欲による三すくみ
「パチンコというものがギャンブルだ」
と言われるのは、まさにそういうことなのであろう。
それは、買い物依存症というものにも似たところがあるかも知れないが、見た目には、
「まったく違う」
といってもいいだろう。
買い物の場合は、パチンコのように、
「勝った負けた」
というものがない。
しいていれば、
「出資ばかり」
ということになる、
だから、基本的には、
「収入の中でいかに、出資をねん出するか?」
ということになるのだろうが、それが、
「依存症」
ということになると、こちらも、
「気が大きくなって、曖昧な気持ちになる」
というものである。
そもそも、
「買い物依存症」
というものになる原因というと、
「ほしいものがあって、それを買いたい」
と思うことが緒季節的な原因ではない。
確かに、買い物をすると、欲しいものを手に入れたという、、
「達成感」
のようなものが生まれてくる。
しかし、そこで、
「お金がもったいない」
という気持ちも心の奥にはあって、その間の葛藤が、買い物を抑止するといっても過言ではないだろう。
だが、依存症になる場合の一番多いパターンは、
「精神疾患」
のようなものが影響しているのではないだろうか。
例えば、
「最近では多くいわれている。会社においての、セクハラ、パワハラなどという、コンプライアンス違反などによるもの」
あるいは、
「育児などを、旦那が手伝ってくれないなどということで起こってくる、プレッシャーのようなもの」
これらのものが、
「ストレス」
となって、どうしていいのか分からなくなり、欲望に走るようになると、そこで、求めているものが、
「達成感だ」
ということに気づくと、そこから生まれるものは、おのずと、
「買い物症候群」
と呼ばれるものだということになるだろう。
買い物をして、ほしいものが手に入るということが、どれほどスカッとすることなのかということを覚えると、一種の
「ギャンブル」
での、
「大勝ちをした時」
というような気持になるのではないだろうか。
「パチンコも、自分のお金から投資して、大当たりを何度も見せてもらえて、それがストレス解消になり、しかも、その日だけはお金が儲かる」
ということであるから、当然のごとく、
「パチンコというものをするということが、どれほどのストレス解消になるか?」
ということが分かるのと、結果としては、
「買い物依存症」
というものも同じではないだろうか?
しかも、ギャンブルのように、嵌ってしまえば、どこまでもというわけではなく、
「決まったお金」
ということが、
「ギャンブルとは違う」
ということで考えさせられるというものであった。
それを考えると、
「パチンコと買い物であれば、まだ買い物の方がマシ」
と考えるのかも知れない。
しかし、一度嵌ってしまうと、
「ほしいものは、なんでも手に入る」
というような錯覚に陥ってしまうのかも知れない。
確かに、自分が得た収入の中であれば、それもいいだろう。
しかし、一度嵌ってしまうと、いくら、
「収入の間だけ」
といっても、それまでに、計算していた以上のお金を使ってしまうと、買い物ができなくなり、
「それが大きなストレスを生む」
ということになるのだとすれば、
「それは、どうしようもないことだ」
と考えてしまうだろう。
下手をすると、
「消費者金融に手を出してしまう」
ということになりかねないといえるのではないだろうか。
一番恐ろしいのは、
「それが旦那にバレて、せっかくの家庭が壊れてしまうことが恐ろしい」
ということである。
主婦の中には、
「買い物をする」
ということが目的なので、
「購入したものに未練があるわけではない」
ということになり、
「ネットオークションにかける」
ということも結構行われていた。
以前であれば、
「リサイクルショップに売る」
ということであるが、少しでもお金にしたいということで、ネットオークションが流行っているともいえるだろう。
それは、
「ものに対しての終着がない」
ということで、
「買い物依存症」
というのは、
「一時だけの、達成感が満足感になり、ストレスが解消される」
ということだからである。
ただ、その売ったお金を資金として、新たな買い物をしようというのであれば、次第に「使える金額がどんどん少なくなっていく」
ということになり、結果として、
「まるで、マトリョシカ人形か、合わせ鏡のようになってしまう」
という考え方であった。
「マトリョシカ人形」
というのは、
「人形が蓋になっていて、それを開けると、その中から小さな人形が出てきて、さらに開けると、また小さな人形が出てくる」
というもので、
「合わせ鏡」
というのは、
「自分の左右に鏡を置いて、そこに映る姿というのが、永遠に鏡と自分の姿になっている」
というもので、
「マトリョシカ人形というものと、合わせ鏡」
というものは、
「限りなくゼロに近い」
という存在になるだけで、
「ゼロには決してならない」
ということである。
それは数学的な考えで証明されるというもので、
「整数からどんなに整数を割り続けても、永遠に続く限り、決してゼロになるということはないのだ」
という考え方である。
ただ、お金に関して、あるいは、人間の欲に関しては、抑えが利かない。
ゼロを超えてマイナスになっても、
「ストレスが残っていて、その解消法というものを知ってしまった以上、そこでやめるということはできない」
ということになるのだろう。
それを思うと、
「依存症というものの解決は、無限に無理なのではないか?」
といえるのであった。
そんな依存症というものが巻き起こる中で、
「それを付け狙う」
という人がいないわけでもない。
それが、長門警備員が、以前やっていたことであった。
万引きなどで、中学生、高校生というのがたくさんいる中で、彼らや彼女たちに手を出すわけにはいかない。
何といっても、
「金を持っているわけではないし、未成年」
ということである。
下手をすれば、こっちが足がつくことになってしまう。
なぜから、
「何かがバレても、まだ未成年だから」
ということ、あるいは、
「家族などに相談する人も出るかも知れない」
ということであった。
それよりも、数は少ないかも知れないが、
「買い物依存症」
になってしまったことで、お金が無くなってしまい、買い物というものができなくなったことで、何をするのかというと、結局、
「達成欲」
あるいは、
「満足欲」
というものが得られなくなり、そのために、またストレスに逆戻りということになると、
「消費者金融で金を借りるか?」
あるいは、
「万引きをすることで、自分の欲を満たすか?」
ということになる。
消費者金融の人もいるだろうが、
「やくざが怖い」
ということで、、餡引きを選ぶ人もいる。
消費者金融などに手を出して、返せなくなったら、テレビドラマなどでよく見ることとして、
「風俗に売られる」