小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

欲による三すくみ

INDEX|16ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 などということが起こらないとは限らない。
 それを考えると、
「万引きの方が、もし見つかっても、初犯ということで、そんなにひどい刑に問われることもないし、場合によっては、前科もつかないかも知れない」
 と思い。
「万引きに走る」
 という人もいることだろう。
「買い物依存症」
 などに走る女性は、ある程度、裕福なところの女性が多いだろう。
 中には、万引きが楽しきなって、やめられなくなるという人もいるかも知れない。
 そうなると、もう、
「お金の問題」
 ということではなくなり、
「お金があるのに、万引きをする」
 という人が増えてくるだろう。
 そうなると、
「脅迫者もやりやすい」
 ということになる。
 万引きをとらえて、それが、マダムのような人であれば、
「警察に突き出されることを思えば、まだあるお金の中から、脅迫者に渡す方がまだマシだ」
 と思っている人も多いのではないだろうか?
 本当であれば、
「脅迫者に屈する」
 というのは、
「プライドが許さない」
 ということで、その屈辱に耐えられないことなのだろうが、万引きを、
「したなければならない」
 というやむを得ない事情でしているわけではないのだから、彼女たちに。
「屈辱」
 というものはないのかも知れない。
 それを考えると、
「お金を脅されても、別に構わない」
 と考えるだろう。
 要するに、
「一番被害の少ないのはどれなのか?」
 ということだけを考えるであろうから、
「お金を払えば、それで終わる」
 という考えに至ることだろう。
 しかし、それは、一番甘い考えであった。
 というのは、
「一度お金を渡してしまうと、脅迫者は味を占めて、金づるにしてしまうことで、脅迫はずっと続く」
 ということである。
 もし、これが、
「自分が相手の立場だったら?」
 という風に考えれば、そして、
「悪党というものの欲がどういうものであるか?」
 ということを考えられれば、
「お金を渡す」
 などという選択肢があろうはずがない。
 というのも、
「何しろ、そもそもの問題は、自分の中にある欲というものが引き起こしたものだ」
 ということである。
 それがたとえ、
「ストレス解消」
 という目的と、相手側の、
「お金を手に入れたい」
 という目的がまったく違っているということから考えると、それは、
「確かに、立場が違っているから、それも仕方がない」
 ということで、考えないようにするかも知れない。
 だが、どう考えても、
「何かの事情を免罪符にして、犯罪を犯す」
 ということは許されることではない。
 それこそ、事情というものが、いかに自分たちを正当化しても、どうしようもないことだ。
 最近では、ネットの世界で、
「私的逮捕」
 というようなものがあり、警察が捕まえられないようなことを、
「個人で捕まえるということが横行している」
 という。
 それだけでも許されないことだと思えるのに、こともあろうに、逮捕をする連中は、
「正義」
 という言葉を免罪符にして、それを動画にとって、ユーチューブなどで流すなどという暴挙を行っている。
 これが法治国家の日本で許されていいものだといえるのだろうか。
 特に。
「プライバシーというのは誰が検証するのか?」
 ということである。
 撮影者側が、相手を勝手に判断し、モザイクなども薄くしたりしているという。それも、司法による判断」
 というわけではなく、捕まえる者が勝手にやっているということだ。
 確かに現行犯であれば、警察のような逮捕権がなくとも逮捕することができるということであるが、だからと言って、まだ警察に逮捕もされていない人の顔を映して。それを自分たちの判断で晒すというのは、許されることであろうか?
「もし、冤罪であれば、取り返しがつかない」
 ということになるだろう。
 やつらは、確かに、
「正義という言葉を免罪符にして、自分たちのストレスを晴らすため」
 ということで、それこそ、
「依存症と同じではないか」
 といえるのではないだろうか。

                 脅迫と詐欺

 偽善というものが、
「悪の権化」
 であり、それが分かっているということから、
「確信犯ではないか?」
 ということを考えられるというのは、無理もないことではないだろうか?
 確かに、詐欺というのは、
「悪いことをしている」
 と分かっていてしているわけで、特に昭和の終わり頃にあった、
「卑劣な詐欺事件」
 と言われた、
「老人を狙った詐欺事件」
 というのが横行したことがあった。
 その事件では、会社ぐるみの詐欺事件であったことで、マスゴミがその情報を手に入れて、社長宅の、
「囲み取材」
 というものを試みた時、不審者が忍び込んできて、カメラの前で、
「社長殺害」
 ということが行われたという意味でも、大きな社会問題となったのだ。
 そのせいか、いまだに、
「老人を狙った詐欺事件が後を絶たない」
 何といっても、
「一番騙しやすい」
 といえるからであろう。
 しかも、
「お金を持っているのは、老人だ」
 ということが、まるで神話のごとく言われている時代から受け継がれた考えだった。
 しかし、実際に今はそんなことはない。
 特に、
「社長殺害事件」
 というものが起こった昭和の時代までとは、まったく時代が違うのだ。
 特に、当時は、
「55歳が定年退職で、退職すればそのまま年金がもらえる」
 という時代だったのだ。
 今のように、
「定年が60歳で、年金が65歳からしかもらえない」
 という時代ではない。
 まるで、今の時代が当たり前のように思われているかも知れないが、
「生活していくためのお金」
 ということで、国が支給するわけではなく、自分たちが積立ててきたお金を金が預かっているだけの年金制度というものが、崩壊したのだ。
 だから、
「今が当たり前ではなく、むしろ、昔が当たり前だった」
 ということである。
 昔であれば、55歳で定年を迎えれば、
「悠々自適で、奥さんと海外旅行にいそしむ」
 などということが当たり前のことであり、
「定年退職まで頑張って働く」
 という励みになったのだが、今の時代は、その大切な年金を、
「国が無駄遣いをして、食いつぶしたために、5年間という期間の空白期間を生むことになった」
 ということである。
 つまり、
「65歳まで働かないと暮らしていけない」
 ということである。
 しかも、65歳からもられるはずの年金も、
「それまでもらっていた額の半分以下」
 というひどいものである。
 もちろん、そこには、
「少子高齢化」
 ということで、納税者人数の減少と、老人人口の増加という、大きな問題が孕んでいるということは忘れてはいけないことであった。
 それこそ、
「国こそが大きな詐欺集団だ」
 と言われても仕方のない時代になってきたのだ。
 だから、本来であれば、
「老人を狙うのは、お門違いだ」
 ということだが、実際にはそうではない。
 なぜかというと、民主主義というのが大きな問題なのだ。
 民主主義というのは、
「自由を得るために、平等を犠牲にした」
作品名:欲による三すくみ 作家名:森本晃次