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黒薔薇研究会の真実

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「利用されている」
 とは思っていないかも知れないのだ。
 だから、犯人の想定外の行動をとったり、想定しないないことを証言するかも知れない。
 しかし、証言の中で、アリバイを意識しての発言であれば、警察が信用しない場合もあるし、ぎこちなくて、警察が信用してくれないという、根本からおかしなことになってしまう可能性だってあるというものだ。
 それが、完全犯罪のネックということであり、毒殺においても、同じようなことがあるだろう。
 毒殺の中で、大きな問題としては、
「足が付きやすい」
 ということである。
 なぜなら、
「凶器となる毒物を手に入れるのに一番苦労をし、入手経路が限られることで、入手経路から、犯人が誰かということを見抜かれる」
 ということである。
 警察はまず最初に毒殺ということになれば、その毒物が、
「簡単に入手可能なのか?」
 あるいは、
「入手困難なものか」
 ということに目をつけるであろう。
 入手可能なものであれば、そこから足が就くのは難しいということで、それ以外と並行しての捜査になるが、入手困難なものだということになると、
「入手経路を徹底的に洗うことで、おのずと犯人が、絞られた容疑者の中にいる」
 ということになるというのを、証明しているようなものではないか。
 それを考えると、
 殺人事件において、毒殺というものは、足が付きやすいというのは、そういうことなのであった」
 といえるだろう。
 そして、何といっても、犯人像を思い浮かべる時、一番最初に浮かんでくる発想は、
「毒物に詳しい人」
 ということになるだろう。
 だから、犯人が実際にそうであれば、実は毒殺犯人を見つけることは、
「他の殺人よりも、的を絞りやすいという観点で難しくないものだ」
 ということになるであろう。
 だが、逆に、
「実際には薬に詳しいが、表向きには薬に詳しくない」
 ということにしていれば、こちらは、
「完全犯罪」
 ということにならないとも限らないといえるであろう。
 そんなことを考えていると、
「犯罪を隠滅したり、細工するということは、
「警察と犯人のいたちごっこだ」
 と言えなくもないだろう。
 まるで、
「東西冷戦時代における、核開発競争」
 のようなものではないかといえるだろう。
 ここに存在する考え方の骨子は、
「欲の抑止力」
 というものであるのだろう。
 いろいろな意味で、毒殺というのも、
「リスクのあることではないか_」
 と考えるのであった。

                 視察について

 刺殺というものに特化した殺害方法について考えているのが、佐伯という男であった。彼は、
「ギャンブル狂」
 と言ってもいいかも知れない。
「競馬や競輪のような、公営ギャンブルも、パチンコ、スロットのような、気軽なギャンブルもどちらもやっていた」
 だが、最近は、会場に出かけるのが億劫で、公営ギャンブルから遠ざかっていた。
「だったら、ネットで券を買えばいいじゃないか?」
 と言われるかも知れないが、
「実際に買った券の行方をこの目で確かめること、それらすべてが楽しみだ」
 ということから、
「醍醐味」
 というものを楽しみにしているので、
「中途半端に楽しむくらいなら、しない方がいい」
 と感じるのであった。
 だから、最近は、行くとしてもパチンコ屋くらいではないだろうか?
 そもそも、
「パチスロはギャンブルではない」
 と言われている。
 どういうことなのかというと、
「パチスロというのは、遊戯である」
 ということである。
 風営法という法律でも、ギャンブル扱いではなく、
「ゲームセンターなどの、アミューズメントパーク」
 と同じ扱いである。
「現金に換えてくれるではないか?」
 ということから、
「ギャンブルの仲間だ」
 と思っている人も多いだろうが、実際にはそうではない。
 もちろん、それは、
「言い逃れ」
 でしかないが、そのための、
「三店方式」
 と呼ばれるものがあるからだ。
 この方法は、
「パチンコ屋が、出した景品を、換金場にもっていけば、お金に換金してくれる」
 ということであるが、実は、この換金場というのは、
「パチンコ屋とは別会社であり、名目上、まったく関係のない会社」
 ということになっていることから、強引に、
「パチンコ屋と換金システム」
 を切り離すことで、
「パチンコを遊戯」
 という形にして、ギャンブルではない形にすることで、パチンコ屋をギャンブルの世界から切り離していた。
 これは、治安などの問題も絡んでくることから、
「警察が考えた、苦肉の策」
 だったのだ。
 昔、この三店方式ができた頃の治安を考えると、
「パチンコ店を、必要悪」
 としてみるという方法しかないということであった。
 だから、今までパチンコ産業は続いてきた。
 一時期は、
「パチンコ業界というのは、ドル箱だ」
 と、まさに、パチンコ用語が使われるほどだったのだが、今の時代は、昔ほどの隆盛を極めるという産業ではなくなってきた。
 それは、
「結構まわりから固められてきた」
 ということが大きいのかも知れない。
 パチンコ業界を今まで支えてきたのは、いろいろな条件があったからだろう。
 台の面白さであったり、ギャンブル性の豊かさ。というのももちろんのことであるが、それ以上に、
「タバコが台の前で吸える」
 ということが大きかったのではないだろうか?
 昭和から平成に変わったくらいの頃から、喫煙できるところが、どんどん減って行った。
 それはいいことであり、昔であれば、今の人が聞けば、
「信じられない」
 というかも知れないほどに、どこでも吸えたのだ。
「電車の中はもちろん、駅の構内であったり、喫茶店、ファーストフィードの店やレストラン」
 どんどん吸えなくなってしまった。
 特に、令和になってすぐくらいに、
「受動喫煙防止法」
 というものが施行され、
「自宅以外では、室内では全面禁煙」
 ということになったのだ。
 当然今までは吸えた、飲み屋であったり、レストランの喫煙エリアというのもなくなった。
「法律で決められた範囲の換気が行えるだけの分煙ルームが設置しているところでは、底で吸ってもいい」
 ということにはなっている。
 法律が施行されてからでも、実際には、
「それまでと変わらない」
 という法律違反を堂々としているところもあり。
「店もいい加減にしろよ」
 と思いながらも、
「法律を決めたのであれば、それを守れないやつを処罰するのが警察のはずなのに」
 ということで、
「実際には何もしない」
 ということで、それこそ、
「税金泥棒」
 と言ってもいいようなことをしているのであれば、
「国会のいうことを、行政である警察が取り締まらない」
 という、実に中途半端なことをして、
「国会で法律を決めるのも、税金が使われている」
 ということなのに、決めた法律が守られていないというのは、それこそ、法治国家して、
「恥ずかしいことだ」
 といえるのではないだろうか?
 そんな受動喫煙防止法であるが、
「甘いところもあるが、厳しいところは徹底的に厳しい」
 と言われる。
作品名:黒薔薇研究会の真実 作家名:森本晃次