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無限の数学

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 それら、
「ファシズムの国と結びつくことになった」
 日本という国も、
「満州事変において、満州国建国を行ったことで、それを、自衛のためという理由を世界から棄却されたことで、孤立してしまった」
 という中において、暴走した軍備が、政府を動かす形で、
「日独伊三国同盟」
 を結ぶことになったといってもいいだろう。
 そもそも、大日本帝国というのは、体制が少し歪であった。
 というのが、日本は、他の国と違い、国家元首が天皇ということで、
「立憲君主の国」
 だということである。
 そんな中、
「大日本帝国」
 の中にある、
「天皇の統帥権」
 というものがあった。
 そこにある、
「天皇の統帥権」
 の中に。
「天皇は、陸海軍を統帥す」
 という条文があった。
 これは、どういうことをいうのかというと、
「陸海軍は、天皇直轄であり、政府であろうと、軍の作戦などに口出しができない」
 ということである。
 つまりは、
「軍は、天皇の命令以外聞いてはいけない」
 ということであり、
「その天皇の命令は絶対であることから、軍の統制に、政府がかかわってはいけない」
 ということで、それは、
「越権であり、憲法違反になる」
 ということであった。
 だから、
「統帥権違反ではないか?」
 ということで、
「軍縮会議において、外務大臣が、軍縮に調印した時」
 あるいは、
「満州事変の際、天皇の命令なくして、朝鮮軍司令官が、極暖で、軍を、満州に派遣した」
 というのが、
「統帥権の干犯に当たる」
 という論議が起こったものだ。
 それだけ、軍の力が強いともいえるだろう。だから、これも、一種の、ファシズムに近いといってもいいかも知れない。
 何といっても、明治維新からこっち、大日本帝国の最初の目標であった、開国の際に結ばされた他国との、
「不平等条約の撤廃」
 ということを目標に掲げられたのが、
「富国強兵政策」
 だったのだ。
 何をおいても、
「軍部の強化」
 というのが、急務だったということである。
 そのためには、
「軍を、天皇直轄にする」
 というのは、ある意味、当然のことであったのだろう。
 そういう意味で、
「世界の列強」
 という国と、
「ファシズムを中心として、生き残りをかけた国との対決」
 というのが、第二次大戦だった」
 といえるだろう。
 それぞれの国に言い分はあった。
 日本の場合は、
「欧米列強に侵略された東アジアの国を解放し、日本を中心として、新秩序を建設する」
 という立派な大義名分があったのだ。
 しかし、それも、
「敗戦」
 となると、かすんできてしまう。
 しかも、その大義名分を軍事裁判の際に、
「邪魔になる」
 ということで、戦勝国の連中は、
「大東亜戦争」
 という、日本において、
「閣議決定された名前」
 を、
「使ってはいけない」
 ということになったのだ。
 本来であれば、講和条約が結ばれ、日本が占領から解放された時点で、この使用してはいけないと言われた、
「大東亜戦争」
 という表記を使ってんもいいはずなのに、
 なぜか、いまだに、これを、
「太平洋戦争」
 などという、戦勝国から、押し付けられた言葉を使っているというのは、
「いまだに、戦勝国に対してこびている」
 ということになるのか、
 それとも、
「押し付けられた民主主義」
 というものを正しいと思い込み、
「大日本帝国というものに戻してはいけない」
 という思いが強く、そうなっているのかということである。
 確かに歴史というものは、その時の政府の都合によって、捻じ曲げられたり、一つの凝り固まった考えの元に操られていたりするものであった。
 それを考えると、
「大日本帝国」
 という歴史が、日本人にとって、
「黒歴史となっている」
 ということになるのではないだろうか?
「徳川幕府の時代になって、豊臣政権時代のもの」
 あるいは、
「明治時代にあって、徳川時代のもの」
 などを、徹底的に破壊し、旧政権の人たちの歴史上の事実などを捻じ曲げたりしたというのと、同じように、
「大日本帝国」
 において、
「国家を憂いて、必死に軍部として戦ったり、政府として外交を行ったりしたものを、すべて、軍国主義が悪いということで、一刀両断にしてしまう」
 ということになるのであろう。
「本当の真実がどこにあったのか、それは歴史が答えを出してくれる」
 というこという人がいるが、
「果たしてそうなのだろうか?」
「歴史を政府の都合で捻じ曲げる」
 ということを行っている以上、本当にそう言い切れるのであろうか?
 日本の歴史、特に中世からこっちは、平安時代までは、律令制というものから、貴族や公家、さらには、天皇が中心の社会であった。
 その中において、土地というものを公家や、貴族、そして、寺院が荘園という形で持つことで、それを守るために作られた、
「僧兵」
 であったり、
「武士」
 というものが、いずれ、平安末期では、いろいろな公家の都合による戦が起こり、武士が兵力として使われるようになったのだが、その武士が時代とともに、力を持つようになって、次第に、公家の官位に食い込んでくることになる。
 それまでは、公家からは、
「しょせんは、武力しなかい野蛮な集団」
 という意識があったからか、政治参加ができなかったのだ。
 しかし、次第に力をつけてきたところに、そもそもの武力があるのだから、公家に対応できるわけがない、
 今まで、こき使っていた武士が、その不満を、爆発させたことで、源平の争いなどを経て、最後には、
「荘園制度の崩壊」
 とともに、武士が土地を支配するようになると、その土地を保証し、その代わりに、保障された武士が、領主のために戦うという、
「ご恩と奉公」
 という形の、
「封建制度」
 というものが確立することで、
「武家の世界」
 というものが確立されたのであった。
 しかし、これはあくまでも、
「朝廷から、政治を行うことを認められた」
 ということで、対外的にいえば、天皇が、
「国家元首」
 ということに変わりはなかったのだ。
 だから、幕末の徳川幕府が力が衰えてきて、諸外国から、開国を迫られ、倒幕が現実味を帯びてきた時、幕府は、
「天皇の権威にすがる」
 ということで、
「公武合体」
 を勧めたのである。
 そうでもしないと、
「幕府に不満をもつ勢力を抑えきれない」
 という幕府の苦肉の差だったのだろう。
 朝廷としても、
「幕府の力を使い、外国を打ち払うという、攘夷を勧める」
 ということで、幕府の力を必要としたということで、お互いに、その利害が一致したといってもいいだろう。
 ただ、そのうちに、
「やはり幕府ではダメだ」
 ということで、倒幕運動が力をつけてきた。
 そんな中で、幕府に一番恨みを持っていて。力のある藩として、浮かび上がってきたのが、
「薩摩、長州」
 という、二つの軍事同盟である。
「薩長同盟が結ばれた」
 ということで、一気に倒幕が進んだのだ。
作品名:無限の数学 作家名:森本晃次