識が見えた。
初めて走る道で標識を見て、その先に、知っている地名が出てくると、なぜか安堵してくるものだ。
そこを右折するならば「大平宿(おおだいらじゅく)」に至るようで、そこには、まだ仕事をしていた現役の頃、勤務先の同僚とバイクツーリングで行ったことがある。その時は飯田側から旧大平街道を上ったが、その狭隘なくねくねとした小さなRが続くたいへんな道だったことを思い出した。
この大平宿は、三州街道(伊那街道)の伊那谷と中山道の妻籠宿を結ぶ大平街道のほぼ中間地点にあり、標高1,150mの大平高原と呼ばれる山中のわずかな平地にある宿で、今は、歴史的に古い建物が点在し、「いろりの里 大平宿」として保存されている。ちなみに、ここが五平餅発祥の地とのことだ。
先ほどの標識から直進を続け、R256を下ってゆくと、やがて旧中山道の妻籠宿入口の広い駐車場が見えてきた。これまでに何回も訪れているため、今回はパスして、R9まで下ることにした。
清内路トンネルの出口からは標高差は600m強、こちらの下りの距離の方が短く、急な勾配が続いたが、いずれにせよ、無事に中央アルプスを越えることができた。
ここで、ふと妙な感じがした。
妻籠宿は「中央アルプス」に抱かれているという表現より、「木曽山脈」の名称を使う方が感覚的にしっくりとくる。それは、妻籠宿は中山道や木曽路の宿場だからだろう。
この紀行文では、この山脈を西から見る時は「木曽山脈」、東からは「日本アルプス」というように、使い分けることにした。その方が、どことなくしっくりくるからだ。
西の木曽川と東の天竜川に挟まれた木曽山脈、その最南端を恵那山とするならば、南北約100kmの山脈になり、北アルプスと南アルプスに挟まれていることから中央アルプスとも呼ばれ、その東西を越える峠は幾つかある。
その南部にある清内路峠をトンネルで抜けてきた訳だが、その南には神坂峠(みさかとうげ)があり、そこを高速の中央自動車道の長大な恵那山トンネルが抜けている。その全長は、上り線が8,649m、下り線は8,489mで、1975年の開通時は日本一長い道路トンネルで、世界でも2番目だった。現在は日本国内第6位になった。
ここで蘊蓄をひとつ。
トンネルの全長が5,000mを超えると、石油を運ぶタンクローリーなどの危険物積載車は原則、通行できないという規制がある。したがって、恵那山トンネルを通過できない車両が、R256の清内路峠トンネルに迂回することになるため、R256の峠道の運転に注意を要す。
この紀行文をここまで書き進み、またこれまでに執筆した紀行文でもそうだが、どうも私は、旅をしながら、地理や地形、それに道に関する歴史に興味が湧いてしまうようだ。
かつての人の往来のあった街道や峠道について、車中泊中の「ジル」の中で、PC(パソコン)で調べて、当時と今がどう繋がっているのか、もしくは繋がっていないのか、そんなことを知るのが好きなってきている。
R19に入ってから北上を始めたところ、国道について気になったことが幾つかあった。
先ずは、国道の路面だ。ハンドルが取られるほどの轍(わだち)ができていて、その原因は重い車両の大型トラックなどの交通量が多いからだろう。大型車よりトレッド幅(タイヤ間隔)が少し狭い「ジル」は、どうしてもハンドルを取られてしまう。
国道の端に大きな轍がある場所では、バイクならばハンドルをかなり取られてバランスを崩してしまい、事故ってしまうのではないかと、バイクも愛する私は、そんな心配をしてしまった。
二つ目は、「○○スキー場まであと××km」という内容のスキー場の看板がやたら多いことだ。さすが長野県だ。静岡県では殆ど見られない看板で、看板に出会う度に、しっかりと読んで、知っているスキー場かどうかをつい確かめてしまう。
最後は、木曽川沿いの山間を走っていると、「木曽路は山の中」というフレーズを思い出した。実にそのとおりだ。走っても、走っても、フロントガラスから見える近景も遠景も山ばかりで、それらが幾重にも重なっている。それが木曽路なのだろう。
自宅は海岸に近い平野部にあることから、山が私に迫ってくるような感覚を覚えた。
木曽路の対向車線を小型のキャブコンが走ってきた。
いつものように手を振ると、即座に、手を振って応じてくれたのは女性のドライバーだった。
運転席の後方のダイネットに同乗者がいるのかもしれないが、小型のキャブコンなので、女性のひとり旅だったかもしれない。
これまで、ひとり旅をやっている女性との旅談義をしたことがなかったので、この旅で、そのチャンスがあって欲しいと期待した。
道の駅「大桑」に立ち寄った。
駅舎の外壁の掲示板に、R19の道の駅が南から北まで紹介されていた。交通量の多さに比例してなのか、地域振興のためか、道の駅の数は多いようだ。
その情報を見ながら、今夜の車中泊の場所をひとつ先の道の駅「木曽福島」に決めてから、この「大桑」の駅舎に入り、生椎茸を購入した。焼いて、しょう油を垂らせば、夕食の美味いおかずの一品になる。
木曽川沿いのR19を北上していると眼下に、景勝地の「寝覚の床」が見えた。
川の水流で巨大な花崗岩(かこうがん)が侵食されてできた自然地形が突然に現れるので、どうしても目が釘付けになる景観だ。日本五大名峡のひとつで、木曽八景のひとつでもある。
これまでに一度、R19沿いの駐車場にクルマを停めて、上から眺めたことはあるが、下まで行ったことはない。次の機会にと思いながら、これまでに2、3回もパスしている。
ネットで調べたところ、「寝覚の床」まで歩くならば往復で1時間ほど掛かるようで・・・、今回も、パスしてしまった。
今夜の車中泊に決めた道の駅「木曽福島」には間もなく到着し、車中泊向けに適した場所を選んで「ジル」を停めた。
その「適した場所」とは、先ずは水平に駐車できること、幹線道路や大型車の駐車エリアから離れた場所で、できればトイレに近く、しかしながら、夜間にトイレ目的で入ってくるクルマの出入りがあるので、ほんの少しトイレから外れた場所が最適だ。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:⑫信州・富山の旅 作家名:静岡のとみちゃん