欲による三すくみ
ということに似ているといってもいい。
それはあくまでも
「後ろの言葉が、その神髄である」
ということであれば、必要悪と、偽善の関係というのも、分かり切ったことだといえるのではないだろうか。
「偽善というものは悪」
であり、
「必要悪というものが善だ」
ということに、一刀両断で考えていいものだろうか?
ということになる。
「善悪」
というものを考えた場合、そのすべてにおいて逃げられないものというのは、
「善からは逃げられない」
といえるのではないだろうか?
「悪というものと善を比べれば、勧善懲悪というものはありえるが、勧悪懲善というものはあり得ない」
といえるだろう。
つまり、
「同じ数だけ善と悪に分かれていれば、最終的には、悪が本当の悪だけが残ることになり、最後には、正義が勝つ」
と言ってもいいだろう。
だから、必要悪と呼ばれるものは、完全な善ではないことから、参加できないが、逆に、偽善も参加できない。
さらに、必要悪と偽善では、
「どっちの方が数が多いというのか?」
ということを考えてみる。
偽善というのは、表に正体を見せないようにするものであり、必要悪というのは、逆に、自分が善だとは思っていないので、悪だという意識から、まわりに知られないようにしようと考えるであろう。
だから、必要悪も、偽善者も、
「どれだけの数がいるか?」
ということは分からない。
それでも、必要悪というのは、まわりからその存在を認められている。それが、
「パチンコ」
などという遊戯だったりする。
逆に偽善というと、
「人を騙して私腹を肥やす」
というような、詐欺にかかわる連中のことをいうのだろう。
詐欺における偽善行為は、やっている本人たちは、
「これは偽善だ」
ということは分かっているだろう。
自分たちが、
「悪者だ」
ということを意識しているからであり、だから、
「確信犯だ」
と言ってもいい。
彼らは、自分たちのことを、
「悪である」
ということを分かってやっているのだ。
それは、偽善というものが、
「表向きにやっていることが善であることで、心根としては、悪であっても、自分たちが善であるという錯覚をしてしまうのであろう」
それだけに、
「相手を騙す」
ということが簡単にできるのだ。
というのは、
「偽善者というのは、本当の偽善者にしかできない」
ということだからである。
中途半端な気持ちで偽善行為をすれば、
「本来なら、偽善行為というものは、相手を騙すということでの、表向きの善である」
ということになるのに、実際には、
「相手を騙すという気持ちがなければ、そのうちに、後ろめたさによって、自分がやっていることが何なのか分からなくなるのだ」
ということである。
だから、
「偽善というものは、誰にでもできるものではない」
ということになり、
「必要悪」
というのも、善の心が最終的に、悪を抑えることができないと、本当の悪になってしまう。
そういう意味で、
「お互いに、なろうとしている本質の性格でなければ、務まることではない」
ということになり、それだけ、
「偽善も、必要悪も、自分の中で、覚悟のようなものが必要だ」
といえるのではないだろうか?
それを考えると、
「善と悪」
というものが、それぞれに相対するものであれば、
「偽善と必要悪」
というように、それぞれに相対するものがあり、それが、
「善悪の正体となる」
と言ってもいいのではないだろうか?
その感覚が、
「中の下」
「下の上」
というものの本質を見極め。いずれは、
「大分類における、大中下というものの本質に近づくことになるのではないか?
ということになるであろう。
これから、
「偽善と必要悪」
この二つが、いずれ、見極められることとなるだろう。
必要悪
世の中にある
「必要悪」
というものに、
「タバコ」
「食品添加物」
「やくざ」
「戦争」
などというものがあげられている。
似たような意味で、一つ考えられるのが、
「パチンコだ」
といえるのではないだろか?
パチンコというと、皆、
「ギャンブルだ」
と思うかも知れないが、法律的には、あれはギャンブルではなく、遊戯といえるもので、パチンコ屋というのは、ゲームセンターと同じくくりだと言ってもいいだろう。
だから、パチンコ屋というのは、風営法という法律で、ゲームセンターと同じ扱いになるのであった。
風営法というと、
「風俗関係」
と思われがちだが、実は、普通の飲み屋であったり、ゲームセンターのような娯楽施設も、風営法で管理されることになる。そもそも、風俗関係もそうなのだが、風営法というのが、実際に一番強いというわけではない、
というのも、営業時間なども、基本的には、風営法によって規定されてはいるが、実際の法律としては、都道府県条例というものがあり、これは、
「都道府県で勝手に決められる」
というものなので、
「風営法の範囲内」
ということで、都道府県ごとに決めることができる。
だから、例えば風営法の営業時間が、「午前6じから、午前0時前までと決まっていれば、その範囲内であれば、条例で都道府県ごとに決めることができ、店もその条例の範囲内で営業時間を決めるのだ。
さらに、ソープのような、特殊風俗となると、都道府県条例は結構厳しかったりする。
「〇〇町1丁目以外では建設してはいけない」
などという決め方である。
特に大阪に至っては、
「ソープランドを建設してはいけない」
ということになっているので、風営法が変わらない限り、大阪でソープを作ることは、ありえないと言ってもいいのだ。
というのは、風営法で、
「ソープランドは、新規参入してはいけない」
ということになっている。
既存の店が支店を作ったり、別館として利用するのはいいが、それ以外はダメになっている。
しかも、コンセプトに合わせて、店内を完全に改造してしまうことも許されない。だから、大阪では、ソープ開業は、
「すべてが新規」
ということになるので、
「今後はありえない」
ということになるのだ。
特殊浴場のような性的特殊風俗は、法律的にもかなり厳しい状態だと言ってもいいだろう。
必要悪の中にあるパチンコというのは、
「遊戯」
というと、かなりの人が、違和感を感じることだろう。
それは、
「現金に換金できるのだから、ギャンブルではないのか?」
と思うのは当たり前のことである。
しかし、それも、
「三店方式」
というやり方があり、それが、パチンコ屋というものに大きな影響を与えているのであった。
パチンコ屋では、景品に交換するところまでが、
「パチンコ屋の仕事」
ということになる。
「じゃあ、換金所は何なんだ?」
ということになるが、
「あれは、景品を現金に返る商売で、そう、近いといえば、質屋に近い感覚というか、景品という商品を買ってくれるところがある」
ということになるのだ。