悠々日和キャンピングカーの旅:⑫信州・富山の旅
以上から、小さなワンルームマンションと言えばたいへんおこがましいが、要素的・機能的には、ほぼそれに近いと思っている。このベース車はトヨタのトラックの「ダイナ(トヨエース)」で、キャンピングカーの雑誌によると、荷台を取り除いたダイナをキャンピングカー専用として開発された部分もあるとかで、その車名を「カムロード」といい、多くのキャブコンは、この「カムロード」をベース車にしている。ちなみに、キャンピングカーの製造業者を「ビルダー」と呼ぶ。
今日最初の道の駅「豊根(とよね)グリーンポート宮嶋」が見えてきたので、小休止のために立ち寄った。
駐車場には、2サイクルの古いバイクが4台、ライダーは皆、元気な老人たちだった。声を掛けようとしたが、仲間同士の会話が途切れないので、そのまま、駅舎に入った。
ショップを見て回り、夕食用に鮎の甘露煮を買った。「キャンピングカーの旅」に出ると、必ずと言っていいほど、鮎の甘露煮を買ってしまう。多分、私の好物なのだろう。
この道の駅には以前、妻とふたりで、三河高原の茶臼山の芝桜を見た帰りに立ち寄って、食事をしたことがある。そのときに食べた料理は思い出せないが、今、ちょうど昼時になったので、駅舎ではなく、「ジル」のダイネットで沸かした湯を使って作ったカップ麺と魚肉ソーセージの軽い昼食になった。
ダイネットの窓から見えたのは、道の駅をあとにした古いバイクの白煙で、2サイクルのエンジン音が次第に遠くなり、白煙が薄れていった。バイクもライダーも古かったが、両方とも、しっかりとメンテナンスされているのか、まだまだ元気の良い状況が続きそうに見えた。
そして、「ジル」が道の駅を発つとき、駐車場に停まっていた湘南ナンバーの軽キャンパーの二人に挨拶された。サンクス。
二つ目の道の駅は「信州新野千石平(しんしゅうにいの せんごくだいら)」で、ここも過去に立ち寄ったことのある道の駅だ。
そのショップで、「おやき」と「ぶたじん(味付き豚肉)」を購入した。美味しそうなものが他にも多々あったが、これ以上買ってしまうと、旅の道中、食べ切れなくなってしまう。
窓を開けて走っていると、ミンミンゼミの鳴き声が聞こえた。
自宅周辺では、聞くと暑くなるようなクマゼミの鳴き声ばかりだが、このミンミンゼミの鳴き声は、静かで、涼しくて、染み入りそうで、夏の終わりを告げているように聞こえた。
多分、今年最後のセミの鳴き声になるのだろう。
三河高原内の道の駅「信濃路下條」にも立ち寄った。今日の三つ目の道の駅だ。
この駅舎の外観は、室町時代に建てられた下条氏の吉岡城の二の丸をイメージした建物で、中に入ると、そば、そば、そばばかりだった。
私はそばアレルギーなので、ショップ内で販売されているそばのどれが旨そうなのかは全く見当が付かず、と言って、レストランでそばを食べることもできず、ショップの人に訊いて、妻と息子向けの土産のそばを買った。ここは道の駅というよりは「そばの駅」だ。
ここは、俳優の峰竜太さんの出身地であることから、ショップには峰さんをあしらった商品も並んでいた。
南北に長い伊那盆地の南端部分は、三河高原から続く丘陵地があり、ここまで走ってきたR151から、その西側のR153に向かうには、以前は、丘陵地を避けて遠回りするか、もしくは丘陵地の中の幅の狭い道を走るルートだったが、今は「三遠南信自動車道(無料)」があり、距離も時間も短縮できる。
そこを走りながら、右の車窓から見えたのは、意外と東西に幅のある伊那盆地で、その左側には中央アルプス(木曽山脈)、右側には南アルプス(赤石山脈)の前衛峰の伊那山地が見え、その奥に、南アルプスの幾つかのピークも見えた。
ただ、ずっと眺められるほどの開けた展望はなく、所々でチラッ、チラッと見られるだけで、それが残念だった。
前回の「キャンピングカーの旅」では、飯田盆地を北上したので、今回は中央アルプスを越えて、その西側の旧中山道で北に向かうことにした。
帰路はどこを走るのか分からないため、今、チラッと見えた南アルプスが、この旅での見納めになるのかもしれない。
「三遠南信自動車道」の全線開通時期は未定のようだが、完成すれば、信州に向かう際には必ず走るルートになるのだろう。その前に、日帰りで往復してしまいそうだ。
その理由は、R151もR153も、バイクで走るには面白い道だが、「ジル」で走るにはちょっと辛い道のため、「三遠南信自動車道」の全線開通を大いに期待している。
その「三遠南信自動車道」からR153に入って、少し南下すると、中央アルプスを越えるR256に入った。すぐに阿智川(あちがわ)沿いに立つ昼神温泉(ひるがみおんせん)のホテル街が見えた。
以前に妻とのドライブの途中に、ここの立ち寄り湯に漬かったことがあり、またパラモーター(モータパラグライダー)仲間と近くの「ヘブンスそのはらスキー場」に行った帰りにも立ち寄っていて、私にとっては、ドライブやスキーの疲れを癒せる温泉郷だ。
なお、このスキー場は、スキーヤーオンリーの珍しいスキー場で、駐車場からロープウェイに乗ることでゲレンデの麓に着くという珍しいスキー場でもある。そして、夏の夜の星空観賞の地でも有名だ。
以前から、この昼神温泉や昼神の地名について、何となく興味があったので、少し調べてみた。
昼神温泉は、旧国鉄中津川線(飯田線の飯田駅と中央本線の中津川駅を結ぶ計画だったが、中央自動車道が開通したことで計画が頓挫した未成線)のトンネル掘削によって、1973年に偶然、発見された歴史の浅い温泉とのことだが、諸説あり。
戦国時代、武田信玄が京に上る途中に病のために亡くなった場所でもある「昼神」という地名について、その由来を調べたところ、阿智村史に面白い伝説があり、日本書紀に記されている日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の説話に由来している。
信州から美濃へ、昔の表現では、信濃国の伊那郡から美濃国の恵那郡(木曾谷)となるが、今は、中央自動車道の恵那山トンネルで容易に行けるが、昔は神坂峠越え(みさかとうげごえ)という大変な難事だった。
日本武尊がこの険しく霧の多い山路に分け入って、峠で食事をとっていたとき、荒ぶる山の神が、尊を苦しめようと白い鹿となって立ちはだかり、尊が噛んだ大蒜(にんにく)を投げつけたところ、鹿の目に当たり、鹿は倒れ、のちに、この峠を越える者は大蒜を噛み、それを人や牛馬に塗りつけて峠越えをする風習になったとか。なお、大蒜は、古くは「ヒル」といわれていたこともあり、それを噛む習わしから「ヒルガミ」の地名となり、「昼神」になったと伝承されている。
R256は、昼神温泉から清内路峠(せいないじとうげ)の下の清内路トンネルまでの標高差は約500mだが、沿道には集落が見え、中央アルプスの山々が行く手を遮るほど急峻な感じはなく、多少のジグザグはあるものの、Rの大きなコーナーが続き、思いの外、スムースに走って、トンネルの入口に着いた。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:⑫信州・富山の旅 作家名:静岡のとみちゃん