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静岡のとみちゃん
静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑪信州・富山の旅

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■9/23(旅の初日):自宅 ⇒ 長野県木曽郡木曽町(道の駅「日義木曽駒高原」)


【走ったルート】 浜松市西部の浜名湖の北部から愛知県の北東方面に広がる三河高原を越えて長野県の伊那盆地へ。そこから北上するルートは前回の旅で走ったため、中央アルプス(木曽山脈)を西へ横切り、木曽谷のR19(旧中山道)に入って北上。ここまでのルートは、これまでにバイクなどで走って見て回ったことがあるため、今回は観光ポイントには立ち寄らず、ルート沿いの道の駅などで休憩しながら、たどり着いた道の駅「日義(ひよし)木曽駒高原」で車中泊。【走行距離:214km】

【忘れられない出来事】 これまで、マップなどで伊那盆地は南北に長く東西が狭いと理解していたが、伊那盆地の南端の三遠南信自動車道で東西に走りながら盆地を横切ったとき、盆地の幅は意外と距離があり、マップ上での距離とリアルの違いに驚いた。セカンドライフの今、現役の頃に実践していた「三現主義」を旅の中で楽しんでいることに気付いた。

【旅の内容】 玄関から、ちょっと大きな声で、2階にいる妻に「行ってくるね!」と叫んだ。妻が玄関に下りて来るものとばかり思っていたところ、「日頃から休んでいる人が遊びに行くからといって、今日も仕事に向かう人を玄関に来させるのでなく、2階まで上がって来て、行ってきますというのが正しいのでは?」という声が聞こえた。
 そりゃそうだ。

 改めて、二人の違いを整理してみると、
 ・色々と遊んでいるセカンドライフを送っているのは「夫(私)」
 ・まだ仕事をしているのは「妻」
 ・妻が早く仕事を終えて欲しいと思っている「夫」
 ・会社側から70歳まで働いて欲しいと言われている「妻」
 ・思い立ったら、いつでも、いつまでも、旅に出掛けられる「夫」
 ・土日と有給休暇を合わせて旅の日数を確保するしかない「妻」

 そんなことを考えていると、妻が笑顔で玄関に下りてきてくれた。玄関先での、妻とのいつもの楽しい会話で、今回の旅が始まった。今回もひとり旅だ。

 自宅からまず、静岡県の最大都市、人口約61万人の浜松市の中心街を迂回する環状線のような道を走り、浜名湖の北部エリアに至り、そこから北上した。新東名高速道路の浜松いなさJCTから北に延びる「三遠南信自動車道」の浜松いなさ北ICの料金所の先から、その無料区間に入った。

 私の旅では、高速道路はあまり使わず、下道ばかりを走っている。
 その主な理由は、高速を走りながら見える近景の殆どは遮音壁で見えず、遠景は遮音壁越しに見えるが、その下半分は見えない。そういった不完全な車窓風景が残念だからだ。
 それに比べて下道では、雑多な町並みや田舎の景色が続くが、それが旅情を掻き立ててくれて、実にいい。
 私は今、多くの自由な時間のあるセカンドライフの真っただ中にいて、先を急ぐ必要はないため、高速道路は走らない。とは言っても、無料の自動車道やバイパスは走ってしまう。要するに私は、有料道路の通行料金を払いたくないだけのようだ。
 「ジル」に給油する軽油には軽油引取税が含まれており、それは道路整備などに充てられ、また車検の度に納める重量税は道路の建設・維持費用のためであり、多分、それらの対象は通行料金の掛からない無料の一般道だと思っている。それならば、納税額の対価に見合うだけ、一般道を走って、走って、走ってやろうと思っている。  

 自宅から下道を走り続け、ここまでは、かなりの時間を費やした。
 もし妻とのふたり旅ならば、「旅の道中は素早く、行った先でゆっくり」派の妻の意向に沿って、自宅の最寄り東名のICから高速に乗り、東名から新東名の連絡道を走って、この浜松いなさ北ICまで走ったことだろう。
 一方で、時間がたっぷりとある私は、「旅の道中で車窓風景を楽しみ、行った先も十分に楽しむ」派のため、特にひとり旅の場合は、そうやっても、誰からも文句は言われないので、これでいいのだ。
 ちなみに、妻とのふたり旅の場合は、妻の意向に沿って道を選び、目的地もそうなる。それでもいいのだ。

 「三遠南信自動車道」は対面通行で、トンネルが多く、直線部分の多い道路はスムースで走り易く、ほぼ規制速度(明かり部:70 km/h、トンネル部:60 km/h)で走ってはいたが、バックミラーに後続車の姿が見えたので、所々に設けられている「ゆずり車線」に入り、後続車に道を譲り、ゆずり車線が終わると走行車線に戻った。そのようなことを2回ほど繰り返した。
 鳳来峡(ほうらいきょう)ICの表示が見えた。「三遠南信自動車道」の南部で今、部分開通しているは、そこまでなので、全車、下道に下りることになり、そしてR151に入った。

 このR151(遠州街道)は愛知県豊橋市からJR飯田線に沿って北上し、その後は愛知県東部の三河高原を抜けて長野県飯田市に至る道で、これまでにバイクで数回、走ったことがある。
 その西側にも飯田市につながるR153(三州街道:信濃と三河(三州)を結ぶ街道で、伊那街道とも呼ばれる)があり、これまでは、どちらかと言えばR151よりR153の方を走った回数が多い。
 その理由は、R153の治部坂峠(じぶざかとうげ、標高1,187m)を越えた先の沿道に、自宅から日帰りで行ける「治部坂高原スキー場」があり、スキーを楽しむというよりは、練習のために通ったスキー場で、そこに行くためによく走った国道だ。
 今回、R153ではなくR151を選んだ理由は、少し忘れかけている車窓風景を思い出したかったからだ。

 R151を走っていると、対向車のキャブコン(※)のドライバーが私に手を振ってくれ、慌てて手を振り返した。いつもは先ず私が手を振るのだが、今回は、私が応えるパターンだったが、それでも嬉しかった。
 キャンピングカーに乗り始めた頃、バイク同士がすれ違う時のピースサインのように、対向車のキャブコンに何かしらの挨拶をしてみようと思ったものの躊躇していた。
 3回目の「キャンピングカーの旅」の頃だったと思うが、ちょっとだけ勇気を出して手を振ったところ、対向車の運転手と助手席の二人が手を振り返してくれて、それも一生懸命に、その姿にかなり満足した。それからはいつも、手を振って挨拶している。ちょっとした勇気はもう不要だ。
 キャンピングカーには色々なタイプがあるが、手を振る対象は、仲間同士(?)のキャブコンのみだ。

  ※キャブコンとは「キャブコンバージョン」の略で、トラックのキャブと呼ばれる運転席部分を残し、その後方の荷台のないシャーシの上に居住スペースのシェルを乗せ、運転席部分と一体化したキャンピングカーを指す。いわゆる、誰もがキャンピングカーと言えば頭に浮かぶもので、ザ・キャンピングカーだ。
 私の愛車の「ジル」の場合、その居住スペースには、キッチン付きのリビングルーム(ダイネットという)に、トイレやシャワールームもあり、運転席の上は、大人が2名ほど就寝できるバンクベッドになっている。