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無限の数学

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 と思っているので、本人にも、精神疾患の意識はない。だから、その分、自分がうまくいかないという理由が、永遠に分からずに、苦しんでしまうということになるであろう。
 そうなってしまうと、
「何が普通の人間だというのか?」
 とまわりが自分に対して浴びせるまなざしを、最初は卑屈であるが、
「自分が悪いんだ」
 と自分を追い詰めてしまうことで、結局、どうすることもできなくなるということになるのであろう。
 それを思うと、
「世の中にある、普通というものが、どういうものなのか?」
 ということになる。
 だから、
「普通」
 という言葉や、
「一般的」
 という言葉が、
「どれほどの罪になるのか?」
 ということを考えさせられるということである。
 そんな、
「自分の生きがいに目覚めた人がここにいた」
 というのであるが、彼の名前は、
「坂下三郎」
 という男だった。
 彼は、大学卒業後、食品関係の会社で仕事をしていたのだが、営業をすると、なかなかうまくいかなかった。
 というのが、本人に一つ、
「営業として、致命的な欠点があったのだ」
 というのは、
「人の顔を覚えられない」
 ということがあった。
 人の顔を覚えられないということは、大切な取引先の交渉相手の顔が覚えられないということで、名前は憶えていても、顔を覚えていないのだから、その人が自分の席だったりという
「決まった場所」
 にいてくれれば、まだ何とかなるのだが、他の場所にいたり、席を立っていると分からないということになる。
 相手から先に、
「こんにちは」
 と挨拶をされるというだけでも、あまりいい傾向ではないのに、しかも、話しかけてきた相手が、誰か分からない。
 しかも、
「その人が、これから商談をする相手だ」
 などということになると、これほど致命的なことはないといえるだろう。
 だが、これは元々、中学時代に友達数人と待ち合わせた時、駅の比較的人の多い時間に、後ろから、
「友達だ」
 と思って声をかけた時に、相手を見誤って、
「おい」
 と後ろから声をかけると、まったく違う人だったということがあったのだ。
 本人とすれば、
「完全に自信があった」
 ということであり、それなのに、
「実際に声をかけてみると、まったく違う人だった」
 などということになると、
「これは、俺の失態だ」
 という意識よりも、
「間違えた相手に申し訳ない」
 という思いがその時初めて強く感じたのであった。
 それまでは、
「人違いをするくらい、別になんでもないことだ」
 と感じ、
「謝ればそれでいいではないか」
 と思っていたのだが、実際に間違えて、相手からにらまれるということになると、
「こんなに、人を間違えるということが、相手だけではなく、自分に対してもその羞恥心を傷つけられることになるとは思ってもみなかった」
 と感じることになるのであった。
 つまり、
「人に対して申し訳ない」
 という思いよりも、
「自分が情けない」
 と感じるということを最初に感じたのが、
「人の顔を間違える」
 ということだったのだ。
 つまり、
「マイナス部分がブラス部分よりも、多きなった」
 ということで、マイナスが自分の中で、これほどの屈辱になるということと、自信喪失につながるということの二つが大きかったということになるのであった。
 だから、
「申し訳なくて人に声を掛けられなくなった」
 という思いよりも
「俺には、人に声をかける自信がなくなってしまった」
 という思いの方が強くなり、
「人に声をかける」
 というだけではなく。自分が、
「申し訳ないということの反面、自信につながることがある場合、自信を失いたくないという感情から、何もできなくなる」
 ということが強くなることで、それが、自分の中の、
「トラウマ」
 ということになるのであった。
 人に声をかけることができなくなったことで、失ってしまった自信は、積極性であったり、行動力というものを奪う結果になった。
 だから、
「人に声をかける」
 という行為以外でも、いかに自分が、人に対して何もできなくなるということになるのかを思い知らされたということである。
 それが、
「就職」
 ということで、大きなネックとして立ちはだかってくるということを考えさせられたといってもいいだろう。
 だから、就職して、研修期間を経て、上司が判定した仕事の適正で、
「営業には向いていない」
 と思われたのか、仕事は、
「システム関係」
 ということになった。
 そもそも、学生時代では、
「情報システム」
 の学科は結構好きで、特に、
「プログラミング」
 というものに対しては、
「好きだった」
 といってもいいだろう。
 実際に、配属になって数年の、
「プログラマ」
 として、第一線でプログラムを作っている時は、
「三度に飯よりも好きだ」
 というほど、
「この仕事が天職だ」
 と思えるほどになっていたのであった。
 それを思うと、
「20歳代は、仕事が生きがいだ」
 といってもいいくらいで、それこそ、
「残業手当がなくてもいいくらいだ」
 と思うほどで、さすがに、手当てがいらないなどというのは、方便であったが、それくらいに、
「生きがいを感じていた」
 といってもいいだろう。
 そんなことを考えていると、
「このまま、ずっとシステムの仕事を、天職として、やっていけばいいんだ」
 ということになると思っていた。
 だが、
「そうは問屋が卸さない」
 と言えばいいのか、年齢が30代中盤くらいになってくると、
「プログラマというよりも、設計に携わる、システムエンジニアという仕事の方にシフトしてくる」
 ということになるのであった。

                 パチスロ

 システムエンジニアという仕事は、たぶん、嫌いだというわけではないだろう。
 しかし、それ以上に、
「プログラマ」
 という仕事を、天職のように思っていたので、
「そんな仕事を手放すのは嫌だ」
 という思いだった。
 例えば、パチンコが好きな人がいたとして、普通の人は、
「パチンコという競技が好きでやっている」
 というだろう。
 お金目的に人もいれば、そうでもないという人もいる。お金目的だとしても、それは悪いことではない、困らない程度に遊ぶ分には、
「ただの趣味」
 ということで、誰にも迷惑を掛けないからである。
 もちろん、そんな人は、
「運を天に任せる」
 などということをするわけではなく、しっかり情報というものを身に着けて行動することであろう。
 いろいろある機種の特徴を研究するために、攻略本などのパチンコ雑誌を読んだり、ネットで調べてみたりする。今の時代は、
「パチンコで負けないために」
 ということで、パチンコの機種ごとのデータや、挙動のパターンなどを解説した、
「攻略本」
 というものがあり、それらを、
「パチンコライター」
 と呼ばれる人が、それぞれ雑誌社と契約していたりして。彼らが調べた内容を、原稿として投稿したことが記事となって、雑誌ができあがっていたりする。
作品名:無限の数学 作家名:森本晃次