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無限の数学

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「後になって、そうだったのでは?」
 と感じるようになっていたといっても過言ではないだろう。
 そんな火曜日、そのサラリーマンの姿を追いかけていることで、そのサラリーマンの姿しか見えていないことに気づかなかったので、そのサラリーマンが
「何かおかしい」
 と感じたのが、
「その男も誰か不審者を追いかけていた」
 ということに気づかなかったのだ。
「人は自分がしていることを、他の人にされるということに気づかない」
 とはいうが、今回のように、
「人がしていることを、自分が同じようにしているということに気づかない」
 というのと同じではないだろうか。
 また、もう一つ言えるのが、
「以前に自分が見た時に何もないということを確認していれば、その間に時間が経っていたとしても、そのことに疑いを持ったりは、なかなかしないものである」
 ということを感じてしまうというもので、
「それだけ、相手にとっては、欺きやすい」
 というものなのかも知れない。
 だから、犯罪を犯して、その証拠をどこかに隠す時など、
「一度警察が調べたところ」
 というのは、
「これ以上安心な場所はない」
 ということも言われる。
 それだけ、警察というのは、自分たちに自信を持っていたりするものであるし、
「合理的な捜査」
 というものをするためには、
「一度調べたところを二度と調べるということはしない」
 といってもいいだろう。
「そんな時間があるのであれば、もっと他を探すというものだ」
 ということであり。
「警察と犯人の心理戦」
 ということであれば、
「警察の方が圧倒的に不利」
 なのかも知れない。
 何かのリーグ戦などもそうではないか。
 首位をずっと突っ走っていると、はたから見ていると、
「一気に突っ走ればいい」
 と思うだろうが、追いかけられる側から見れば、
「前には誰もいない」
 ということで、自分が追いかけられるだけであり、さらに、ゴールが見えていると思っているが、実際に、どこまで走ればいいのか、走っているうちに、
「全然ゴールに近づいていない」
 という感覚になっていることに気づいていないくせに、不安になることがあることを不思議に思うことであろう。
 しかし、いつも、トップを走っていて、
「追いかける立場になったことがない」
 という人は、おそらくなかなかいないだろう。
 よほどの、
「オリンピック選手が、素人のかけっこ」
 にでも参加しているということでもない限り、なかなかないに違いない。
 それを考えると、
「目の前に誰かがいて、追いかける相手だけを見ていればいいということが、どれほど気が楽に感じるというのか」
 ということである。
「追う立場と追われる立場」
 これは、一位を守るという感覚と、一位を奪うために、攻めるということと同じである。
「攻城戦には、籠城戦に比べて、その兵力は3倍を必要とする」
 ということを聞いたことがある。
 守る方は、必死になって、
「攻めてくる相手をいかに撃退するか?」
 というために、城にいろいろな策を弄することであろう。
 だから、どんな罠が仕掛けてあるのか分からない。
 他から見ると、
「攻めている方は、完全に相手を追い詰めているのだから、有利であることに違いない」
 と思うだろう。
 そして、そのことに間違いはないはずで、しかも、攻めている方には、
「いくらでも、方法はある」
 ということであるが、守る方とすれば、
「追い詰められているのは自分たちだ」
 ということは分かり切っていることだろう。
 だから、攻城戦として、無理に攻めるようなことをせずに、
「水攻め」
「兵糧攻め」
 などという方法で、相手を追い詰めるのが得策だともいえるだろう。
「相手の食糧補給や、相手の援軍補充がまったくできない」
 というところまで追い詰めれば、相手は、
「最後まで我慢して、餓死するか?」
 あるいは、
「降伏するか」
 しかなくなるわけである。
 それらの、
「攻め」
 というもので、じわじわと追い詰められると、籠城している方から、裏切る兵が出てくるというのも当たり前というもので、それら、
「諜報計画」
 というところも、
「攻城側がぬかりなくやれば、相手は、勝手に崩れていく」
 というものである。
 それら、
「戦というもののやり方」
 であるが、これも、いろいろ兵法があるが、つまるところ、
「心理戦が最後にはモノをいう」
 といってもいいだろう。
 だから、
「追いかけている方が、圧倒的に有利に見えるが、本当にそうだろうか?」
 物理的に、相手の方がゴールに近いというのは当たり前のことである。
 これも、結局、
「どちらが、我を忘れずに冷静になれるか?」
 ということで、いくら、その途中経過の、
「有利不利」
 というものがあるとしても、最後には、その心理戦によって、勝敗というのは、左右されるということになるであろう。
 そんな、勝敗という、
「ハッキリとしたもの」
 ということでなくとも、心理的に、
「追いかけられている」
 ということを考えると、焦りを感じるものであり、
「実際に追いかけている方」
 ということであれば、
「相手の背中だけを見ていたとして、気が付けば、まわりから、後ろにいた連中に抜かれていた」
 ということで、初めて、
「自分が、一人だけを相手にしているわけではない」
 ということに気づかされるということである。
 それを思うと。
「追いかける方は、えてして、相手の背中しか感じることがないので、自分も追いかけられているということに気づかない」
 という、一種の、
「初歩的なミス」
 というものを犯しかねない。
 ということになるであろう。

                 大団円

 その時見つかったのが、死体であったことで、それまで、この地域で一部の人たちから言われていたこととして、
「曜日によって、パターンの違う犯罪が発生している」
 というものであった。
 そのうちの犯罪の一つの犯人として、この時の発見から、
「火曜日の犯人が、坂下ではないか?」
 というようなウワサガ街に溢れたというようなことがあったのだという。 
 とは言っても、それは警察内部の一部のことだけであって、それも、ただの捜査上の噂にしかすぎなかった。
 ただ。それも、
「曜日によって犯罪の種類が違う」
 ということと、
「火曜日になると、なぜかこっちのスーパーに現れる人がいる」
 ということの共通点だけではなく、
「死体を発見した」
 という人物を後ろから追いかけていて。しかも、
「自分が追われている」
 ということに気づかなかったということが、
「怪しい」
 と言われるゆえんでもあった。
 確かに、
「あまりにも都合のいい話」
 ということであるのは間違いのないことのようであった。
 それは、
「追われているその人間が、前だけを向いていて、視界が狭いということに気が付いたから」
 ということであった。
 後ろから見ていた人間が、
「ちょうど刑事だった」
 というのも、都合のいいことなのか、都合のよさというものは、世の中の辻褄を合わせるということで、
「一周まわる」
作品名:無限の数学 作家名:森本晃次