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欲による三すくみ

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 しかも、それが、パチンコ屋とは直接関係のないところがやっているということなので、ギャンブルとはいえないという、ある意味、
「法律の目を盗むようなやり方」
 であった。
 そもそもパチンコ屋というところは、やくざなどの資金源とも言われた時期があった。もし、彼らが、パチンコで資金を得られないと、今度はもっとひどいものに手を出すことになる。
 麻薬であったり、売春行為、そんな明らかな犯罪で資金を手に入れるよりも、まだパチンコによっての方がまだいいと思われていた時期があった。
 それは、昭和のいわゆる、
「戦後の動乱」
 という時期くらいであった。
 やくざというのは、
「みかじめ料」
 なるお金をもらって。地域の商店街などの用心棒として、街の治安を守るという役目をしているところもあった。
 それが、本当にいい方法なのかは分からないが、戦後の動乱の時期であれば、守ってくれる人が、やくざであろうが、ありがたいことであった。
 だから、
「必要悪」
 というものの中に、
「やくざ」
 というものが含まれているということになるのだろう。
 確かに、
「やくざの抗争」
 ということで街の治安が乱れることもあるが、もし彼らがいなければ、無法地帯となって、治安以前の問題になっていたのかも知れない。
 それを思うと、民主国家になってから、警察の権威は失墜した。それまでの、
「国家権力の象徴」
 というほどの、威張り散らした警察はいないのだ。
 しかも、治安維持法に守られた国家権力として、
「特高警察」
 というものは、それはひどいものだったという。
 いうことを聞かせるために、拷問が日常茶飯事だったことで、国民は震え上がってしまい、国家権力が、強制的に、治安を守るというそんな時代だったのだ。
 それが、敗戦によって、民主国家になった。警察の権威よりも、国民の人権であったり、
「自由、平等」
 という精神が、警察による取り締まりも、あくまでも、法律の範囲内ということになった。
 だから、民主国家では、治安維持法のような恐ろしいものは存在しない。そういう意味で、戦前の、
「立憲君主国家」
 だった、
「大日本帝国」
 では、治安維持法というものこそが、
「必要悪だった」
 と言ってもいいのかも知れない。
 必要悪の中には、
「えっ、どうしてこれが必要なの?」
 と思うものもある、
 その代表例としては、
「戦争」
 というものではないだろうか?
「人を理不尽に殺傷する戦争というものが世の中で必要とされるというのは、どういうことなのか?」
 と考えられることであろう。
 確かに、戦争というのは、
「いつの世であっても、なくなることはなかった」
 と言ってもいい。
 太古の昔から、人間は戦争をしてきた。最初の頃は、生活するために必要な水であったりを求めて、土地の問題での小競り合いなどから、次第に武器を使っての殺し合いのようなことをするようになってきた。
 日本でも、縄文時代までは、そこまではなかったことだろうが、弥生時代に入って、稲作を行うようになると、
「水」
 というものが必要になり、その水のために、川の領有が問題になる。
 だから、隣の村と戦争になったりするのだが、それが次第に国が生まれてくるようになると、
「土地の拡大」
 ということを目指すようになる。
 そこに、
「村の治安」
 としての秩序のようなものが起こってくると、中には欲によって、支配を考える人も出てきて、内乱によって、村長が交代することもあるだろう。
 そうなると、今度は、外への侵略を考えるようになる。
 侵略される側は、村を守ろうとして、そこで、戦争になるというのも、無理もないことであり、それが結果として、戦争によって、
「吸収合併」
 のようになり、次第に、大きな国家ができてくるようになるのであった。
 そして、国が一つにまとまると、
「邪馬台国」
 であったり、最終的には、
「大和朝廷」
 のような、一つの国家となることになるのだろう。
 日本の場合は、その朝廷の中心にいるのが、
「天皇」
 という、昔からの、絶対君主といえる存在があったので、朝廷ができてからは、
「一つの国家による中央集権」
 というものに進んでいくことになる。
 ただ、日本と違い中国は、絶えず、
「国家が変わっていく」
 ということになった。
 途中には、
「三国志」
 あるいは、
「春秋戦国時代」
 という時代もあり、王朝がどんどん変わっていく。
 とは言っても、日本でも、時代という意味では何度も変わっていった。
 途中から、武士がおこってきたことで、それまでの、
「天皇による中央集権」
 といわれる、いわゆる、
「律令制度」
 というものが崩壊し、武士によっての、
「封建制度」
 というのが生まれてくる。
 これは、律令制においては、公家や貴族中心の世の中に、いくら武士というもののような、
「戦闘集団」
 というものがあっても、それは、
「荘園を守る」
 という意味でのことでしかないということになり、あくまでも、
「武士というものは、貴族よりも下」
 としてしか見られていなかったのだ。
 しかし、それが、貴族同士の勢力争い、さらには、天皇の後継者問題などというものが絡んで、戦争が起こると、武士がどんどん力を持ってくるようになると、
「貴族には抑える力などあるわけはない」
 ということになるのだ。
 そもそも、貴族のように、平和ボケをしていて、それこそ、世間知らずの連中に、何ができるというのか、それこそ、
「貴族というのは、今の時代でいえば、政治家のようなもので、本当に腐っている存在ではないか」
 ということになるだろう。
 貴族というのが、どれだけ腐った存在なのかというと、今の政府を見ていれば分かる。
 やっている政策は、国民の意志をまったく無視したものが多く、
「何をいまさら法整備をしようというのか?」
 というものもある。
 それこそ、本当にしなければいけない時に何もせず、ある程度収拾がつき始めた時に、何かをしようなどというのは、それこそ、
「何を考えている」
 と言われ、
「政策が後手後手に回る」
 ということで、国民が政府を信じなくなってくるのだ。
 しかも、もっと悪いのは、
「それに対抗すべき野党の存在が、政府与党よりも、さらに情けない状況になっている」
 ということであった。
 今の政府であれば、野党が追及して、追及できるだけのことを野党がやってくれれば、
「政権交代」
 ということもありえるはずだ。
 しかし、それが実際にできるわけではない。
「野党の政府と同じようなことをしているではないか?」
 ということで、汚職であったり、言動なども、あとから、国民に指摘され、マスゴミなどから追及されることで、慌てて、釈明会見を行うなどという、情けなさであった。
 中には、釈明ところか、
「自分は悪くない」
 と言い切って、国民に逆らう姿勢を示す議員もいる。
 そんなやつが、一億国民を敵にして、一人で戦えるわけもなく、結局、にっちもさっちもいかなくなって、結局辞任に追い込まれることになるだけだ。
作品名:欲による三すくみ 作家名:森本晃次