欲による三すくみ
「作家としてデビューしたい」
と思っている人がほとんどであろう。
だから、新人賞受賞後のことも、頭に入れていることなのは分かり切っている。
しかし、中には、それが分かっていても、新人賞を受賞したことによって、自分の才能が、
「本当は、受賞作で燃え尽きた」
ということに気づいていない人も多いだろう。
逆に、
「自分は受賞で燃え尽きた」
と自覚する人もいるだろう。
次回作を、もちろん、出版社も期待するし、自分では、
「それにこたえなければいけない」
という風に考えてしまう。
だから、そのことを考えてしまうと、余計にプレッシャーに掛かり、
「まさか自分がこんな風になるなんて」
と想像もしていなかったような、まだデビューもしていないのに、スランプに陥るということになるのであった。
実際に、そういう小説家のタマゴと言われる人たちがたくさんいるという。
「新人賞を取ってから、次回作が書けなくて、そのまま消えていく人」
あるいは、
「次回作まで発表にこぎつけることはできたが、その内容への批判がひどく、精神的に病んでしまい、そこから先の執筆活動ができなくなってしまう人」
そういう人は、小説界から足を洗う人もいれば、新人作家のまま、原稿の依頼がないまま、作家として中途半端な状態で、
「アルバイトをしながら、食いつないでいる」
という人や、
「奥さんの稼ぎ」
で生活をしている人というのも少なくはない。
自分は、文筆界において、とりあえず席が残っているということで、
「できる執筆界のアルバイト」
というものをしているということになるのだ。
それがどういうものなのかというと、これが皮肉なことなのだが、
「下読みのプロ」
と呼ばれることをしている人もいるのではないだろうか?
この、
「下読みのプロ」
と呼ばれるものは、そもそもが、自分が執筆界に入ってくるきっかけになった、
「出版社主催の新人文学賞」
にかかわりのあることであった。
これは、一般的には知られてはいないことで、出版社が、
「審査に関しての問い合わせは一切不可」
と言っているところでもあった。
実際の審査としては、ほとんどのところは、
「第二次歳差」
というのが、予選のようなもので、
「最終審査が後残っている」
ということになる。
応募要項などに乗っている、
「有名作家の審査員」
というのは、この最終審査でしか出てこないのだ。
だから、ほとんどの作品は、最終審査のプロの人に読まれることもなく消えていくということになる。
そんな中で、第一次審査というものの合否を決める人が、
「下読みのプロ」
と呼ばれる人たちである。
彼らは、
「送られてきた作品のいくつかを受け持つ」
ということになる。
そして、彼らがそこで審査することというと、実際には、
「審査と呼ばれるところまで行っていない」
と言ってもいいだろう。
「下読みのプロ」
と呼ばれるように、第一次審査というのは、あくまでも、下読みでしかない。
下読みというものは、
「誤字脱字などがないか?」
ということであったり、
「執筆作法の最低限のマナーが守られているか?」
というあたりを審査するのであり、
「作品の良し悪し」
というものにはまったく審査を入れるものではない。
ということになるのだ。
「段落がちゃんとできていなかったり、誤字脱字が多いということになれば、その時点で、最後まで読まれることもなく、落選する」
ということだ。
だから、文学的にどんなにいい作品であっても、
「下読みのプロ」
の段階で落とされてしまうということになると、結局、
「作品評価ということに至るわけもなく、ひょっとすると、優秀作品がこんなところで埋もれてしまう」
ということになるかも知れない。
だから、中には、最初の応募で、一次審査で落とされた作品ということであっても、再度の推敲を行い、他の新人賞に応募すれば、そこで、新人賞受賞したということになるかも知れない。
もちろん、まれであるということは当たり前のことだろうが、こういう審査方式を取っている以上、ありえないことでもないということになるのだ。
下読みのプロというのは、よく考えると、
「自分の作品でもないのに、これからプロを目指すという過去にあった自分の心意気いを持っている人たちの作品を読むことが精神的に耐えられるものなのか?」
と思えるのだ。
確かに、
「新人賞を取ったのだから、これからプロになるということで、執筆活動に専念するために、会社を辞めてしまった」
という人もいるだろう。
しかし、出版業界、あるいは、作家のプロというのが、そんなに甘くはないということを身に染みて感じさせられたということになれば、
「会社を辞めてしまい。退路を断ったことが、どれほど自分を苦しめることになるかというのを、感じさせられることであろうか?」
その行きつく先が、
「下読みのプロ」
というわけだ。
いまさら会社に戻れるわけもないし、かといって、他の仕事に就くのも怖い。
では、小説家として、
「文筆界にいるしかない」
と思うと、
「下読みのプロでも仕方がない」
といえるのだろうか。
「俺がそれまで持っていたプライドってどこに行ってしまったのだろうか?」
ということを考えてしまうと、
「下読みのプロ」
に徹することは、持っていたであろう自分のプライドを著しく傷つけるものだということになるであろう。
そうなってしまうと、
「これからどうすればいいのか?」
ということになり、サラリーマン生活しかしたことがなかった人間が、どこの会社に所属するということもなく、一匹狼といえば聞こえがいいが、実際には、
「依頼がないと何もできない」
ということで、食っていくために、アルバイトで食いつなぐということになるのであった。
「こんなことなら会社を辞めなければよかった」
と思うのは当たり前のことで、ひょっとすると、
「小説家になりたいなどという夢を見るのではなかった」
というところまでさかのぼって、後悔することになるであろう。
「一度は、新人賞という高みを見ることができた」
というのは事実であって、ただ、それが最終目標というわけではなかったのだ。
それを最終目標だということにしてしまうと、
「それ以上の成長はない」
ということになるわけで、それまでに、いくつも段階があり、その段階が、自分のターニングポイントになるということも本当は分かっていたはずなのだ。
しかし、
「さすがに、新人賞を取って、あからさまに、自分の限界のようなものを知ることになるなんて」
ということを感じてしまうと、
「小説家というものが、どういうものなのか?」
ということになるのかを考えさせられてしまうだろう。
「やはり、自分には無理だったのか?」
と考えるが、そもそも、最初の頃は、
「どうせ俺には無理なんだ」
と思っていたはずだ。
それは、そこまで深い考えではなく、
「小説家のプロになれれば、儲けもの」
というくらいの軽い気持ちだっただろう。