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都合のいい免罪符

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 という考え方などは、この浦島太郎の話に通じるものがあるということであった。
 その中の一つとして、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
 という考え方で、それが、
「パラレルワールドという発想を生む」
 ということであった。
 パラレルワールドというものは、次の瞬間に広がっている無限の可能性というものが、別の形で存在しているというものである。
 しかし、このパラレルワールドという考え方は、勘違いされやすいのだが、これは、
「異次元」
 という発想ではなく、あくまでも、
「並行宇宙」
 という考え方であり、
「ある世界、ある時空から分岐し、そこからつながっていくものだ」
 ということであるので、可能性が無限と考えられる以上、その先には、無限しかないのではないかということになるのであった。
 だから、パラレルワールドというのは、
「その可能性を考えることはできるが、異次元であったり、宇宙を一つと考えている間は、異質な考え方だということになり、簡単に信じられるものではない」
 ということになるであろう。
 その一つの考え方として、
「命というのは、一人の人に必ず一つなのだろうか?」
 ということであった。
 もっと考えれば、パラレルワールドが存在するということは、
「パラレルワールドの数だけ、自分が存在している」
 といってもいいと考えることであった。
 しかし、これは考え方によっては、
「次の瞬間、自分がこの世から消えている」
 という可能性だってあるということだ。
 そうなると、
「パラレルワールドというものを考える場合に、それを、誰か一人の人間という世界から見てしまう」
 ということになると、そこには、
「終わってしまう」
 という世界が広がっているということになる。
 だとすれば、
「死んでしまう世界」
 というものを、
「パラレルワールドとして、その人は認めることができるのか?」
 とも考えられる。
「ロボット工学における、フレーム問題」
 というものを、人間は、無意識に理解する形で、切りぬけているという考え方は、
「ひょっとすると、このパラレルワールドというものを凌駕できていることから、問題なくできている」
 といえるのかも知れない。
 つまりは、パラレルワールドがいくら無限にあるとしても、その中で。
「自分に関係のある部分」
 というものだけを、
「しっかりと理解できている」
 ということになるのであろう。
 そんなフレーム問題を、無意識に解決できるということが、
「人間というものを、高等動物だ」
 ということで認識し、それができない動物を、
「人間よりも下等なもの」
 とし、さらには、原始生物を、
「最下等」
 としてランク付けできるというのは、それだけ、
「人間というものの進化を、自覚している」
 ということになるからではないだろうか。
 人間というものを高等動物だと理解できることが、
「人間の人間たるゆえん」
 であり、自信を持つことで、どんどん人間は進化をし、かしこくなっていくということになるのだ。
 だが、進化ばかりしていていいのかという発想があるからなのか、人間には、
「戒め」
 という考え方もある。
 その考えは、宗教であったり、
「神様の存在」
 というものから、人間に対しての、
「戒律」
 というものが存在している。
 これを、
「人間よりも上の存在としての、神様を作り上げることで、人間に対して、自信過剰になりすぎないように、戒めるのだ」
 ということになるのだろう。
 ここで、人間は、
「自信を持つことで、進化を遂げる」
 という正の部分と、
「あまり自信過剰にいなってしまうと、いずれは、悪い方の報いを受ける」
 という発想からなのか、暴走を防ぐという意味での、
「神様の存在」
 あるいは、
「戒律による縛り」
 というものが存在するということになるのであろう。
 そんなことを考えていると、
「パラレルワールドと呼ばれるものが、本当にい、無限に存在しているのだろうか?」
 ということである。
 それを考えた時、
「人間の寿命というのは、このパラレルワールドに影響を与えるのかどうか?」
 という考え方である。
 いくら、無限の可能性があるとはいえ、その中で、
「人間一人一人の寿命は、パラレルワールドであっても、決まっているものであり、一つの世界で、その人が死ぬのであれば、すべての世界でも死んでしまう」
 ということになると考えると、
「無限だ」
 と思われるパラレルワールドは、かなり制限された世界になるということである。
 こうなると、
「フレーム問題の解決になる」
 というわけで、
「自信過剰というものが、人間においてのパラレルワールドを制限してくれる」
 ともいえるのではないだろうか?
 こうやって、パラレルワールドというものが、
「人間の寿命に大きく影響される」
 と考えると、
「フレーム問題は解決できる」
 と言え、そのことによって、
「ロボット開発も進む」
 といえるのではないかと思えるが、
「果たしてそううまくいくのだろうか?」
 ということもあるのであった。
 それが、
「浦島太郎」
 のような、
「表裏の話」
 というものであり、
「情けは人のためならず」
 ということわざに通じる、
「表裏の関係」
 ではないか?
 ということであった。
 表裏の関係というのは
「正反対」
 ということでもあるが、逆に、
「表裏一体」
 と言われるように紙一重ともいえるのではないだろうか。
 その考えがいわゆる、
「長所と短所」
 というものではないだろうか?
 一見、
「双極の端同士」
 といえるものに見えるが、よく言われるように、
「長所と短所は紙一重」
 ということである。
 そこには、
「プラスマイナス」
 という数学的な考え方が存在していて、
「鏡の発想」
 として考えられることもあるというものだ。
 鏡の発想として気になるものとして、一つあるのは、
「左右は反転するのに、上下は反転しない」
 というものである。
 鏡に自分の姿を正対させた時。
「右手が左手になり、左手が右手になる」
 という現象を見たことがあるであろう。
 さらに、プリントの入ったシャツなどを見ると、左右が反対に映っているので、正直、すぐには、何と書いてあるのか分からないというものである。
 これに関しては、科学的にハッキリと証明されたというわけではない。
 一つ言えることとしては、
「あくまでも、目の前に映っているのは、反射しているものだということを人間が、無意識に意識していることで、まるで、鏡に映っている自分を、
「背中から見ている」
 という風に感じることで、
「左右が反対に見えるのは当たり前のことだ」
 と、先回りして判断することで、不思議に思うことなく、左右の反転をとらえているのだろう。
 その反転を無意識に見れるのが、
「人間」
 というもので、こちらも、
「フレーム問題を人間が、いともたやすく解決できる」
 ということの理由ではないか?
 ということになるのだろう。
 それを考えると、
作品名:都合のいい免罪符 作家名:森本晃次