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黒薔薇研究会の真実

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「学校や会社に遅刻する」
 という人も多いだろう。
 中には、その日が、入学試験だという人もいれば、その人の人生を狂わせることになるし、
 さらには、
「絶対に遅刻することのできない商談がある」
 ということであれば、事故だからということで、しょうがないで済まされない場合がある。
 たとえば、その商談が、どこかの他の会社と天秤に架けられていることであったりすれば、
「来れなかった」
 という事実だけで、他の会社に取られてしまうということだってあるのだ。
 そうなると、
「もし、それが、会社の命運を分けるような取引であり、下手をすれば、会社の存続が危ないということであれば、責任を取って辞めないといけない」
 ということもあるだろう。
 さらには、
「本当に会社が倒産の憂き目にあえば、その人だけの問題ではなく、社員全員が路頭に迷うということになり、その連鎖はひどいこととなるだろう」
 というものだ。
 それを考えると、
「一人の自殺が、どれだけの人に、しかも、見えないところでどんな被害が起こっているか分からない」
 という意味で、
「死んだ人を悪くいうのは忍びない」
 ということであるが、
「死にたいのであれば、一人でどっかで誰にも迷惑を掛けずに死んでくれ」
 と言いたいものだ。
 もし、さっきの場合で会社が倒産ということになれば、
「経営者も自殺するはめに陥る」
 ということになるだろう。
 そもそも、最初に自殺を試みた人も、その自殺の動機がどこにあるのかは、問題にしなかったが、ひょっとすると、同じように、誰かのあおりを食って、死に追いやられたということになるのだとすれば、これも前述の、
「負の連鎖」
 ということになるだろう。
 ということであれば、
「死」
 というものは、少なからずの、
「負の連鎖」
 というものを引き起こすものであり、それがひどい場合は、戦争になったり、社会秩序を著しく乱すということになるのではないだろうか?
 だから、鹿島は、
「人の死」
 にかかわることは嫌だと感じていた。
 そもそも、彼は子供の頃から、頭がよく、
「勉強ができる」
 ということは、当然のことであるが、理屈を整理して考えることができる人であった。
 だから、人生の選択ということにおいて、
「間違いは、今のところ、したことがない」
 と思っているのであり、それは、
「冷静に物事を見て、判断することができるからだ」
 と思っていた。
「冷静と冷淡は紙一重だ」
 ということも、鹿島は考えていた。
 だから、
「俺は、冷静なのか、冷淡なのか、どっちか分からない」
 と思っていた。
 しかも、
「冷淡であればいいか、冷徹の可能性だってあるではないか?」
 ということであった。
「冷静である」
 と自分では考えていた。
 だから敢えて、この
「黒薔薇研究会」
 というところに入部しようとは思わないだろう。
 冷静だからこそ、自分の中にある、
「勧善懲悪という感情と向き合えるのだ」
 と考えていたのである。
 医学部に入学したのは、
「勧善懲悪」
 という気持ちもあり、ただ、他の人ほど、強く、
「人を助けたい」
 と思ったわけではない。
 もし、そう思っていたとすれば、
「医者は務まらないかも知れないな」
 とまで考えていた。
 それは、冷静に物事を考えることができるからで、前からある、
「医療系のドラマなどを見ていると分かってくる」
 というものである。
 どうしても、昔からある、
「医療系ドラマ」
 あるいは、
「刑事ドラマ」
 などというのは、かなりシビアなところをうつぃし出している。
 刑事ドラマなどは、
「世の中の、階級制度というものを表に出す」
 ということが多く、特に、
「キャリア、ノンキャリア」
 の確執であったり、
「管轄、縄張り」
 などといった、
「横のつながり」
 というものを考えさせられるものである。
 そこで浮き彫りになってくるのが、
「世の中の理不尽さ」
 であったり、
「出世しないと、やりたい捜査ができない」
 ということである。
 しかし、実際に出世というものをしていけばいくほど、
「上級官僚になればなるほど、さらに上の命令には絶対ということになり、何かを成したいと思って出世したことが、まったくの無駄になってしまう」
 ということによる、
「ジレンマ」
 というものが襲い掛かってくるというような話が多いのである。
 これは、完全な、
「堂々巡り」
 というものであり、
「世の中の理不尽さが、世の中の堂々巡りから生まれるものではないだろうか?」
 ということを、刑事ドラマを見ていると分かってくるということになるのではないだろうか?
 医療ドラマということになると、
「こちらは、完全に人の生き死に」
 ということに挑戦するかのような話になっているので、ドラマを作る方も、結構な入れ込みでないといけないだろう。
 つまり、
「中途半端に作ってしまうと、何を言いたいのかが分からずに、ドラマ自体が面白くないものとなる」
 しかし、思い入れ過ぎると、どうしても、人の生き死にに対して、
「何かの結論を出そう」
 とすると、たぶん、結論などでないであろう。
「一刀両断」
 という形で、結論めいたものにしてしまうと、どうしても、
「賛否両論は生まれる」
 ということになる。
 しかし、
「絶対の正義」
 というものの中には、
「人の死」
 というものが、
「他人の手によって奪われる」
 ということが問題となる。
 例えば事故などで、救急搬送されてきて、
「すでに手遅れ」
 という状態でも、何とかしようとする医者があった場合。
「先生が手術したことで、家族が殺された」
 などと思い込んでしまう家族がいたりすると、先生が悪者になってしまう。
 いくら、
「すでに手遅れ」
 と言ったとしても、納得できないという家族もいるかも知れない。
 そうなると、
「いくら理不尽だ」
 と思ってみても、どうしようもない。
 なぜなら、
「自分が医者だから」
 ということになるのだ。
 確かに、
「いくら医者と言っても、神様ではないのだから、助けられない命はたくさんある」
 ということになる。
 家族だって、死んだのが自分の家族でもなければ、そんな当たり前のことは分かることだろう。
 とにかく、
「人間の死というのは、死んだ本人よりも、残された人の方が大きな問題であり、その人が苦しむようなことになるのが一番の問題だ」
 ということになるとすれば、前述の、
「飛び込み自殺」
 というものが、まわりに迷惑をかけるということに繋がってくるのだ。
 というのは、
「列車を止める」
 ということで、鉄道法であったりするものの中に、
「電車の運行を故意に妨げた場合は、賠償を請求できる」
 というものがあり、相手がたとえ自殺であっても、それに変わりはないということである。
 つまり、残された家族に、
「数百万」
 下手をすれば、
「数千万」
 という賠償金が課せられることになる。
 家族とすればたまらない。
作品名:黒薔薇研究会の真実 作家名:森本晃次