悠々日和キャンピングカーの旅:⑫信州・富山の旅
橋を手前に入れて、右側には小島という構図の中で、その中央に、海に沈む夕陽を置くという内容だ。
ところが、水平線上には、それまでは見えなかった雲がたなびいており、そこに太陽が隠れてしまった。それでも、美しい夕焼け雲の風景の写真が撮れた。
あとで調べると、その小島は「弁天岩」で、そこに架かっていた橋は歩道程度の幅しかなかったが「弁天大橋」という橋だった。
写真を撮ったあと、弁天大橋を渡って、白い小さな灯台のある弁天岩まで行ったところ、小さな祠があり、そっと手を合わせた。
橋を渡って戻ってきたとき、年配の男女がやって来た。彼らは高級な一眼レフのカメラを持っていて、タイミング的に、夕陽の写真は撮れなかったようだ。
彼らに話し掛け、先ほど撮った夕焼けの写真を見せながら、その時のことを説明した。
撮った夕焼けの写真を見せているうちに、以前に撮った写真が見えてしまい、それは、パラモーターで「空の散歩」の際に撮った空撮写真だった。それから、私の趣味のパラモーターの話にもなり、最後は、写真撮影のコツなどの話になっていった。二人からいい話を聞くことができて、サンクス。
その帰路、漁港の中で魚釣りをやっていた3人の青年と少し会話した。大きなヒラメが釣れたと言っていた。その後、日没後の漁港の写真を撮って、「ジル」に戻った時は、すっかり暗くなっていた。
夕食後はいつものように、今日の分の「旅のメモ」を書いている時に気が付いたのは、毎月、最終土曜日の午後8時からは、学生の時に入っていたサークル「フォークソング研究会(フォーク研)」の「リモート飲み会」が開催されていることで、既に9時に近かったが、ZOOMにアクセスして参加した。
旅先の「ジル」の中から参加するのは多分、初めてのことだ。
他の参加メンバーから、キャンピングカーの中からだねとか、顔が良く見えないよとか言われ、ダイネットのテーブルの上に置いたデスク用のLEDライトの向きを調整すると、ダイネットの中の少し髭面(ひげづら)になった顔がパソコンのディスプレーに映った。
参加者への挨拶はそこそこに、旅先での車窓風景や出会った旅人とのことなどを紹介し、ついでにパラモーターの話にもなり、喋りまくって退出した。落ち着いた話ができず、すみません。
フォーク研では当時、バンドでドラムを叩いていた。年2回の定期コンサートや文化祭、単独でライブを開催したり、阿蘇山で合宿したりと、サークル活動が集中する時以外は、たとえば昼休みに部室に行くと、ギター、ベース、キーボード、そしてドラムで「いきなりセッション」をやったり、皆で気になるバンドのコンサート(今はライブというようだ)に行ったりと、充実した日々だった。
その時のメンバーは今、ネット上で集まり、近況を語り合い、まだ音楽活動を継続しているメンバーからは現役の話もあれば、それがトリガーになり、当時の話になると、一気に半世紀近い時間の壁を乗り越えてしまう。私のマンスリーの「好きな時間」だ。
「好きな時間」といえば、セカンドライフに入ってから新たな「好きな時間」が幾つか増えた。
仕事をしていた現役の頃から続いている「好きな時間」から書き始めるならば、先ずはパラモーターによる「空の散歩」だ。
アクセルを吹かして離陸した瞬間の高揚感、上昇してから地上を俯瞰するのは至福の時間、着陸してからはそのフライトを思い出す楽しい時間が好きだ。そして、自作したそのHPの情報アップや空撮した写真を使った写真展も開催している。
次は「バイク」だ。18歳から乗っているバイクは11台を数え、今も250ccのビッグスクーターに乗って、仲間とのツーリングやソロで行くキャンプツーリングをやっている。
大学に入学する前に自動2輪の免許を取り、大学1年生のときにバイクを手に入れて、自転車を卒業した。行動範囲が自分の意思でとことん広がり、それが自分の視野の広がりのように思え、その感覚が忘れられず、半世紀近くも乗り続けている。
一時期は私の分身とさえ思っていたバイク、いつまでも乗り続けたい。動体視力の低下を防止するとか、瞬時の対応は頭の老化を防ぐとか、そう思っているのもあるが、風を切るスピードが好きなのだろう。
そして最後にはまったのは、今風に言うと、沼ったのは「キャンピングカーの旅」だ。その後にセカンドライフを迎えた。この「好きな時間」はさらに、新たな「好きな時間」を生んだ。
そのひとつ目は、「キャンピングカーのDIY」で、ダイニングでのくつろぎやすさ、「ジル」の運転時のあれこれ、要は楽しい旅を追求するためのものだ。ひとつのDIYが終われば、あれもやりたい、これもやりたいと、終わりがないような気がしている。
二つ目は、「キャンピングカーの旅」の紀行文を書くことだ。現役の頃、勤務先の技術会が発行する会報誌の編集活動(テーマを企画して、取材して、記事を書いて、会報誌に掲載)をやっていたが、退職後は、その執筆活動の代わりかもしれないが、今は、旅の紀行文の執筆に励んでいる。
会報誌の記事の執筆は締め切りのタイミングで脱稿しなければならなかったが、旅の紀行文は私自身が納得する仕上りになれば脱稿できるので、十分な執筆時間を確保できる。
しかしながら、推敲を重ねれば重ねるほど、幾つもの見直しがあり、納得するできあがりは妥協の産物かもしれないと思ったりして、実は、違った意味で、けっこう苦しいのが本音だ。
ところで、文章を書くことを職業とする人を著作家というが、文筆家・文筆業・著述家・物書きなどともいい、主な著作が小説である場合は小説家と呼ばれるようだ。
私は、趣味の域で紀行文を書いているので、「ノンプロの物書き」とでもいうのだろうか?
セカンドライフの今、自由な時間が多々あるものの、以上の「好きな時間」とそれらを支えるウォーキングでほぼ占められている。
色々なことを思いながら、「ジル」のバンクベッドで横たわったが、すぐには寝付けなかった。
昼間はまだ暑いけれど、寝る時は布団が欲しくなる。晩夏に秋が次第に入り込んでいるようで、あと2~3週間もすれば、北アルプスの頂上付近は冠雪すると教えてくれたりんご農家の年配のおじさんの言葉が耳に残っていた。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:⑫信州・富山の旅 作家名:静岡のとみちゃん