死体損壊と、犯罪の損壊
「それは、真犯人が、わざとそうしておいて、警察に、身元を判明させるヒントを与えていた。つまりは、容疑者が犯人ではないということを示すためにわざとやったのではないか?」
その証拠に、被害者の胸に残っていた刺された痕は、
「死後につけられたものだ」
ということが分かるように、細工がしてあったというのだ。
完全に、事件の真相に対して、警察は後手後手に回っていて、捜査員は、混乱させられているということと、相手の術中に完全に嵌っているということだったのだ。
大団円
そんな事実とは別に、八木刑事としては、ずっと、下瀬刑事の考え方というものを自分の中で感じていて、
「確かに見えていることが、不可解ではあるが、偶然という言葉で、すべてが成り立っているような気がする。その偶然というものを、偶然とわざとということでの2択だと考えると、まったく見えていないのだとすれば、逆に、すべてが見えていると考えることだってできるのだ。例えば、じゃんけんですべて負けたとすれば、自分が勝てる相手を出せば、逆にすべて勝利ということになるではないか」
と思った。
それがいわゆる、
「三すくみの関係」
ということで、その三すくみというのは、今考えた理屈から、
「先に動いた方が負けだ」
ということになるのであった。
それを考えると、
「犯人の手のひらで転がされている」
という、まるで、
「孫悟空と、お釈迦様の話」
を彷彿させられる気がした。
そして、さらに、
「百里の道は九十九里を半ばとす」
ということわざにあるように、
「西遊記の話」
というものと、三すくみの関係を何となく結びつけると、そこには、循環するものをかんじさせられるような気がするのであった。
それこそが、まるで、
「自然の摂理」
のようなものではないだろうか?
そんな自然の摂理であるが、この犯罪は、
「結局、無理のある犯罪だった」
ということである。
腐乱死体となって発見された男は、実は殺されたわけではなく、たまたま、近くで死んでいた人間を生めることで、
「顔のない死体」
を演出しようとした。
だから、この時に発見されないと、身元が本当に判別できなくなる。少なくとも、発見された時の状況から、
「被害者が強盗犯である」
ということを感じさせないといけないということになるには、その男の身元を、
「なるべく、分かるまでに時間が掛かるようにしておきたかった」
しかし、あまり長いと今度は、
「遺産相続ということで、被害者が誰なのか?」
ということをただ隠しただけでは、警察に怪しまれると考えたのであった。
しかし、そこも結局考えすぎで、この男は、ある事件で冤罪になったことで、指紋であったり、顔写真が残っていたのだ。
警察の復顔であったり、被害者のカバンから、指紋が出たのは、犯人の計画ミスだったのかも知れない。
これも、銀行強盗がこの男の仕業であるということを見せつけるためには、どうしても、カバンと、中のお札が必要だった。ただ、犯人の考えとしては、
「そこに指紋が付いていないというのはおかしい」
と感じたのであろう。
確かに、最初は手袋をしていたかも知れないが、途中から一度も外さないというのも、おかしいと思ったのか、それも仕方がなかったのだ。
しかも、それがバレたというのも、
「冤罪だった」
などと誰が想像するだろう。
それを考えると、
「実に皮肉なことだ」
といえるだろう。
そして、この男は、整形をしていた。それは、死体を発見した犯人にはすぐに分かったことだった。
顔が、府連ケンシュタインのように、針の跡が生々しく残っていた。それは失敗だったわけで、
「急死」
というのも、実は、それが原因だったのかも知れない。
しかし、犯人にとって、そのことから、
「顔のない死体のトリック」
を思いつくことになった。
「何としてでも、なるべく早く計画を実行したい。しかし慌ててしまって、計画が簡単に六呈することは避けなければいけない」
それを考えると、
「犯人が、腐乱死体として死体を発見させたのは、整形の後を示すためだった」
ということであろう。
死体になってしまうと、整形の治癒の進行が停止するので、そのタイミングも分かりや叱っただろう。
ただ、それも実際の腐乱状況までは簡単には分からない。
「犯罪には医療知識のある人でないと無理だ」
ということも、犯行の暴露に大いに貢献したといってもいいだろう。
犯人は、
「計画を入念に練ったつもりだったが、裏目に出たことも結構あった」
ということだ。
この事件において、門脇の立場は、実は、
「犯行を目撃した」
と犯人に思われたようだ。
しかし、しばらくして戻った記憶の中に、門脇が何も知らなかったということが分かり、こちらも、
「犯人の早とちりだった」
ということであった。
それを考えると、
「犯人は、これだけの計画を入念に練っていたわりには、肝心なところで抜けていた」
ということであろう。
これがまるで、三すくみのような循環性と、事件を複雑にするつもりもなかったのに、勝手に複雑になり、それが犯人の意図するところでもなかったということで、事件も、
「一つ露呈すると、すべてが、ひどい状態になった」
ということになるのであった。
それを思うと、
「三すくみのように、先に動いたりするとダメであり、動かざること、山のごとし」
という言葉を思い出させるのではないだろうか。
門脇と、門脇を襲った男、つまりは、強盗犯人。そして、腐乱死体の発見をさせた男、実はこの男が表には出てきてはいないが、共犯者だったのである。
結局、すべては、この共犯者が計画をミスったことで、簡単に事件が露呈した。その時、捕まった真犯人は、
「こんなことなら、やらなきゃよかった」
といって、悔しがっていた。
この男からすれば、最後の最後で犯行をもう一人の男にすべて擦り付けて、自分だけ助かろうと思ったのだろう。これがすべての悪の権化だった。
この事件で、実際には、誰も殺されてはいない。死体遺棄と、傷害事件と、銀行強盗だけである。しかし、ただの銀行強盗だけですぐに逃げていれば、こんなことにはならなかっただろう。
「完全犯罪でももくろんだのか?」
すべてを解明した下瀬刑事は、そうつぶやいた。彼は、きっと犯人の気持ちになることができたのであろう。
「顔のない死体のトリック」
そんなに簡単なものではないということであろう。
( 完 )
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作品名:死体損壊と、犯罪の損壊 作家名:森本晃次