悠々日和キャンピングカーの旅:⑪信州・富山の旅
この車両は、活性白土と酸性白土を製造販売していた企業「東洋活性白土」の構内線で使用されていて、かなり手を入れて再現したとのことだ。それでも、静態保存のようだが、更に手を入れて、動態に生まれ変わって欲しいものだ。
私の「キャンピングカーの旅」では、必ず訪れる場所のひとつに鉄道絡みの博物館や資料館がある。この「ジオパル」もそうだが、そこで、鉄道網の延伸や廃線などの鉄道史や、どのSLが走っていたのかを知ることが好きで、そこには、鉄道マンのロマンや絶望があったはずだ。
また、展示されている実物のSLを見るのが好きだ。しかし、野ざらしになっている場合の多くは、分厚い塗装が剥がれて錆が発生しており、可哀そうにと思ってしまう。
屋根の下にSLが保管されている場合でも、その屋根の柱がSLの左右に並んで立っており、SLの写真を撮る際は、その柱が邪魔になって仕方がない。出来れば屋根を片持ちにして欲しいと切にそう思っている。
これだけ鉄道が好きならば、列車に乗った旅をすればいいものを、キャンピングカーに乗って旅をしているのは、やはり自由度の違いなのだろう。
次の列車を待つ必要はなく、気に入った車窓風景があれば停まって眺められ、宿泊も自由だ。荷物の数も量も制限がない。そして、鉄道の路線の数より道路の数の方が圧倒的に多いことが最大の理由だろう。
軽便「くろひめ号」をじっくりと見たあとは、駅構内を歩いて、反対側の日本海口(北口)に出た。
そこから見渡すと、駅前には広いロータリーが広がっており、その先は少し右に左に曲がった駅前通りが日本海に向かって伸びていて、R8の堤防が見えた。駅前通りにはシャッターが閉まった店舗が幾つかあったが、歩道の上は屋根があり、それは雁木造(がんぎづくり)なのだろう。そこの雪の風景を思い浮かべようとしたが、今はまだ暑い9月、ちょっと無理があった。
駅前の交差点の角に、何やら立っていたので、そこまで行ったところ、それは「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」の像で、その左手にヒスイの玉を持っているのが印象的だった。
「古事記」や「出雲国風土記(いずものくにふどき)」などの古代文献に登場する高志国(現在の福井県から新潟県)の姫であると言われ、幾つもの伝説があるようだ。
駅に戻るとき、「ヒスイ王国館」があったので入ってみた。土産物ショップと繋がってはいたが、ヒスイの展示、販売ヒスイの加工工房もあったが、あまり興味がなかったので、ざっと見て終わった。
駐車場に戻ると、「ジル」の隣に、別のジルが駐車していた。ドライバーはいなかった。
そうなると、つい比較してしまい、相違点を探してしまう。それがもし、私の「ジル」より良さそうならば写真を撮って、「ジル」の次の改善ポイントになる。今回は1ヵ所あった。
「ジル」を駐車場から出してから、駅の日本海口に向かい、そこを起点に、ジオラマを見ている時にスタッフの方が教えてくれた「糸魚川市大規模火災」の消失エリアを「ジル」で回り始めた。
未だに忘れられないのは、上空から撮られた広範囲の火災のTV映像で、その日から既に5年近くも経過しているので、燃えた跡がそのまま残っている訳はなく、空地もあったが、新しく建てられた家や店舗が見られ、再び、糸魚川市街地になっている現実に会うことができ、何か嬉しく感じたことを今でも思い出す。
後日、ネットで、火災の消失エリアを調べていたとき、昭和3年、7年、9年にも火災が発生していたことを初めて知った。それらを合わせると、糸魚川駅の北側から日本海までの間の殆どのエリアが一度ないし二度、三度と火災の被害に遭っていることに驚いた。
次は、糸魚川市街の山手にある「フォッサマグナミュージアム」を訪れた。
ヒスイや鉱物のコーナーは、あまり興味はなかったが、フォッサマグナの生い立ちを中心に、かなり熱心に見て回った。というよりは面白く、学習させてもらい、気が付くと1時間も見学していた。
その中で、改めて認識したのは、アルプスと海をつなぐ「栂海新道(つがみしんどう)」で、北アルプスの朝日岳と日本海の親不知を結ぶ新潟県と富山県の県境の稜線を伐開して拓かれた北アルプス最北部に位置する登山道だ。
その概要は、全長は約27km、標高差は2,400m、累積標高差は約4,000m、所要時間の目安は登りで約18時間、下りでも約15時間という健脚向けの登山道で、踏破する場合はルート上にある栂海山荘での宿泊が必須となるという。
ミュージアム見学後は空腹を感じて、「ジル」の中で、今日二つ目になるカップ麺と、茹でたウインナーを食べた。
糸魚川からR8で西に向かうと次第に標高が上がり、海岸沿いに続く断崖のわずかな部分を縫うように急カーブが続き、覆道(半トンネル:落石防止や雪崩防止を目的)やトンネルも続いた。崖下の波打ち際は人の往来が難しい難所だ。
ちなみに、親不知の地名の由来について触れる。
日本海に面したこの場所は旧北陸道最大の難所で、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際に親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかったことから「親知らず・子知らず」と呼ばれるようになり、時代は移り、今は親不知という地名になったとのことだ。
そういえば、断崖絶壁の下の狭い砂浜を人が歩いている昔の版画を見た記憶がある。
駒返トンネルを抜けると、同じくトンネルから出てきた北陸自動車道と日本海ひすいライン(旧北陸本線)との3つのルートが平行に並んだ。
少し走って、高架道路の北陸自動車道の下を抜けて、Uターン気味に海側に折れると道の駅「親不知ピアパーク」が見えた。
道の駅のガイドブックなどに載っているあの大きな亀の像の横の駐車場に「ジル」を停めて、海岸まで下りて写真を撮った。
そこは石ころの海岸で、直径5mm~40mmの小石がきれいに分かれて打ち上げられていた。
ここまでの道を眺めると、北陸自動車道もR8も高架道路になっており、それらが海上を走る景色は、静岡県のR1の富士由比バイパスの薩埵峠(さったとうげ)のトンネルを抜けた場所の雰囲気に似てなくもないが、それを更に険しくした様相だ。ここもヒスイの原石が見つかるようで、加えてガーネットも見つかるという。
道の駅をあとにして少し走ると海側に展望台があり、ちょっと寄ってみた。
そこは「親不知記念広場」で、これぞ親不知の断崖の景色が広がっていた。欲を言えば、この広場がもう少し海側に突き出ていると、更に迫力のある景色が見えたことだろう。
ここから西側に見える断崖絶壁の中に、何やら展望台が見えた。あとで調べたところ、旧R8沿いにある展望台だった。「親不知記念広場」から見渡せた景色以上の景色が見られたのだろう。そこに立ち寄らなかったのはちょっと残念な気がした。
断崖絶壁にしがみ付くR8の覆道の海側の柱の間から見える海は、もし晴れていたならば、気持ちの良いブルーなのだろうと思いながら、その中の所々で行われている工事のための片側通行に注意を払いながらの運転を続けた。
知らない間に下っていて、海沿いに開けた平地を走っていた。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:⑪信州・富山の旅 作家名:静岡のとみちゃん