無限であるがゆえの可能性
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年1月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。
犯罪という名の殺人
探偵小説や、ミステリー小説といわれるものの醍醐味は、その事件の犯罪性というものにあるといってもいいかも知れない。
犯罪といっても、刑事犯もあれば、民事などでいうところの、詐欺罪というものもあったりする。
中には、
「民事にも、刑事にも含まれる」
という犯罪もある。
詐欺事件などのように、相手を騙して、財産を奪ったりして、相手から訴えられるという場合などは、
「民事事件」
ということになる。
だが、
「詐欺に遭って、それで全財産を奪われ、ショックのために自殺をしたり」
あるいは、
「詐欺に遭った人が、その苦境から逃れるために、新たな犯罪に手を染めたりする」
という場合もありえる。
だから、
「刑事では、執行猶予がついたりしても、民事では、完全に原告が勝訴」
ということも普通にある。
逆に、
「民事で、金は返ってこないが、刑事罰として、犯人は求刑通りの罪に問われる」
ということもある。
そもそも、民事事件の立件は、難しいといえるのではないだろうか?
刑事事件であれば、警察がその陣頭指揮を執ることで、警察が持っている、捜査権というものを生かして、捜査をすることができる。
もちろん、捜索令状や、逮捕令状のような、
「裁判所が認めたもの」
でなければ逮捕拘留も、家宅捜索などというものもできないのだ。
民事事件でも、同じように、民事訴訟に至るだけの証拠を探す場合には、裁判所が発行する令状というものがあり、捜査ができるということであるが、
「民事事件」
というものは、警察が立ち入ることはできないのが、一般的である。
つまり、
「民事不介入」
ということであり、
「例えば、お金を取られた」
ということであれば、これが、
「窃盗」
あるいは、
「詐欺事件」
という形の刑事事件に発展するということであれば、これは、警察権を発動することもできるが、
「刑事事件として立件できないもの」
ということであれば、警察が介入できないということになるのだ。
それだけ、
「警察の権力」
というものは大きいということなのか、いわゆる、
「個人的人権の尊重」
という憲法の問題に絡んでくるのである。
しかも、平成になってから、
「個人情報保護」
という観点から、
「プライバシーの保護」
というものが、大きな問題となっているといってもいい。
昭和の頃から、あるにはあったが、平成になってから、特に問題になってきたのが、
「ストーカー犯罪」
というものであった。
昔は、
「好きな女の子がいれば、家を確認したくて、追いかけてみる」
ということくらいは、あっただろう。
その時に、ストーカー行為をしている本人に、
「悪いことをしている」
という自覚があったのかどうかということである。
今の時代には、少なくともあるだろう。これだけ世間で、
「ストーカー事件」
として騒がれているのだから、嫌でも、
「どういうものがストーカーになるのか?」
ということくらいは、自覚できているといってもいいだろう。
それを思うと、
「昔がどうだったのかは分からないが、少なくとも、今では自覚をしているにも関わらず、やめることができない」
ということで、昔に比べてエスカレートしたことで、社会問題となり、さすがに、
「後手後手に回って、面倒くさいことはやりたがらない政府」
といっても、マスゴミが騒いだり、
「選挙で不利になる」
ということから、
「動かないわけにはいかない」
ということで、政府も、
「重い腰を上げる」
ということであろう。
さらに、
「個人情報保護」
というのは、もう一つ大きな意味もある。
それは、
「コンピュータやインターネットの普及」
というものから、問題になっているといってもいい。
というのも、
「コンピュータや、ネットが普及することによって、新たな犯罪が生まれてきた」
といってもいいだろう。
ただ、新たな犯罪というわけではなく、広義の意味では昔からあったことになるのだが、それが、
「詐欺事件」
というものだ。
昔はネットやパソコンなどがなかったので、アナログでの詐欺だったりした。
「契約書をわざと分かりにくかったり、見にくいものを作成し、相手に読む気力を失せさせる」
ということで、騙すというやり方であったり、
「昭和の終わり頃にあった」
というような、
「人情に訴える」
ということで、ターゲットを、老人に絞るというようなやり方があったのだ。
それがどういうものなのかというと、
「昔は、いわゆるバブル崩壊の前というと、老人というのは、金を持っているが、寂しい老人が多かった」
ということである。
自分たちが育ってきた時代というのは、
「家族団欒」
というのが当たり前の時代で、時として、鬱陶しい時もあったが、家族が団欒で食事をするというのが当たり前の時代だっただろう。
しかも、
「戦後の食糧難の時代」
というのも知っているので、余計に、人情というものに厚いので、昭和の終わり頃というと、次第に、家族がどんどん、バラバラになっていった時代ではないだろうか?
家に帰ってくる時間というのも、皆バラバラで、昔であれば、
「お父さんが帰ってくるまで、誰も箸をつけない」
などというのは当たり前という時代だったのに、途中から、
「父親が何時になるか分からない」
という時代になった。
ちょうど時代は、バブルの時代、
「事業拡大を行えば行うほど儲かる」
という仕組みだった。
そんな時代なので、CMなどでも、スタミナドリンクの宣伝で、
「24時間戦えますか?」
あるいは、言葉として、
「企業戦士」
などという言葉が使われるようになり、今でいえば、
「社畜」
とでもいえばいいだろうか。
そんな時代になると、家に帰ってくるのも、最終だったり、下手をすれば、
「会社に泊まり込み」
ということもあっただろう。
しかし、当時は会社も儲かっているので、
「残業手当を与えてでも、仕事をさせたい」
ということで、今のような、
「サービス残業」
というものはありえなかった。
もし、残業代を払わなければ、その社員は、すぐに、他の会社に行ってしまうだろう。その時に、会社の情報などを、
「手土産」
犯罪という名の殺人
探偵小説や、ミステリー小説といわれるものの醍醐味は、その事件の犯罪性というものにあるといってもいいかも知れない。
犯罪といっても、刑事犯もあれば、民事などでいうところの、詐欺罪というものもあったりする。
中には、
「民事にも、刑事にも含まれる」
という犯罪もある。
詐欺事件などのように、相手を騙して、財産を奪ったりして、相手から訴えられるという場合などは、
「民事事件」
ということになる。
だが、
「詐欺に遭って、それで全財産を奪われ、ショックのために自殺をしたり」
あるいは、
「詐欺に遭った人が、その苦境から逃れるために、新たな犯罪に手を染めたりする」
という場合もありえる。
だから、
「刑事では、執行猶予がついたりしても、民事では、完全に原告が勝訴」
ということも普通にある。
逆に、
「民事で、金は返ってこないが、刑事罰として、犯人は求刑通りの罪に問われる」
ということもある。
そもそも、民事事件の立件は、難しいといえるのではないだろうか?
