欲による三すくみ
という言葉があるが、それこそ、
「お前のどこに、プライドがあるということなのか?」
ということが言いたい。
つまりは、
「ユーチューブでバズって、有名になりたい」
と思ったとして、人がやったことで有名になって、何が楽しいというのだろう。
自分が、
「他の人が思いつかないようなことをして。それでバズった」
というのであれば、まだわかる。
いい悪いの問題はあるが、最初に、この悪いことをした人であれば、それこそ、
「他人の思いつかないことをした」
ということで、自己満足でもいいので、自分を納得させることはできるだろう。
だから、
「一万歩譲っても」
という言い方をしたのだ。
決していいことでもなければ、ほめられることでもない。
それでも、自分でやってみたのだから、それはそれで、ありえることだということである。
しかし、プライドも何もなく、人のしたことを真似るというのであれば、それは、
「物まね」
というものではなく、ただの、
「猿真似」
というだけだ。
芸術でもなんでもない。
そもそも、
「ユーチューブ」
というのは、配信という形で、
「芸術を発信する」
というものではないだろうか。
それが、
「ユーチューブ」
というものであり、それを他人の発想で行うというのであれば、
「芸術でもなんでもない」
ということであり、
「芸術の何たるかを分からずに、芸術でバズろう」
というのは、これほど甘い考えはないというものだ。
自分が、何をすればいいのか分からずに、ただ、他人の真似をするだけというのは、完全に、
「本能で動いているだけだ」
ということになる。
それであれば、人間である必要はない。
もっとも、
「人間というのが、一番賢くて、最高の動物だ」
などということを言おうとしているわけではないが、少なくとも、
「せっかく人間に生まれてきたのだから、人間を楽しもうという考えが人間だけに与えられたものなのかも知れない」
とはいえ、
「人生を楽しむことができない人が多い」
というような、
「世の中甘くない」
という人たちもたくさんいて、実際に戦争の被害に遭っているという人が少なくないということを考えると。
「人間ほど、甘くない動物も少なく無いだろう」
といえるのではないだろうか?
歴史を好きな女性が、いたずらをするというのは、たぶん、無意識だろう。だからこそ、他の人は腹が立つのだ。
それは、
「歴史の好き嫌いは別にしてである」
何といっても、歴史が好きな人からすれば、
「最近は、歴史を好きになってくれた人が増えたのはありがたいが、その変わり、マナーの悪い人が増えてきた」
という言われ方をするのだ。
この言われ方というのは、
「歴史のにわかファンが、こんなことをしている」
ということを分かっていっているのかどうか分からないが、少なくとも、聞いている人からすれば、
「歴史ファン全体が悪い」
と言われているように思える。
これは、キチンとマナーを守って、歴史を愛でている人からすれば、一番腹が立つことである。
その連中にも腹が立つし、自分たちを、
「一絡げ」
ということにして、すべての責任を、
「歴史ファン全体」
に押し付けようというのは、これほどひどいということはないということだ。
それを思えば、
「歴史ファンというものが、そんなにひどいということを言われるのは、実に心外なことである」
ということになるのだ。
それは、
「タバコのマナー」
にしてもそうだ。
今では、
「受動喫煙防止法」
などというのが、増えてきていて、
「タバコが吸える場所が少なくなったので、中にはマナーを堂々と破って吸っている人もいる」
これは、
「法律は守っているのだから、マナーくらい関係ないだろう」
と思っているのか、少なくとも、こんな世界にした社会、あるいは、国を恨んでいることには違いない。
しかし、そんなマナーが悪い連中をタバコを吸わない人が見ると、
「喫煙者は皆、マナーが悪い」
ということになるだろう。
ただでさえ、今の時代では、
「タバコを吸う」
というだけで肩身が狭い思いをさせられるのに、そんな中で、一人でも、喫煙者の中に、
「マナーが悪い」
やつがいると、世間の目は、喫煙者の気持ちなど分かるわけはないので、
「喫煙者=マナーが悪い」
という風に決めつけるのである。
確かに、これでは喫煙者がかわいそうだが、だからと言って、タバコを吸わない人が迷惑をこうむっているのは間違いないことで、そのために、
「喫煙者がすべて悪い」
と思っている連中を恨むのはお門違いである。
実際には、
「マナーを守らないやつが、自分たちの勝手な理屈で、堂々とふるまっているというわけで、それこそ、
「自分たち以外、仲間であるはずの喫煙者まで敵に回した」
といってもいい。
いや、それ以上に、
「マナを守る喫煙者の方から、余計に恨まれる結果になっている」
ということである。
それだけ、自分たちが悪いことをしているということに気が付いていないということなのであろう。
戦争は、戦国時代だけではなかった。江戸時代は鎖国政策も、幕府が反乱がおきないように締め付けもしていたことで、ほとんど、大きな戦乱になるようなことはなかったが、ペリー来航により、いよいよ日本は開国することになったが、そこで押し付けられた不平等条約によって、欧米列強に追い付く必要があり、
「富国強兵策」
というものを推し進めることで、国家が大いに国防と、殖産興業に向かうことになったのだ。
それによって、対外戦争もやむなしということになり、明治の二大戦争を経て、いよいよ世界の列強に頭を並べるようになると、中国進出から、大東亜戦争に突き進むことになった。
確かに、明治以降の戦争を考えると、
「日本が国防のため」
つまりは、
「生き残るためには必要だった戦争」
ということを考えると、
「戦争が必要悪だ」
という考えは、
「決して無理なことではない:
といえるのかも知れない。
しかし、今の日本は、いくらアメリカに押し付けられたとは言っても、民主国家である。
しかも、それまでの、軍国主義、そして、
「立憲君主制」
だった大日本帝国を
「徹底的に否定している」
といってもいいだろう。
もっといえば、
「日本のかつての時代時代の節目でも同じことが起こっているではないか?」
ということである。
たとえば、江戸時代に入った時、それ以前の、
「豊臣政権の遺産」
というものを、徹底的に破壊している。
もっといえば、明智光秀が信長を撃った時も、
「信長のかかわったものを、徹底的に破壊した」
という事実もある。
さらに、明治政府が倒幕を果たすと、江戸時代の徳川政権のものを徹底的に破壊、あるいは否定して。
「この世にその痕跡を残さないようにする」
ということになったではないだろうか。
特に、
「考え方」
であったり、
「イデオロギー」
というもの、さらには、伝説や、血統にかかわるものも否定したではないだろうか。