無限の数学
「1000ゲーム回しても、当たらない時は当たらない」
ということになる。
というのは、福引などで考えてみれば、分かるというもので、
「福引の回す木の箱の中に、弾が、300個あったとして、あたりが一つだけある」
というのが、いわゆる、
「300分の1」
ということになるだろう。
最初の人がくじを引いて、外れだったとすれば、次は、中には299しかないわけなので、
「確率は299分の1になる」
と考えることであろう。
だが、実際には、そうではなく、2回目のゲームでも、大当たり確率というのは、
「300分の1」
なのだ。
つまり、
「一度出てきた玉も、もう一度箱の中に戻して、再度、300分の1として行う」
ということだ。
くじ引きの場合と、パチンコの場合の違いというのは、そういうところで、このパチンコの場合の確率のことを、
「完全確率」
と表現するのである。
パチンコやスロットの場合の表示されている確率というのは、あくまでも、
「平均して」
ということである。
福引などの確率というのは、確かに、
「300までには必ず当たる」
ということと、
「どんどん確率は高くなっていく」
ということで、いいように思うが、こちらの方も、かなりギャンブル性があるといってもいいだろう。
というのは、
「確かにどんどん確率は上がっていくのだが、だからといって、あとになるほど有利というわけではない」
ということになる、
なぜなら、
「福引というと、1等賞以外にも、他にもいくつかの賞があるので、それらがすべてで切ってしまえば終わりということになる」
ということで、普通なら、皆1等賞を狙うことだろう。
ただ、この一等賞というのは、確率だけで理解できるものではない。
というのは、
「最初に引いた人が、大当たりを引き当てるということがない」
というわけではないということだ。
つまりは、
「狙いは一等賞」
と思っている人には、
「ああ、もっと早く引けばよかった」
ということになるのだ。
最初に引いた人からすれば、
「一番確率が低いところでのくじ運なので、当たるはずなどないよな」
と思うことだろう。
そう思ってくじを引いてみると、
「やっぱり当たらない」
ということになるだろう。
しかし、最初に当たってしまうと、
「ラッキー」
と叫びたくなるくらいで、一等狙いで待っている人からすれば、すでに最初で、意気消沈ということである。
しかも、そこから先はどんどん、他のあたりも出てくる。
そうなってしまうと、
「ギャンブル性としては、これ以上面白くないものはない」
ということになり、しらけムードは深まっていくことだろう。
もちろん、パチンコの場合は、再度一等賞を引くことができる。それが
「平均しての大当たり確率」
ということになるのであった。
パチンコであっても、スロットであっても、結構客の中には勘違いをしている人もいるのではないだろうか?
というのも、
「攻略本であったり、パチスロライターの配信というものを見ていれば、必勝だ」
と考えている人たちである。
特に、雑誌には、
「必勝」
などの文字が躍っていれば、そう思うのも当たり前というもので、必ず勝てるとまで行かなくても、
「負けない」
という感覚の人も多いことだろう。
だが、これはあくまでも、
「統計上」
あるいは、
「平均的な確率」
ということで、
「なるべく勝てるように」
ということであったり、
「大負けをしないためのアドバイス」
ということであり、雑誌の名前のような、
「必勝」
などということはありえない。
なぜなら、その名の通り、
「全員が必勝」
ということになると、パチンコ屋は経営が成り立たずに、店じまいということになるのである。
そうなってしまうと、せっかくの、
「客としての遊び場」
がなくなってしまうわけで、そうなると、
「本末転倒である」
ということになるのだ。
だから、パチンコでの勝ち負けというのは、
「あくまでも運である」
ということで、そういうギャンブル性を求めて客はやってくるわけだ。
だから、
「日ごろ負けていても、何十回に一度くらいは、面白いくらいに出る」
という時があるから、
「次こそは」
と思って。客が皆来るわけである。
客の方だって、
「データ通りになるのであれば、面白味も半減する」
というものであって、
しかも、自分たちが遊んでいる場所を潰す可能性に繋がるのであれば、それは、
「客としては、本意ではない」
ということになるだろう。
それを考えると、ゲームの攻略と違う。
「ゲームは最後まで攻略すれば、それ以上はないわけなので、別のゲームに手を出す」
ということになるが、パチンコ、スロットの場合は、
「一度大当たりをしても、また次の大当たりを目指す」
ということができるわけで、一つの台で、終わりということはない。
昔のパチンコなどでは、
「権利台」
などというものがあり、
「3回権利の台であれば、3回目の大当たりの後は、強制的に換金させられ、その間に、機種をリセットする」
ということをしていて、
「予定終了」
という言葉があったのを知っている人は、今では、もう老人の域に達していることであろう。
そんな時代があったが、今はそれから、30年近くも経っていて、それだけ、パチスル業界もいろいろあったということであろう。
今の時代は、昔のように、
「ギャンブル性は失われた」
といってもいい。
いくつかの要因があるだろうが、一つには、
「依存症の問題」
ということが大きい。
前述のATMの件もあるが、今の台は、
「連荘はするが、たくさん出るわけではない」
ということであり、逆にいえば、
「連荘しなければ、勝てない」
ともいえるであろう。
ただ、その分、
「当たりやすくなっていて、当たりを見るのが好きな人にはいい」
ということになる。
ただ、その分、大きな当たりはなくなり、以前のように、スロットなどにおいて、大量出玉の基準ともいうべき、
「万枚」
ということも、まずなくなってきたのだ。
というのも、大当たりが続き連荘したとすれば、その最大枚数というのは決まっていて、
「どんなに出たとしても、最高で3000枚未満」
という風に、法律で決められてしまっているのだから、ギャンブラーと呼ばれる人にとっては、
「これほど面白くない」
というものもないということになるのだ。
そして、もう一つは、
「タバコの喫煙問題」
というものだ。
昭和の末期くらいから、
「嫌煙権」
というものが叫ばれるようになってきて、
「タバコを吸える場所がどんどんなくなっていく」
という社会になってきた。
最初は、電車の中のどこでも吸えたのに、
「禁煙車両」
というものができてきて、その次には、
「喫煙車両」
ということで、
「タバコを吸える車両」
というのが、特別車両ということになり、今度は全面禁煙ということになった。
さらに、駅構内は、全面禁煙で、ただ。
「喫煙ルーム」