欲による三すくみ
と呼ばれるものがあるが、それは、昭和の頃とは少し趣が違っているといってもいいだろう。
今の、
「サービス残業」
というものは、
「残業申請をすることなく、仕事が終わらないから仕方なくしている残業」
というものである。
よく言われる、
「ブラック企業」
と呼ばれるところに多くあるもので、
「法律上では、ありえないサービス残業を、曖昧な形でさせる」
というのがブラック企業というものである。
今の時代は、
「コンプライアンス」
というものがしっかりしているはずで、
「セクハラ」
「パワハラ」
あるいは、
「モラハラ」
などと言われるたくさんの、
「ハラスメント」
というものが、社会において問題となるのだ。
だから、法律が整備され、最初の頃はそれに沿った形での企業体制にもなっていたのだろうが、会社としても、
「そうきれいごとばかり言っていられない」
ということなのか、法の整備はできても、それを取り締まったりする行政が、ちゃんとできていないから、
「ブラック企業」
などというものが蔓延るのだ。
今の時代において、いや、今の時代だからこそ、そういう
「立法」
と、
「行政」
というものをしっかりと賄っていくようにしなければいけないのに、実際には、
「立法が先行してしまい、それに行政がおいついてこない」
と言ってもいい。
もっといえば、警察や自治体などが、違反者に対して何もできないという状況がまずいのだということに気づいていないということが問題なのだ。
そんな今のような時代において、さらに、政府がひどい状態になるのだから、行政が追いつくわけがないということになる。
令和という今の時代も、
「救いようのない時代」
であるが、そもそもは、以前の政治家が
「取りこぼしてきた問題のツケが回っている」
と言ってもいいだろう。
「やるだけのことをやって、世の中を変えたなどとうそぶいていた政治家たちがたくさんいたが、それこそ、歴史が答えを出してくれる」
ということであるとすれば、
「出した答え」
というのが、どういうものなのかというと、
「引き返すことのできないところまで来てしまった」
ということであろう。
それが、過去の遺産として、
「国の返し切れるはずのない借金」
であったり、
「少子高齢化」
という問題。
さらには、
「地球沸騰化」
と言われる、今までの、
「地球温暖化」
という言葉をはるかに凌ぐ、とんでもない世の中に、負の遺産を残したということになるのであろう。
それは、昭和の時代から続いてきているものであり、その時代に残した、
「負の遺産」
というものが、今の時代にも残ってしまっているといっても過言ではないだろう。
というのが、まずは、
「原爆問題」
である。
戦後、80年以上も経っているのに、いまだ、
「国の補償問題というのが残っている」
というのはどういうことであろうか?
確かに範囲を決めなければいけないということは当たり前で、例えば、
「爆心地から、半径数キロ以内」
などということで制限を掛けてしまっていて、実際には、そこから遠いところでも、原爆認定されるべき人がいて、その人たちがどんどん訴訟を起こすことで、いまだに解決していないということになる。
国はそのたび、どんどん幅を広げていくことになるのだが、考えてみれば、
「最初から幅を広げておけば、こんなに長引くことはないのだ」
といえるだろう。
目先の損益というものを考えてしまったことで、自分たちが、それを解決できずにいることで、そのままどうすることもできなくなり、結局、再度裁判で認めなければいけなくなるということは、
「裁判が長引いて、それだけ税金が使われる」
ということになるのだ。
被害者は気の毒であるが、それ以上に、政府の対応のまずさが、余計に問題を大きくしたり、長引かせることになるのだ。
さらには、高度成長時代の、
「負の遺産」
としての、公害問題である。
こちらは、もっとひどく、
「分かっていたことを、何とかごまかそうとして、被害を拡大させたなどという事実があることで、なかなか、審議が続くわけもない」
ということであろう。
裁判中に、どんどん、過去の酷い問題が浮き彫りになってくることで、
「政府は信じられない」
と、裁判の原告側だけでなく、ニュースを見た国民も、次第に、
「国は信じられない」
と思わざるを得なくなるであろう。
それを思うと、
「今の世の中、いくらごまかそうとしても、うまくいくはずなどない」
ということは、その頃にすでに分かっていることであろう。
特に、ここ10年くらいの間で起きた、世間を騒がせる事件としては、
「公害問題にまったく学んでいない」
と言ってもいいだろう。
特に、
「食品業界における産地偽装」
であったり、
「スポーツ界の暴力事件」
など、一つが出てくると、どんどん、その模倣からなのか、どんどん、あとからあとから出てくるというものである。
「産地偽装問題」
というのは、確かに一つ出てくれば、次から次に出てくるというものであった。
これはあまりにも、出方が芋ずる式だったということもあって、
「最初の事件発覚は、誰かのリークか何かであり、マスゴミなどが、他の秘密を握っていて、いまだとばかりに、情報を一気に放出したことで、大きな社会問題になった」
ということではないだろうか?
本来であれば、弾けるばかりの情報が、マスゴミにはあって、
「それが、一つの発覚によって、一気に溢れたと言ってもいいのではないだろうか?
というのは、
「まるで、バブルの崩壊のようだ」
と考えられるのではないだろうか?
バブルの崩壊というのは、いきなり起こったように感じられ、もっといえば、
「どうして誰も気づかなかったんだ?」
ということになるだろうが、
「気づかないわけはないじゃないか」
と思える。
もし、これが一人の問題であれば、
「気づかなかった」
などというと、たとえば、経済評論家などであれば、死活問題と言ってもいいかも知れない。
本来なら、
「気づいていた」
と言いたいのかも知れないが、言えないという事情があったのだろう。
もしそれを口にして、社会がさらにパニックにならないかということを考えると、
「じゃあ、どうすればよかったのか?」
ということになるだろう。
バブル崩壊というものを考えると、過剰融資というものが一つの問題であった。
これがどういうことなのかというと、
「当時のバブル期は、事業を拡大すればするほど儲かる」
と言われていた。
だから、企業は事業拡大のために、資金が必要になる。そしてそれを銀行に委ねるということになるのだ。
銀行とすれば、
「金を貸しても、間違いなく、貸した会社は儲かって、自分たちも潤う」
と思っているのだから、
「銀行のこの場合の利益というのは、利子によるもの」
ということであるから、
「それであれば、たくさん貸す方が、戻ってくる金がたくさんになるから、銀行も儲かる」
ということだったのだ。
しかし、バブルが弾けると、企業が回らなくなる。