黒薔薇研究会の真実
特に、
「パチンコ台の前でタバコを吸う」
というような行為は、絶対にできない。
喫茶店や、飲み屋などであれば、
「店主の一存」
ということもあるだろう。
喫茶店でも、カフェのような、チェーン店では、絶対にダメだが、飲み屋や普通の喫茶店で、個人経営のところであれば、少しは融通が利くというものであった。
それでも本当は法律違反であるということなのだが、警察も見て見ぬふりという、
「税金泥棒」
をしているのだから、どうしようもない。
だが、パチンコ店というとそうはいかない。
今の時代、ほとんどのパチンコ店は、チェーン店化しているのである。
特にパチンコ店のように、どんどん、機械化が進んでいたり、機種のレンタル料であったり、家賃などを考えると、
「母体が強くないとうまくいかない」
ということで、
「吸収合併される形で大きくなってきている」
ということだ。
最近では、そんな大きなチェーン店でも、潰れるとことが増えてきている。それも、時代の流れといえばそれまでなのだろうが、パチンコ屋にとっては、逆風が大きいのであった。
といっても、それは、
「今までが、優遇されてきたものが、一気にまわりが許さなくなってきたからではないか?」
といえるのではないだろうか?
前述の、
「受動喫煙」
という問題もそうだが、それまでは、ゲームセンターであっても、ゲーム機の前に灰皿が置いてあったくらいである。
パチンコ屋は、未成年者は立ち入り禁止であることから、未成年者に害があることはなかったが、
ゲームセンターは、時間は決まってはいるが、保護者がいれば、幼児だって入れるのだ。
それを考えると、
「ここ数年で変わったのに、ゲーム機やパチンコ台の前に灰皿があったなどということが、相当昔のことのように思い出させるというものであった。
そもそも、パチンコをする人の中には、
「遊びながら、タバコが吸える」
ということで来ている客も多かっただろう。
だから、
「台の前で吸えなくなる」
という今回の法律改正は、パチンコ店にとっては、ありがたくないものだったに違いない。
しかも、パチンコ自体の問題として、
「依存症」
という問題が、叫ばれるようになった。
どうしても、パチンコに嵌ると、一日中打っている人もいることだろう。
「当たらない台」
などに座って、ずっと打ち続けていると、一日中いると、それこそ、
「一日で、十万円以上負ける」
ということも、普通にあったりする。
確かに、一日で、逆に数十万勝つことも、まれではあるがないわけではない。
それが稀であるだけに、余計に鮮明に頭に残っていて、
「またすぐに、十数万勝てる」
という妄想を抱くことで、
「辞められなくなってしまう」
ということになるのであろう。
それが依存症となり、
「金銭的なものだけではなく、家庭や仕事をほっぽり出してしまうことで、家庭が崩壊したり、社会生活を普通に営めなくなってしまう」
ということになってしまうのだ。
だから、最近の台は、
「一回の連荘で、出る量が決まっている」
ということでの、
「出玉制限を入れる」
ということが、法律で決まっているので、機種も、そういう仕様で開発するしかなくなったのである。
そのかわり、
「玉持ちのいい」
ということで、昔ほど、
「当たらなければ、負けも大きい」
ということはなくなってきたのだった。
だから、前のように、
「負ける時は大きいが、勝つのも大きい」
ということで、勝てるように研究して、負けずにこれた人からみれば、
「ギャンブル性のなくなった」
ということで、
「おもしろくない」
と感じ、公営ギャンブルに走るという人も多いことであろう。
そうなると、基本的に、
「パチンコ人口は減ってくる」
というものだ。
パチンコ人口の現象としては、一番大きいのは、タバコの問題であろう」
そして、次にあげられるものが、
「依存症の問題」
そして、次はといえば、やはり、数年前に発生した、
「世界的なパンデミック」
という問題であろう。
これが流行り出して、合わせた政府は、
「緊急事態宣言」
なるものを出して、一時期、日常生活に絶対に必要な店、つまりは、スーパー、薬局、コンビニ、そして、病院や、一部の役所や警察、公共交通機関なるもの以外を、休業要請という形で、休業させたのだった。
しかし、
「一日でも休業をすれば、その時点で倒産」
というようなところは営業を続けた。
いわゆる、
「単価の高いサービス業」
などもその一つで、パチンコ屋だけではなく、
「ソープなどの風俗業」
も営業を続けていた。
当時、
「自粛警察」
ということで、
「休業要請があるにも関わらず、営業を続けるようなところを、悪ということに認定し、攻撃をする集団があった」
ということであった。
風俗業などが叩かれることはなく、一番叩かれたのは、パチンコ屋だった。
パチンコ屋は、集中砲火を浴びた。実際にパチンコ屋というところは、
「ほとんどの店が休業要請に応じていて、さらには、実際に、患者を出したことがなかった」
ということだ。
それは、実は当たり前ということで、パチンコ屋というところは、受動喫煙防止法が施行される前は、
「タバコが吸えた」
ということで、その分、換気を十分になるように、設備投資をしてきたのだ。
それが功を奏して、
「世界的なパンデミックの機関でも、本来であれば、換気が整っているので、休業までしなくてもいいのではないか?」
というところに持ってきて、一部の店が叩かれるというのは、道理に合わないと言ってもいいだろう。
やはり、
「三店方式」
なる問題があることで、余計に、
「自粛警察」
を名乗る連中からすれば、一種の、
「ストレスのはけ口」
として利用されたに過ぎないのかも知れない。
これにはさすがに、パチンコをしない人であっても、理屈が分かれば、
「自粛警察というものがやりすぎであり、余計な団体だ」
と思っている人も少なくはないだろう。
そんなパチンコに、一時期、
「依存していた」
と言ってもいい男が、最近刺殺について研究を始めた、
「佐伯」
だったのだ。
彼は、今ではパチンコ店に行くこともなくなった。それまで吸っていたタバコもやめることができたことで、パチンコへの依存もなくなったのだ。
最初、タバコをやめたのは、
「パチンコがしたい」
ということであったのに、やっと何とか、タバコがなくてもよくなったのだから、パチンコ屋に行くことを止めることはできない状況なのに、今度は、パチンコ屋に行くのが、自分の中で、
「どうして、あんなものに依存していたのだろう?」
というくらいになった。
というのは、
「それまでは、台しか見えていなかったものが、今では、パチンコにのめりこんでいる自分を後ろから見えるようになった」
という思いがあるからである。
「パチンコというものをいかに楽しむ」
ということに一生懸命になっていて、だから、依存症だと言われても、自分では、それを悪いことだとは思わなかったのだ。