黒薔薇研究会の真実
「相性という問題ではなく、こっちがダメだと思うと、相手も間違いなく、うまくいかないと感じることで、最初から無理なものを押し通すことになる」
といえるだろう。
つまりは、
「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」
ということで、
「マイナスというものは、プラスをいかに工夫しようとも、マイナスはマイナスでしかない」
ということになる。
そのことを感じさせると、
「黒薔薇研究会」
というものは、
「結局自分たち4人だけのものではないか?」
と考えるようになり。スタッフと残った部員との間に、目に見えない確執があるということになるのであろう。
だが、
「スタッフ4人が同じ発想は同じ趣旨で結びついているのか?」
ということは一概には言えない。
というのは、
「逆にこの4人は、その考えが違っている」
と言ってもよく、このサークルの趣旨である、
「殺し方の種類」
という、最初に始まった論争のようなものとしては、それぞれにまったく違っているのである。
というのは、
「殺し方それぞれに考えが違う」
ということではなく、
「自分が誰かを殺すとすれば、自分ならどういう方法を使うか?」
ということになるということに関して、
「その発想が違っている」
ということであった。
カリスマ性
殺人というものには、いろいろな殺害方法というものがあり、その中でも大きく分かれるものとして、大きく分けると、
「毒殺」「
「刺殺」
「絞殺」
というものに分かれるだろう。
ただ、これは、
「殺害方法」
ということで、これが、
「死因」
ということになれば、いろいろ別れてくるというものである。
「毒殺」
ということであれば、
「副作用などのアレルギーによるショック死」
などがあるだろう。
代表的な例としては、
「ハチに刺された時などにある、アナフィラキシーショック」
と言われるものが、その一つだと言ってもいいだろう。
というのは、
「ハチに刺されるとその毒が身体に回り、身体の中で、その毒と戦うための抗体というものができる」
ということから始まる。
スズメバチに刺されたりすると、医者が必ずいうこととして、
「一度目は大丈夫だけど、二度目に刺された時はショックを起こす可能性があるので、決してハチがいるところには行ってはいけない」
ということである。
というのは、
「最初にハチに刺された時、身体の中に、ハチの毒に対しての抗体ができる。だから、もし次にハチに刺されると、身体の中にある抗体が反応し、ハチの毒を取り除こうとするわけだが、その時に、ショック状態を引き起こすということになり、その時、アレルギー性のショックを引き起こすことで、死に至る可能性が高くなる」
というものだ。
つまりは、
「アナフィラキシーショックなどないならないに越したことがない」
と考えると、
「抗体ができることで、他の細菌と戦ってくれる反面、外部からの毒に対して、このような誤作動と言ってもいいようなことになるのであれば、それが正しいのだろうか?」
ということになる。
それを考えると、
「アナフィラキシーショック」
というのは、
「別角度から見ると、まるで必要悪ではないか?」
ということになるであろう。
もちろん、
「ハチに刺されることを殺害方法とする」
ということであれば、それは、
「あまりにも無理のある殺人だ」
ということになるだろう。
もちろん、ハチをばらまいたとして、ばらまかれたハチが、本当にターゲットを刺すかということは分からないからだ。
何かの匂いを吹きかけておいて、確率を高くしたとしても、それは、非常に無理がある。
そもそも、
「ハチに刺されたことが死因だ」
ということになれば、そもそも、
「これが殺人事件だ」
とは普通は思わないだろう。
もちろん、ハチに刺されたことで死んだのだとすれば、
「二度目に刺された」
ということで、場合によっては、司法解剖に回されるかも知れない。
しかし、これが、
「アナフィラキシーショックだ」
ということになれば、殺人の可能性は低くなるわけで、そうなると、
「ハチの毒による殺害」
ということであれば、
「これは、事故なんだ」
と思わせることが一番安全であるということに間違いはないだろう。
もし、事故ではなく、殺人事件だということになれば、被害者の交友関係や、利害関係などが徹底的に調べられるであろう。
そうなった時、
「動機が一番ある人間だ」
ということであれば、犯人だと疑われないようにするにが、
「鉄壁なアリバイを作る」
ということになるか、
「そもそも、これが殺人事件ではない」
ということにならなければ、ハチの毒による殺人事件などというのは、
「無理があることなのだ」
ということになるであろう。
それを思うと、
「ハチに刺される」
というのは、事故を装うということにしなければ、成立しえない殺人事件だということになるであろう。
ハチの毒というのは、逆にいえば、
「人を死に至らしめるだけの力はない」
ということを証明している。
つまり、
「ハチに刺されて死んでしまった」
という場合には、
「殺人というものの可能性を疑う」
ということでなければ、警察の負けになるということで、
「ハチに刺される」
という殺害方法は、やり方によっては、
「完全犯罪になりかねない」
ともいえる。
ただ、これは、
「もろ刃の剣」
というものであり、殺人事件である以上、
「どこかで致命的なミスがあれば、簡単に犯罪が露呈する」
というポイントがたくさん出てくるということになるのではないだろうか。
そういう意味では、
「毒殺」
という犯罪は、成功しにくいということが言えるかも知れない。
実際に、そのことについて研究をしているのが、スタッフの中でも、鹿島だった。
ここの、
「黒薔薇研究室」
の中でのスタッフ4人のことを、人によっては、
「四天王」
と呼んでいる。
これは、
「敬意を表している」
というわけではなく、
「明らかに批判しての言葉」
と言ってもいいだろう。
皮肉というよりも批判かも知れない。特に、外部の人から見た時、そう言われてるからである。
しかも、普通に考えて、
「黒薔薇研究会」
などという、
「いかがわしいサークル」
というところに対して、果たして、
「誰がいちいち気にするというのか?」
というものである。
だから、世間のほとんどの人がまったく興味すらない団体に対して、
「黒薔薇四天王」
などという、ありがたくもない名前を付けられているというのだから、それだけ、
「一部の中の一部」
という少数派が言っているだけである。
つまりは、
「まったくの少数派が気にしているだけで、それ以外は、まったく関心がないだけに、それだけ、気にしている人の思いが強く見える」
ということになるのであろう。
そもそも、
「四天王」
と言われるようになったのも、今年一年続いたテレビ番組で、歴史上の人物である
「徳川家康」