刑事事件であれば、警察がその陣頭指揮を執ることで、警察が持っている、捜査権というものを生かして、捜査をすることができる。
もちろん、捜索令状や、逮捕令状のような、
「裁判所が認めたもの」
でなければ逮捕拘留も、家宅捜索などというものもできないのだ。
民事事件でも、同じように、民事訴訟に至るだけの証拠を探す場合には、裁判所が発行する令状というものがあり、捜査ができるということであるが、
「民事事件」
というものは、警察が立ち入ることはできないのが、一般的である。
つまり、
「民事不介入」
ということであり、
「例えば、お金を取られた」
ということであれば、これが、
「窃盗」
あるいは、
「詐欺事件」
という形の刑事事件に発展するということであれば、これは、警察権を発動することもできるが、
「刑事事件として立件できないもの」
ということであれば、警察が介入できないということになるのだ。
それだけ、
「警察の権力」
というものは大きいということなのか、いわゆる、
「個人的人権の尊重」
という憲法の問題に絡んでくるのである。
しかも、平成になってから、
「個人情報保護」
という観点から、
「プライバシーの保護」
というものが、大きな問題となっているといってもいい。
昭和の頃から、あるにはあったが、平成になってから、特に問題になってきたのが、
「ストーカー犯罪」
というものであった。
昔は、
「好きな女の子がいれば、家を確認したくて、追いかけてみる」
ということくらいは、あっただろう。
その時に、ストーカー行為をしている本人に、
「悪いことをしている」
という自覚があったのかどうかということである。
今の時代には、少なくともあるだろう。これだけ世間で、
「ストーカー事件」
として騒がれているのだから、嫌でも、
「どういうものがストーカーになるのか?」
ということくらいは、自覚できているといってもいいだろう。
それを思うと、
「昔がどうだったのかは分からないが、少なくとも、今では自覚をしているにも関わらず、やめることができない」
ということで、昔に比べてエスカレートしたことで、社会問題となり、さすがに、
「後手後手に回って、面倒くさいことはやりたがらない政府」
といっても、マスゴミが騒いだり、
「選挙で不利になる」
ということから、
「動かないわけにはいかない」
ということで、政府も、
「重い腰を上げる」
ということであろう。
さらに、
「個人情報保護」
というのは、もう一つ大きな意味もある。
それは、
「コンピュータやインターネットの普及」
というものから、問題になっているといってもいい。
というのも、
「コンピュータや、ネットが普及することによって、新たな犯罪が生まれてきた」
といってもいいだろう。
ただ、新たな犯罪というわけではなく、広義の意味では昔からあったことになるのだが、それが、
「詐欺事件」
というものだ。
昔はネットやパソコンなどがなかったので、アナログでの詐欺だったりした。
「契約書をわざと分かりにくかったり、見にくいものを作成し、相手に読む気力を失せさせる」
ということで、騙すというやり方であったり、
「昭和の終わり頃にあった」
というような、
「人情に訴える」
ということで、ターゲットを、老人に絞るというようなやり方があったのだ。
それがどういうものなのかというと、
「昔は、いわゆるバブル崩壊の前というと、老人というのは、金を持っているが、寂しい老人が多かった」
ということである。
自分たちが育ってきた時代というのは、
「家族団欒」
というのが当たり前の時代で、時として、鬱陶しい時もあったが、家族が団欒で食事をするというのが当たり前の時代だっただろう。
しかも、
「戦後の食糧難の時代」
というのも知っているので、余計に、人情というものに厚いので、昭和の終わり頃というと、次第に、家族がどんどん、バラバラになっていった時代ではないだろうか?
家に帰ってくる時間というのも、皆バラバラで、昔であれば、
「お父さんが帰ってくるまで、誰も箸をつけない」
などというのは当たり前という時代だったのに、途中から、
「父親が何時になるか分からない」
という時代になった。
ちょうど時代は、バブルの時代、
「事業拡大を行えば行うほど儲かる」
という仕組みだった。
そんな時代なので、CMなどでも、スタミナドリンクの宣伝で、
「24時間戦えますか?」
あるいは、言葉として、
「企業戦士」
などという言葉が使われるようになり、今でいえば、
「社畜」
とでもいえばいいだろうか。
そんな時代になると、家に帰ってくるのも、最終だったり、下手をすれば、
「会社に泊まり込み」
ということもあっただろう。
しかし、当時は会社も儲かっているので、
「残業手当を与えてでも、仕事をさせたい」
ということで、今のような、
「サービス残業」
というものはありえなかった。
もし、残業代を払わなければ、その社員は、すぐに、他の会社に行ってしまうだろう。その時に、会社の情報などを、
「手土産」
作品名:無限であるがゆえの可能性 作家名:森本晃次