なんちゃって犯罪
本来であれば、ひき逃げというのは、その場で名乗り出る方が。本当であれば、刑事罰にまでなることはなく、相手が、死んだわけでなければ、被害者が、
「穏便に」
といえば、刑事罰を食らうことはない。
それを、逃げたりなどするから、相手の心証を最悪にしてしまうことで、被害者が、
「告訴」
ということになり、刑事罰でも、民事でも争うことになるのだ。
民事なら、普通にあることなのでそこまで大きな問題ではないだろう。
任意保険にさえ入っていれば、相手の病院代や治療費、それから車の修理代まで、任意保険で賄えるというものだ。
しかし、これが刑事罰ということになり、最悪、
「前科がつく」
などということになれば、それは、
「会社を懲戒解雇」
ということになったり、
「前科ということが分かってしまうと、再就職もままならない」
ということになりかねない。
それだけではなく、下手をすると、
「家族がバラバラになってしまう」
ということにもなりかねず。
「離婚問題」
なども一緒に絡んでくると、
「人生、これで終わった」
ということになるだろう。
だから、冷静になってみると、一度はその場から逃げたとしても、あとで自首するということになるかもしれない。
もちろん、その場から、救護義務違反も、報告義務を怠って逃げたということであれば、いくら後から自首したといっても、
「ひき逃げ」
ということに変わりはなく。
「自首」
ということになるわけでもない。
だからこそ、その場で潔い態度を取らないと、時間が経てば経つほど、普通であれば、不利になるということであった。
それでも、逃げるというのは、
「逃げなければならない、のっぴきならぬ理由がある」
ということで、それを警察は考えて、
「余罪がないか?」
ということを調べるかも知れない。
その時、
「奥さんが行方不明」
などということになっていて、しかも、本人が、捜索願を出していなければ、余計に疑われるに違いない。
だから、そんな時は、ウソでもいいから、捜索願を出しておかなければ、ひき逃げということに対して、疑わしい行動をしているのが分かれば、改札も、
「何か逃げなければいけなかったのっぴきならぬ事情が何か?」
ということを探るに違いないだろう。
それを思うと、
「ひき逃げというのは、実に、あとから余計なことを考えさせる事件である」
ということでもあるのだ。
ある意味、他の何かを引き起こした時、一番併発したくないのは、
「ひき逃げ事件なのかも知れない」
ということになるであろう。
敵認定
SNSなどにおいて、
「誹謗中傷」
などが社会問題となり、そこで生まれてきた問題はいくつもあるだろうが、その中で、前章では、
「個人情報」
などというものが問題だということになるものを示したことに、
「ストーカー問題」
というものの存在が大きいということを、指摘した。
しかし、もう一つ、問題があるとも書いたが、その問題というものとして、
「詐欺関係の問題」
というものがあるということである。
これは、インターネットの普及が行われた、時代的には、
「世紀末」
と言われていた時代であるが、その頃になると、一つ大きな問題として、
「コンピュータウイルス」
という問題が出てきた。
インターネットの普及によって、一番変わったことは、会社などで、今までであれば、個人で指揮命令系統が流れていたものが、、メールというもので伝えられるようになってきた。
インターネットが普及する前というのは、
「相手の顔を見てしっかり命令しないと相手に伝わらない」
と言われたり、
「命令を受けるのも、相手の顔をしっかり見て聞かないと、相手に分かったどうか分からない」
ということであった。
だから、いくらネットの普及が著しいといっても、
「メールの文章だけ」
というと、普通は、
「相手に失礼ではないか?」
と考えてしまうような時代であった。
今でこそ、メールや、それに付随したコンピュータによる伝達というものが、主流になっているので、当たり前のことと思われるであろうが、昔の、
「アナログ」
と言われていた時代は、まさにそうだったのだ。
今では当たり前のメールであれば、
「言った言わない」
という議論になるということはない。
つまりは、
「相手に対して、証拠を残す」
ということが大切だということを、その時は、そこまで意識としてはなかったのではないだろうか?」
もっと言えば、メールのなかった時代であれば、それこそ、
「命令書」
というようなものをきっちりと書いて、印鑑まで押すくらいの入念さがあってこそでなければ、
「言った言わない」
という問題は解決しないということになるのであろう。
つまりは、昔であれば、
「言った言わない」
という議論をいったとしても、しょせんは、文章で残していないのだから、
「結局仕方のないことだ」
ということで、
「文章に残さなかった方が悪い」
ということは、やまやまだということになるのだろうが、それまでは、
「それはそれで、もう仕方がない」
ということで、結果的に、
「力の強い方が、正義だ」
ということになるのではないだろうか?
つまり、今でいえば、
「パワハラだ」
と言われるものが幅を利かせていた時代であり、それを皆、
「理不尽だ」
と思いながらも、
「それはそれでしょうがない」
ということになるのであろう。
それだけ、会社などでは、
「年功序列」
ということであり、
「会社の秩序は、その力関係で決まってくる」
ということになったのだ。
それを皆が、
「それが当たり前のことだ」
と考えていたから、
「トラブルにはなっても、最後には、理不尽でありながらも、その時代の理屈が解決する」
ということになるのである。
今でこそ、
「コンプライアンス」
というものが厳しく、上司の威厳などというものは、それほど力を持っていないということになると、本来であれば、
「カリスマを持った上司」
がいることで、その部署の秩序や、治安が守られているというのが、当たり前で、正しいことだと考えられていたものが、それを、すべて否定してしまうということになると、いくら、
「時代が変わった」
とはいえ、その問題をいかに解決するのか?
ということが問題となるだろう。
やはり、時代の一大転換期というものがあったとすれば、
「バブルの崩壊」
というものが大きかったかも知れない。
その理由として、
「終身雇用」
「年功序列」
というものの崩壊というのが大きかったに違いない。
「年功序列」
というものは、前述であったが、
「終身雇用」
というものがなくなると、今度は正社員である必要はなくなる。
だから、上司が部下に対しての厳しい教えなどというものが、根本から崩れていく。
「正社員」
だけが会社の仕事をしているという考えがなくなり、
「派遣社員」
などという考えが生まれて、
「非正規雇用社員」