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都合のいい免罪符

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 というものではないだろうか?
 小学生ではそれもしてくれない。
「中学生ではどうなのだろうか?」
 と考えたが、私立の、いわゆる
「進学校」
 と言われるようなところは、カチッとした順位をつけることであろう。
 そうやって、モチベーションを挙げることが、個人間での切磋琢磨が、全体のレベルを引き上げ、
「優秀な生徒」
 をさらに、篩に架けることで、先生も、
「どの生徒にターゲットを絞るか?」
 ということが分かってくるというものである。
 それを考えた時、
「公立の中学は、やっぱり小学校の延長なのではないだろうか?」
 とも考えた。
 それは、
「中学生までが、義務教育」
 ということになるのだから、なるべく、
「落ちこぼれ」
 というものを増やしてはいけない。
 ということになるだろう。
 だからこそ、
「ゆとり教育」
 というものが生まれたのである。
 そもそも、戦後の教育というのは、
 まずは、
「戦後復興」
 ということが最優先の日本において、
「教育問題」
 というのは、深刻なものだった。
 復興というものを、日本人の手で行わなければいけないというのも当たり前のことであり、
「そのためには、今の学生や児童の学力の底上げというのが、急務である」
 といえるだろう。
 そのために、
「学校の差別化」
 というものが進み、
「進学校」
 というものが増えてくることで、当時生まれた、
「教育ママ」
 と言われる、今でいう、
「モンスターピアレント」
 と言われるものが、子供に言っているのは、
「お父さんみたいに、学がないと惨めな思いをする」
 ということで、
「いい会社に入るためには、いい学校に入らないといけない。お父さんのようになりたいの?」
 とばかりの言われ方だった。
 当時はまだまだ、父親は
「家族の大黒柱」
 ということで、その威厳は、少しは落ちたとはいえ、
「絶対的な存在だった」
 といっても過言ではないだろう。
 だから、
「その威厳を壊しては元も子もない」
 ということで、
「お父さんには、子供の前でこんなことを言っているということは内緒にしながら、子供のモチベーションを高めるために、本当は言いたくないことなのだと子供に思わせるように話をしていた」
 ということであった。
 実際には、
「言いたくて仕方がないことだった」
 ということなのかも知れないが、
「それを口にしてしまうと、どうしようもない」
 といっても過言ではないだろう。
 特に当時の大人は、
「子供の教育」
 というものに対して、神経が過敏になるくらいに大変なものだったといってもいいだろう。
 特に、当時のエンターテイメントという娯楽では、
「それまでは、映画だけだったが、カラーテレビの普及がほぼ、
「一家に一台」
 ということが当たり前のようになってきたことで、
「娯楽的なテレビ番組が多くなってきたり、マンガがアニメ化したことで、子供に悪影響を与える」
 と言われる番組が増えてきたといわれるようになった。
 だから、マンガを置いてあった、当時の、
「貸本屋」
 などに対して、
「子供が来たら追い返せ」
 というようなビラを作って配ったりしていたのだ。
 本来であれば、
「営業妨害」
 といってもいいのだろうが、まだまだ、町内会というものの力が強かった時代であり、しかも、
「貸本屋などの主なお得意様」
 というのが、
「近所の主婦」
 というところであったことから、相手が、
「教育ママ」
 だということが分かっているとしても、
「それをむげな対応をすることもできない」
 というものであった。
 それを考えると、
「貸本屋も、、ジレンマであり、子供に至っては、せっかくの教養になるかも知れないものを、十把一絡げにして、マンガは悪書とばかりに攻撃する親のせいで、結局、誰も得をすることのない、百害あって一利なしということになる」
 といえるのではないだろうか?
「教育ママ」
 というのも、いくら子供のためとは言いながらも、悪書として、まるで何かを、
「仮想敵」
 というものに仕立て上げないと、子供に対して、何も言えないという、少し歪んだ考えがあるのではないだろうか。
 そんな親が、子供に対していかに対応するか?」
 ということが、きっとまだ手探り状態だったのかも知れない。
 何しろ、
「このように、仮想敵を作って、子供を悪に少しでも近づけないようにする」
 という方法以外には、どう対応していいのか分からないからだ。
 というのは、まだまだ教育というものに対しては。
「黎明期だ」
 ということであり、もし、この方法が、
「悪いことだ」
 ということであったとしても、他に方法が分からず、思いつくということもないと考えた時、考えられる発想としては、
「考えれば考えるほど、一周回って、元に戻ってくる」
 ということしかない。
 ということにしかならないのであった。
 そんな中で、教育方針としては、
「学力の底上げ」
 というものが最優先となり、
「それが何を引き起こしたのか?」
 というと、
「落ちこぼれ」
 というものを、大量に生み出すということになるのだった。
 それは、結局、
「校内暴力」
 というものを引き出し、卒業式での、
「お礼参り」
 などというものが横行してくるのである。
 それが、
「腐ったミカンの法則」
 というものを生み出すことになるのだろう。
「ミカンなどのように、すぐに腐りやすいものは、他のミカンを腐らせてしまうことから、すぐに排除する必要がある」
 というものである。
 つまり、まわりに悪影響を与えるような、昔でいうところの、
「不良」
 と呼ばれる連中は、優秀な生徒に近づけないようにするということもあり、
「学校の拘束に違反したり、万引きなどの犯罪を犯した連中は、すぐに退学にする」
 というやり方である。
 昭和の頃には、小学校の中に、特殊学級などというものがあり、
「障害者を、そこに集める」
 ということもあった。
 ただ、これはそうしておかないと、安全面などからの配慮もあるということで、仕方のない面もあるが、子供たちの意識の中に、
「障害者は、特別扱いをするものなのだ」
 という意識を植え付けることになるのであった。
 障害者と、不良とは、元々扱いが違うが、
「特別扱いをする」
 ということでは、大差ないといってもいいだろう。
 やはり、
「いかに差別を行うかということが、子供の心に先入観を与えるかということになるといっても過言ではないだろう」
 二宮は、中学は受験をせずに、そのまま地元の公立中学に行った。
「なぜ受験をしなかったのか?」
 というと、臆病というよりも、
「それなりに計算づくだった」
 といってもいいだろう。
 なるほど、
「五分五分でも試験に受かれば、そのまま私立校に入学することになるだろう」
 しかし、そうなると、今までがせっかくトップクラスだったのに、今度は、
「秀才の集まり」
 というところに入ることになるのだ。
 しかも、成績から考えれば、
「五分五分」
 というところなので、実際に入ってくる連中は、ほとんどが、
「この学校であれば安パイだ」
作品名:都合のいい免罪符 作家名:森本晃次