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都合のいい免罪符

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 これは、人間以外が持っている、
「強力な本能」
 というものが影響しているのかも知れない。
 それも、
「自衛本能」
 というものだ。
 それが、身体の特徴にもなり、
「保護色」
 であったり、
「身体に毒を持っていたり」
 と、相手が自分を攻撃してきた時に守ることができる力を持っている必要がある場合の本能ということである。
 しかし、それはあくまでも、
「無駄な抵抗だ」
 といえるのかも知れない。
「自然の摂理」
 として、
「抗えない運命」
 というものがあり、
「食われてしまうのは仕方のないこと」
 という運命もあるが、実際には、歴然とした力の差があるが、
「この動物が食われてしまうと、自然の摂理がうまくいかない」
 ということになる場合がある。
 それが、一種の、
「三すくみ」
 のような場合があるからだ。
 力の差は歴然としていて、
「防備の業か力がなければ、相手に食われて終わりだ」
 ということになると、そこで、
「自然の摂理」
 というものが崩れてしまう。
 ということになると、
「どうすればいいのか?」
 ということを考えると、そこには、それぞれに、
「お互いに相手を襲うということができない」
 という、
「力の均衡」
 というものが存在しなければいけないということになる。
 それが、ここでいう、
「三すくみ」
 というもので、
「お互いにお互いをけん制し合う」
 ということで、それぞれに、
「自分が優位に立っている相手に攻撃を加えると、次にやられるのは自分だ」
 ということを、自分なりに理解しているということになるだろう。
 それを思うと、
「もう一つの何かの力が存在する」
 ということで、均衡が破れ、そこで、
「自然の摂理」
 というものから、抜け出せる存在の動物が生まれてくることになる。。
 その存在というのが、、
「人間」
 という動物であり、それゆえに、
「高等動物」
 としての存在を示すことで、
「人間だけが特殊なもの」
 ということで、他の動物から見れば、
「人間というのは、神に近い存在なのではないか?」
 と考えられるのではないだろうか?
「他の動物から見れば、人間は、二つの命を持っているのかも知れない」
 と感じるのだった。

                    二つの命

 人間から、
「神」
 という存在を創造した時、そもそも、
「命」
 という概念はないと考えられるのではないだろうか?
「神様というものが死ぬ」
 ということを考えたことがないからである。
 二宮少年が、中学受験というものを断念したのは、
「臆病だから」
 ということで、それが、彼の持って生まれた、
「自衛本能がいち早く働いた」
 ということだからであろう。
 そもそも、彼が、
「1+1=2」
 というものを、簡単に理解できなかったというのも、この、
「自衛本能」
 というものの力によるものなのかも知れない。
 彼が、中学受験しなかった理由は、一つは、
「統計的な発想ができる」
 ということになるからではないだろうか>
 中学受験をすれば、合格は、
「五分五分ではないか?」
 と言われていた。
 というのは、受験を考えると、そのレベルから、
「受験するなら」
 ということで目標とする学校には、合格するのは、五分五分と言われているのだが、それは、一つランクを下げた学校とのレベルの差が歴然としていたからであった。
「ランクを下げるくらいなら、別にその学校を受験しなくても、公立に行ってもそんなに変わりはない」
 と思えるところで、
「だったら、無理して私立にいく必要もない」
 というところであった。
 しかも、そのランクを下げた中学というのは、
「私立ということで、金持ちの子供が、中学は私立に行ったということで、一種の箔をつけたいという意味で、受験するところ」
 というウワサガあるところで、その分、入学金も、授業料も他の私立に比べれば、
「高い」
 ということになる。
 だから、
「そんな学校に、わざわざ進む必要もなく」
 そもそもが、
「坊ちゃん学校」
「お嬢様学校」
 などと言われ、学校自体が特殊な私立だったのだ。
 そんなところに、爪に火を灯すかのような暮らしをしている一般庶民の子供が通学するということは、それだけで、
「親も子供も、惨めな思いをすることになる」
 ということであった。
 それは皆分かっていることだったので、そこへの受験というのは、
「最初からない」
 といってもいいだろう。
 ということは、
「中学受験をするということは、最初から五分五分の学校」
 ということしか、選択肢は残っていないのだった。
「それなら、受験の必要はない」
 ということであった。
 学校の先生も、親も、
「受験するだけしてみればいいんじゃないか? 実力を試すという意味でも、決して無駄なことではないんじゃないか?」
 とは言ってくれたが、
「いやいや、もういいんですよ」
 としか、二宮は答えない。
 そこで論破できるくらいの自信はあったが、論破するということは、
「自分の臆病さというものを、表に出すことに繋がるのではないか?」
 ということであった。
 二宮が考えていることを、他の大人は分かっているだろうか。
「大人ゆえに分からない」
 ともいえるし、
「大人だからこそ、子供の気持ちが分からない」
 ということへの証明のような気がして仕方がない。
 それを思うと、二宮は、
「簡単に受験をすることもできない」
 と思うのだった。
 彼が感じたのは、
「自分のプライドというものが、入学したことによって、ズタズタになりはしないか?」
 と考えたからだった。
 それは、
「二宮少年が、小学生の一年生に入学してから、低学年の間。理屈というものが分からないことで、その苦しみというものを、ずっと耐え忍んでいた」
 という経験があるからであった。
 小学生の頃に、
「底辺も、頂点も、両方味わったわけである」
 しかも、
「底辺から頂点ということで、上に上がるということしか経験をしたことがなかったので、今の状態は、頂点にいるということで、もし、変わるとすれば、それは頂点から叩き落されるということであり、見えてくるのは、奈落の底というものではないだろうか?」
 と考えることであった。
 小学生の受験前というと、クラスでもトップクラスで、曖昧ささえなければ、きっと、
「クラスで一番の成績を、ずっと続けてきたのだろう」
 という自負はあった。
 小学生は、点数で評価することはなく、ランクで評価する。
 だから、そこに、
「表に出てくる、順位というものは存在しない」
 ということで、
「差別的な発想は、曖昧にごまかす」
 というのが、小学生ではないだろうか?
 ただ、当然のことながら、
「優秀な成績を収めている人たちにとっては、何ともいえないような腹立たしさのようなものが蠢いている」
 といってもいいのではないだろうか?
 というのも、
「順位をハッキリとしてくれた方が、自分に対しても、モチベーションが上がる」
 というものだ。
「せめて、ベスト10くらいのところは、教えてくれてもいい」
作品名:都合のいい免罪符 作家名:森本晃次