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なんちゃって犯罪

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 それを思うと、
「会社というのは、世の中がパニックになると、これほど脆いものもない」
 といってもいいだろう。
 それだけ、
「世間が信じていることをそのままマネして、それが正しい」
 と考えるという、
「本当に自主性があるのか?」
 という考えだから、結局は、
「右倣え」
 ということで、奇抜なことができるような体制ではないということなのであろう。
 それを考えると、
「バブル崩壊」
 というと最初は気づかなかったくせに、少しずつでも気づいてくると、あとは、
「慌てふためく」
 というだけのことになってしまう。
 そうなると、
「もう、会社になど期待はしない」
 ということになり、会社の方も、
「いい人材を育てる」
 ということを忘れてしまったかのようになるのだ。
 バブル崩壊後というと、
「非正規雇用の採用」
 というものと、もう一つの対策としては、
「吸収合併」
 というものである。
 中小企業などで、経営が危ないところであっても、将来的に見て、有望な企業だと見れば、大企業は、
「買収に走る」
 ということになる。
 それで、どちらの会社も助かるということであるが、吸収された側の社員は、溜まったものではない。
 当然、辞めていく人も多いだろうが、それも、会社全体で見れば、
「浄化」
 という意味でいけば、いいことなのだろう。
 銀行などの金融機関は、ほとんど合併で大きくなったところが多く、最初の頃は、4つくらいの会社が合併したことで、
「名前を残したいのかどうなのか」
 ということで、やたらと、くそ長い名前の会社があったものだった。
 それを思うと、
「昔が、どの会社だったのか分からないところ」
 と、
「分かるけど、ものすごく長い名前」
 という少し不細工な名前の企業があったりしたものだ。
 どちらがいいというわけではないが、それも、時代だったということであろう。
 そんな時代に、
「コンピュータウイルス」
 などを使って、一儲けしようという組織であったりするものが、蔓延っていた時代だから、
「ソフト開発ができる」
 という人間が重宝された。
 もちろん、
「設計できる人」
 というのも必要であろうが、それよりも、たくさんの類似ウイルスを開発するということで、
「設計者」
 というよりも、
「プログラム作成力のある人」
 という方が、多く雇われたかも知れない。
 なぜなら、
「コンピュータウイルス」
 というものが、いたちごっこだからではないだろうか?
 というのも、最初に、コンピュータを攻撃するソフトを、組織がつくると、今度は、コンピュータメーカーであったり、警察のサイバー課などで、その、
「駆除ソフト」
 というものを作成し、ウイルスを無力化させるだろう。
 しかし、その間に、今度は組織は、別のソフトを作成し、それをばらまくことで、前のソフトを無力化させることになるだろう。
 そうやって、
「開発競争」
 を繰り返すことで、ソフト開発が、
「いたちごっこ」
 を繰り返すということになるのであった。
 これは、
「核開発競争」
 というものと違い、
「抑止力」
 というものがまったく絡まないものだ。
 そういう意味で、
「本当の、伝染病などにおいてのウイルス」
 と同じようなもので、
「ワクチンを作ると、ウイルスは、変異を繰り返すことで、相手に対抗する」
 ということになる。
 それは、結局、無限に続く、開発競争と、変異といういたちごっこに過ぎないということで、それが、世の中の構造となってしまうと、最後には、
「気力の問題」
 ということになるのではないだろうか?
 少なくとも、数十年前から続く、
「いたちごっこ」
 は、その性質を変えてまで、いまだに終わることのない戦いを続けていることになるのであった。
 それを思うと、
「世の中における戦いは、そう簡単に終わるものではない」
 といえるであろう。
 そういう意味で、ウイルスソフトの細菌の傾向は、
「一人の情報を抜き取ることで、そこからどんどん、ウイルスを拡散させ、人に対しての、疑心暗鬼を生み出すということで、最初から予測していたことなのかどうか分からないが、想定以上の効果がもたらされているのではないだろうか?」
 敵対勢力というものができれば、相手をかく乱させるということが、どれほど攻撃において有効なものだといえるのかどうか、それが大きな問題だといっても過言ではないということだろう。
 そんな中で、最近の、
「コンピュータウイルス」
 の中には、
「敵認定」
 というものの仕掛けが入っていると聞いたことがあるが、果たして、そこに信憑性があるのかどうなのか分からないが、
「不特定多数」
 というものを狙い撃つよりも、
「確実に効果を生み出せる」
 ということになるのではないだろうか?
 コンピュータの中で、どのアドレスやアカウントがその人とのSNSなどのつながりで、お互いに信じあっているかということさえ分かれば、相手を崩すなど、実に簡単なことだといえる。
 そもそも、SNSというものは、
「争いが絶えない」
 といってもいい。
 匿名性のもので、誰かを攻撃しようものなら、簡単にできるわけである。
 だからこそ、逆に、攻撃された側は、本当はその人ではないと思っていながらも、
「たかが、SNSん、されどSNS」
 と言わんばかりに、
「信用しろといっても、それは無理というものだ」
 と、ほとんどの人は、
「相手を信じたい」
 と口では言いながら、その匿名性に、
「信じられない」
 という思いを抱かずにはいられないのである。
 それが結局。相手に対して、
「敵認定」
 という思いを抱かせ、
「疑心暗鬼」
 というものから、
「猜疑心」
 というものを抱かせることで、抱いた本人にも、最後には、
「自分すら信用できない」
 という思いにさせるのだ。
 そうなってしまうと、人間の今までの一番の強みであった。
「信頼関係」
 というものが、脆くも崩れ、本来であれば、
「高等動物」
 という強みを失ってしまう。
 もっとも、その信頼関係というものは、元々脆くも薄っぺらいもので、誰かに標的にされると、あっという間に崩れてしまうものだったのかも知れない。
「高等動物」
 というものが、どれほど信頼できるものなのか、意外とそれを一番知っているのは、
「コンピュータウイルス」
 なのかも知れない。
 それこそ、コンピュータウイルスというものは、
「人間よりも頭がよく、冷静に判断できるものなのかも知れない」
 といえるだろう。
「人間らしい」
 という言葉があるが、これは、
「疑心暗鬼」
 であり、
「猜疑心の強い」
 という負の部分の性格のことをいうのであって、本当に人間というのが、
「本当の高等動物なのか?」
 と思わせるのであった。
「そもそも、皇道動物という表現も、人間が勝手に言っているだけで、他の動物は、そんなことを思っていないのかも知れない」
「一番弱いものが人間だ」
 ということになると、それは、
「敵認定」
 というものができるということに限られるのではないだろうか?

                 城址公園
作品名:なんちゃって犯罪 作家名:森本晃次