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なんちゃって犯罪

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 今の時代で残っている城も、一つの県だけであっても、かなりの数になるという。
 特に、
「ほとんどの城に、同じものはない」
 といってもいいように、いろいろな仕掛けが作られていることになるのだ。
 それは、
「築城の盟主」
 と言われる人がいて、莫大な数の城を設計した人であっても同じことで、たくさんの城を組み立てているが、同じ仕掛けを施すようなことはしないであろう。
 というのも、
「今度敵対する大名の城が、同じ設計者によって築かれた」
 ということであれば、
「相手には、この城と同じ仕掛けだということが分かっているので、攻めてくる方が有利であるに決まっている」
 ということになり、丸裸にされたも同然ということであろう。
 そういえば、昔聞いた話では、
「城を完成させた殿様は、その建築に携わった工夫たちを招いて、打ち上げのようなものをしようと誘うというが、実際には、建てた人たちを、残らず、毒殺した」
 ということを聞いたことがあった。
 それもそうである、
「敵対する相手に攻め込まれ、抜け穴までも相手に筒抜けになってしまえば、せっかくの難攻不落と言われる城であっても、内部構造が分かってしまえば、攻略も簡単であり、城の役目になっていない」
 ということになるであろう。
 そんなお城は、落城すると、すべてが、なくなってしまう。
 勝者は、その土地を支配し、家臣に褒美として分け与える。
 その城をそのまま使う場合もあるが、取り壊して作り直す場合もある。
 作り直す時は、取り壊した城の材料を使って、立て直すということが多く行われる。そうなると、短期間で建てることができるというものだ。
 例えば、
「小谷城の遺構を使われてできたのが、長浜城」
 であったり、
「佐和山城の遺構の場合は、彦根城に使われる」
 ということであった。
 そもそも、戦国時代の山城であれば、基本的に、使わなくなったところは、
「取りつぶして、別の城を作る」
 ということが多く行われていたのであった。
 そういう意味で、どんどん新しい城を、他と同じように作らないという工夫をしながら作る必要があったのだ。
 お城の総構えから、濠であったり、櫓などの設計」
 というものを、
「縄張り」
 という、今復興されたお城などというのは、昔の縄張り図が残っているところは、それを見て復興できるが、
「戦争による空襲」
 であったり、さらに昔の戦などで、例えば、
「松永久秀の信貴山城」
 であったり、
「柴田勝家の北庄城」
 などでは、最後に、
「敗軍の将」
 が自害をし、さらに、
「首を相手に与えないため」
 ということで、天守に火をつけるというやり方で、城自体が燃え落ちるということもあるだろう。
 大阪の陣のように、徳川方が大阪城の天守に、火をつけるということも行われ、
「相手の遺構を、まったく残さないようにする」
 ということも行われたりするのであった。
 そのせいで、
「縄張り図が、全く残っていない」
 ということで、想像で再建された天守もあることになるのだ。

                 覗きの現場

 そんなお城というのは、その場所によって、当然、遺構であったり、縄張りが違うのだから、公園も、場所によってまったく違っていたりするというものだ。
 さらに、この土地は、昔から、いろいろな勢力が、いわゆる、
「群雄割拠」
 ということで、絶えず、その戦を細かいところで繰り広げていたこともあって、
「城をこまめに作り変えていた」
 ということで有名なところであった。
 一つの国で、まるで三国志のように、それこそ、
「三すくみ」
 であったり、
「三つ巴」
 という形で作られていたりするのであった。
 この土地は、三つ巴というよりも、三すくみと言った方がいいかも知れない。
 そういう意味では、
「お互いに、うかつには手を出せない」
 という意味で、さらに、それぞれに強固な城を築城することで、余計に攻めてに欠けるといってもいいかも知れない。
 そもそも、三つ巴であれば、
「一つが力を入れれば、それぞれに、同じ力を発揮することで、その均衡は保つことができる」
 ということで、その力を
「いかに近郊に保つか?」
 ということを考え、この場合も、
「うかつには手を出すことができない」
 といえるだろう。
 しかし、もっと厄介なのは、
「三すくみの関係」
 ということで、
「三つ巴」
 という、正三角形の形では、お互いに、
「自分が潰れないようにするには、
「相手を倒すこともできないが、無理をして均衡を壊せば、下手をすれば、それぞれに潰れてしまうことで、結果として、生き残ることができない」
 ということになるのだ。
 しかし、三すくみというのは、
「自分を含めたそれぞれが、それぞれに対しての力関係がしっかりしていて、しかも、それぞれの他の二つに対して。強弱という意味での均衡が保てている」
 ということになるのだ。
 三つ巴が、
「平衡状態」
 ということの力関係によって、その均衡が保たれるのに対し、三すくみというのが、
「それぞれの力関係が、ひっぱる力として、平衡状態になる」
 という均衡がいかに保たれるかということが問題になるのだ。
 だから、
「三すくみというのは、動くこともできない力関係」
 ということになる。
 つまりは、
「お互いに、その力関係を距離とみなして、動いてしまうと、均衡は、片方に寄ってしまうことで、余計に、動けない」
 ということになるのであった。
 もし、自分が動いてしまうと、自分は当然のごとく、自分が優位に立つ相手に襲いかかることになる。
 そうなると、自分は、襲い掛かったものを滅ぼすことはできるのだが、そのせいで、自分を襲おうとしている、自分よりも強い力を持った相手の抑止力と、自分から外してしまうということになるのだ。
 それこそ、
「自殺行為」
 というもので、
「力関係というものの均衡」
 というのは、
「自分の中に、
「正と負」
 という関係がそこにあり、それを自らが壊してしまうと、残った二つの力関係からすれば、
「圧倒的に自分が不利」
 ということであり、最終的に生き残るのは、
「自分よりも強い相手」
 ということになるのだ。
 だから、三すくみの場合というのは、
「自分から動くことのできない」
 ということだといってもいいだろう。
 それを考えると、
「三すくみというのは、力の均衡を抑止するのは、バランスだ」
 ということになるのだ。
 三つ巴」
 というものの場合は、その力自体が拮抗しているので、どことどこがぶつかったとしても、どちらが勝つかということの想像はつかない。
 だから、最初に手を出そうがどうしようが、力関係に対しては関係がないのである。
 しかし、
「二回戦やるよりも、一回戦、つまり決勝だけであれば、体力的にも有利である」
 ということから、できれば、相手が潰しあいをしてくれるのが、一番ありがたいということになるであろう。
 それを考えると、三つ巴というのは、
「一歩間違えれば、永遠に終わりのない戦になるかも知れない」
 ということだ。
 こちらが、
「これ以上戦えば、体力がない」
作品名:なんちゃって犯罪 作家名:森本晃次