なんちゃって犯罪
そうなると、家庭を持っている人は、さすがに家族に、
「会社を首になった」
とはいえずに、朝は会社に行くふりをして出かけ、夕方まで、どこかの公園で時間を潰す」
というような、そんな惨めな人が増えたのであった。
職探しをしても、見つかるわけはない。
どこの会社も人キリに走っているので、失業者が街にあふれるばかりであった。
そんな、世知辛い世の中であったが、最初に首を切られた若い連中に目を付けたところがあったのだ。
それが、いわゆる、
「闇の組織」
と言われるところで、そこは、
「本当に優秀な人材」
というものを求めていた。
しかも、それは、
「コンピュータによるシステム開発に長けた人」
ということであった。
特に、
「プログラミング言語に明るい」
という連中であった。
特に、リストラの初期に首を切られた、
「優秀と思われる連中」
というのがたくさんいたと思われるそんな若い連中こそが、
「闇の組織」
としてはありがかたった。
その組織というのは、
「コンピュータウイルスを開発して、社会を混乱させる」
ということを目的とした組織であった。
その組織の最終目的は分からないが、
「今のうちに、金をためておく」
という目的は、どの組織にも共通して言えることであった。
そして、その共通目的のせいなのか、その組織のやり方は酷似していた。
「ウイルスをばらまくことで、個人情報やパスワードを盗むことで、簡単に、金を手に入れる」
というやり方であった。
そもそも、崩壊したバブル経済というのは、
「実態のない、泡のようなもの」
ということで、
「実態がないからこそ、あんなにあぶく銭と言われるようなものが蔓延ることで、誰もが、バブルの崩壊を想像もできなかった」
ということである。
「事業を拡大すればするほど、本当に儲かった」
それは事実であった。
しかし、そんなバブル経済というものにも、
「限界があった」
ということである。
古典で、そんな当たり前のことは、習ってきたではないか。そう、
「平家物語」
というものを勉強していれば、そこから学ぶことはたくさんあったはずだ。
「諸行無常」
「盛者必衰」
などという言葉が冒頭で並び、一代で栄華を手に入れ、
「平家にあらずんば人にあらず」
などという言葉があったくらいに、栄華を誇った平家が、数十年で一気に滅んでいく姿が描かれているではないか。
または、それから、500年後くらいに、今度は、
「豊臣家の滅亡」
というのも、同じように、一代で築いた天下が、その人が死んだことで一気に滅亡へと追いやられるのであった。
そもそも、平家には、
「教訓:
というものがあった。
敵であった、
「源頼朝」
を、義理の母の命乞いということで、本来であれば、処刑するべきものを、
「命を助けて、島流しにした」
ということで、結果的に、彼に平家一門を滅ぼされることになった歴史があった。
それを、知っていた徳川家康は、
「豊臣家の滅亡」
へと舵を切ったのだった。
豊臣家、平家というのは、実は結構似ているところがある。
「一代で、栄華をほしいままにした」
ということもその一つであったが、清盛が、
「まだまだ武家が貴族の使い走り」
という状態であったものを、
「昇殿が許される」
というところまで短期間で上り詰め、貴族の官位の最高位までいき、天下を握るところまで行ったのに対し、秀吉も、農民の出でありながら、信長亡き後、その敵を討ったということで、一気に立場を引き上げ、さらには、休むことなく、天下統一を一気に進めたことで、まわりも、
「従わなければいけない」
という状態になった。
しかも、秀吉には、
「たぐいまれなる、人たらし」
と言われる、
「人心掌握術」
というものがあった。
それを考えると、
「平家と豊臣家」
というのは、
「その前後の歴史にまで似たような影響を与えた」
ということで、
「時代が離れていても、歴史は繰り返す」
ということを証明しているかのようであった。
そんな、
「いつまでもある」
と思われるような、
「平家の世」
であったり、
「戦のない世」
というものを確立したかに見えた、
「豊臣政権」
であっても、
「カリスマ性の人物が、一人いなくなっただけで、いとも簡単に崩壊するという政権だったのだ」
しかし、これは、
「もろ刃の剣」
のようなもので、
「カリスマ性がなければ、天下の統一などできるわけもなく、かといって、二代目が、初代よりも優秀なのか? というところなので、果たして、本当に、天下泰平の時代が来るのかというと実に難しい」
カリスマ性の人間というのは、えてして、後世を考えてはいるが、自分にカリスマ性があることをどこまで分かっているかということで、子供がどこまで自分に近づけるかということが分からず、結局、
「今までの家臣に、委ねるしかない」
ということで、
「カリスマ性のある主君が死ぬのを待っている」
かのような家臣ばかりだと、まず、一代で滅亡する運命だといってもいいのではないだろうか?
バブルなどもそんな時代だったのかも知れない。
誰もが、
「神話」
というものを信じて、崩壊した時も、しばらくは、信じられないということだったのではないだろうか?
そういう意味で、
「盛者必衰」
であったり、
「諸行無常」
という言葉は、
「形あるものは、必ず壊れる。無限ではない」
ということを示しているのであった。
だから、バブルというのも、
「実態のないもの」
ということで、
「夢まぼろしのごとくなり」
といってもいいのではないだろうか?
そういう意味で、信長が好んだと言われる、
「敦盛」
の一説である、
「人間50年」
しかも、彼が暗殺されたのも、ちょうど49歳で、
「50歳に満たなかった」
というのも、何かの因縁があったということなのかも知れない。
バブルが弾けてからというもの、間違いなく世の中は変わった。
特に会社経営などということが大きく変わったことで、社会構造も大きく変化したのである。
特に、
「雇用体制の変化」
というのは大きな問題で、今も、いろいろなところで、問題が出てきているといっても過言ではないだろう。
特に、
「非正規雇用」
というものが大きい。
何といっても、
「年功序列」
「終身雇用」
というものが崩壊した。
「だから、一つの会社に、ずっと勤めるということが、それまでのように、美徳ということがなくなってきた」
ということである。
昔であれば、
「もっと実力主義でもいいのに」
と思っていたのは、まだまだ膨れ上がっていたバブル経済だったからのことで、崩壊してしまうと、
「実力があろうがなかろうが、会社の事情で簡単にはじかれてしまう」
「実力があれば、会社が手放さない」
というかも知れないが、それを見極める人間自体に、そこまでの眼力があるかどうか、怪しいものだ。
片っ端から首を切っておいて、残った人の中から、人事などが選ばれるのだから、
「まるでくじ引きだ」
というような会社だってあるかも知れない。