天才のベストセラー小説
ということで、
「すぐに出てくる答えを、いかに早く正確に見つけるか?」
というものを学問だと思い、
「いずれは、それが受験勉強に繋がってくるのだ」
と思うのだった。
実際に、小学生で、
「お受験」
というものはしなかったが、もししていれば、うぬぼれかも知れないが、合格していたかも知れない。
何といっても、合格した後の、
「未来予想図」
まで自分の中にできていたのだから、
「合格できる学校は結構あっただろう」
と自分のレベルを考えれば分かっていることであった。
だが、実際には、
「本当に、中学受験をしていいのだろうか?」
と思うと、
「中学時代までは、皆と同じ方がいいかも知れない」
と感じたのだ。
「焦って、いい学校に行く必要もない」
と思い。そもそも、
「いい学校というのは何なんだ?」
ということであった。
それが分かっていないのに、中学から、進学校に行く必要はないと感じたのだ。親は、受験しないというと、意外そうな顔をしていたが、本心は、学費が必要以上にいらないのがありがたいということが、本音だったであろう。
それを思うと、
「まあ、親孝行だわ」
とも思うのだった。
だから、弁論大会に出るまでは、小学3年生の頃に自分なりに覚醒したと思うようになってから、
「すべてが思い通りになっている」
と思っていたのに、中学で初めて挫折した。
弁論大会で優勝できなかったことだが、そのわりに、ショックが少ない。それだけ、
「原稿を書けるようになったのが、うれしかったということであろう」
ということであった。
さっそく、自分でも小説を書くようになった。
その時思い出したのが、
「小学6年生の時に、メモとして書き残した殺人計画メモ」
というものであった。
あれば、正直、
「大人げない」
と思ったが、
「母親に対しての警告」
ということであった。
その頃の母親は、自分にかなり遠慮していて、父親の
「堅物のような性格」
にうんざりしているようだった。
そして、子供と夫の間の板挟みになっていると勝手に思い込んでいたように思う。
それなのに、
「こんなメモを残して母親をびっくりさせるとはどういうことなのか?」
と皆は思うだろうが。息子としては、
「少し脅かすくらいの方がいい」
と思ったのだ。
今のまま、一人で内にこもってしまうと、にっちもさっちもいかなくなる」
ということで、少し刺激を与える必要があると感じたのだ。
「少しやりすぎか?」
とも思ったが、
「もし母親が何も言ってこなければ、こちらから余計なことを言わなくてもいい」
と思ったのだ。
ただの、精神的な刺激だと思っていたからである。
その殺人メモというのは、その少し前に読んだミステリーにそのヒントがあったというもので、
「相対、あるいは正対する一対の人物が住んでいる街で、そのどちらかを殺害する」
というものだったのだ。
ある意味、
「無差別殺人」
とも思えるものだが、どちらかがいなくなればいいという発想が、物語を、ゾクゾクさせるものに変えていったのだった。
それを思い出して、メモには書いた。
もちろん、自分の住んでいる街に、そんな都合のいい人がいるわけではないので、小説に書いてあったものと同じものを、それこそ、
「メモとして」
書き残しただけのことだった。
まさか、
「あの教養のないくせに、自分が見ないものは、低俗なものだ」
と勝手に決めつけていることから、
「どうせ見ても分からないだろうし、低俗なものとしてしょせんは片付けることになるんだろうな」
と思ったのだった。
それを考えると、陽介は、少し図に乗って、
「中学に入れば、自分でも、ミステリーを書いてみようかな?」
とは思っていたのだ。
それが、
「弁論大会での原稿書き」
ということとリンクすることで、
「自分の中の興味が増幅されていき、ミステリーをこれからも書いていきたい」
と思うようになったのだ。
さすがに、最初から、本格派ミステリーは難しいと思ったのだが、いろいろなアイデアは、結構たくさん出てきたのだった。
その中で、ヒントになったのが、小学生の頃に書いた、
「殺人計画メモ」
というものだった。
あれは、
「一対のどちらかが被害者」
ということで、これは、一つの、
「犯罪のかく乱」
ということが主目的であったが、陽介が考えていると、別の発想が生まれてきた。
それを考えると、
「俺が、小学1年生の頃に、自分で自分のことを天才だといっていたのを思い出して、それがまんざらでもなかったのではないか?」
と感じるようになったのだ。
それがどういうことなのかというと、
「犯罪というものを考えると、まず最初に、完全犯罪というものを考えるだろう」
と思ったのだ。
その時の発想として、いつものごとく、陽介は、
「まったく違う方向から想像する」
ということであるが、この時に考えたのが、
「野球の投手の心理状態」
ということであった。
別に、自分が野球が好きで、ピッチャーをやったことがあるというわけではなかった。
スポーツは基本的に嫌いで、野球などは、体育の授業で、ソフトボールをしたくらいだった。
というものである。
それなのに、そんな心理状態が分かっているというのは、友達から、それらしきことを聞いて、その時は、
「ふーん」
という程度にだけ感じていたのだろうが、実際に想像してみると、イメージとしてだけは頭の奥に残ったというだけのことであろう。
というのは、
「ピッチャーってな、まずは、完全試合を目指すものなんだよ。それも、最初は、すべてのアウトを三振でとかね。だけど、最初に三振取れなければ、次は完全試合、そして、フォアボールを出せば、次はノーヒットノーランとかいう形で、どんどんその日の気持ちを切り替えるのさ。だから、最後は、勝てればいいというところに落ち着くわけで、とにかく、100から下げていく、減算法というものを考えるということになるんだよな」
ということであった。
「なるほど」
と感じた。
「減算法と加算法」
どちらも発想としてはあることだが、あいにく、陽介は、加算法の方が好きだし、性に合っているとも思っていたのだった。
しかし、学校のテストは、ある意味減算法だが、試験勉強は加算法であるといえるだろう。
それを考えると、
「勉強方法もうまくやらないと、気が付けば、すれ違ってしまい、状況を分からないまま、勉強は完璧であっても、テストは落第点ということにもなりかねない」
と感じていた。
「待てよ」
と感じたのは、弁論大会の結果だった。
自分では、
「完璧だ」
と思っていたのに、結果は、
「最悪だった」
といってもいいだろう。
これも、
「試験と、試験勉強」
ということと同じように、
「減算法と加算法」
ということが、途中ですれ違ってしまったことによって、自分で分からなくなってしまったからだろう。
それこそ、
「交わることのない平行線ではない」
ということが名実ともに分かっていることで、
「必ずどこかですれ違う」
作品名:天才のベストセラー小説 作家名:森本晃次