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都合のいい免罪符

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 しかし、少し不思議な気がするのだが、
「どうして、攻め込む方は、その人が、総大将だ」
 と分かるのだろうか?
 確かに
「その場所に座っているから、総大将だ」
 ということが分かるのだろうが、どうしてハッキリと分かるのだろうか?
 相手に本陣に攻め込まれると、本陣は総崩れになるか、皆で必死に総大将を守ろうとするからなのだろうが、総崩れになることだってあるはずだ。
 何しろ、本陣に攻め込まれるというのは、
「徐々に押し込まれてきて、守り切れずに攻め込まれている」
 という場合であれば、
「それまで必死に守ろうとしているにもかかわらず、それでもだめなのだから、防衛線を突破されれば、それまでの防衛が利かなくなると、一気に逃亡へと舵を切り替えることになる」
 ということで、そうなると、大混乱を期するのは、当たり前のことであろう。
 もう一つとしては、一気に攻め込まれるとすれば、
「それこそ、ハチの巣をつついたような騒ぎになり、それこそ、戦術、戦略が総崩れになるので、必至になって逃げだそうとするに違いない」
 ということである。
 そうなると、
「総大将の場所」
 に、総大将がいるわけではない。
 だとすると、
「誰が総大将なのか?」
 ということを考えると、
「後は、鎧で判断するしかない」
 ということになる。
 確かに冷静に見れば、
「逃げながら、大将を守ろうとしている武士がいるはずだから、見ていれば分かる」
 ということになるのだろうが、喧騒とした中において、そんな判断が簡単にできるわけはない。
 そうなると、やはり、鎧兜を見ることになるだろう。
 しかし、相手の武将が、総大将の鎧兜が、どういうものなのかというのを分かっているというのだろうか?
 自軍の総大将であれば、当然分かっていて当たり前のことであるが、何といっても、写真などがない時代である。
 ましてや映像などがあるわけではなく、あるとすれば、似顔絵のようなものだけであろう。
 果たして、当時、色を塗った絵があるわけでもないだろうから、どんないでたちなにかを詳しく知ることは難しいだろう。
 しかも、コピー機がないだろうから、一枚一枚が手書きということになる。
 そうなると、皆が皆、
「相手の総大将のいでたちが、そう簡単に知ることは難しいだろう」
 ということになるのだ。
 確かに、
「一番総大将らしい鎧」
 というのがどういうものかは、その時代に生きていて、ましてや、兵士として働いているわけなので、今の時代の人間よりも分かるということはあるだろう。
 しかし、最初から、首だけを狙っている武将がいるわけではないのだから、混乱の中で、自分も相手の兵から狙われるわけなので、自分の命を守りながらということになれば、当然、必死になるに違いない。
 そんな状態で、相手の総大将というものが分かるのだろうか?
 それが、
「戦国時代の七不思議のひとつ」
 といえるのではないだろうか?
 首を持ってきて、それを持参してきて、首実検というものを行う。
 そこで、本人であることが確認されると、その時点で、論功行賞の対象になるというものである。
 ということは、
「首実検を行う人は、少なくとも相手の総大将の顔を知っている」
 ということになり、それこそ、少なくとも、家老以上が勤めるということになるのであろう。
 前述の、
「総大将を見分ける方法」
 として、一番の可能性があるとすれば、それは、相手の総大将が、
「本当の武士」
 というものであり、
「自分はもうダメだ」
 となった時、
「ここで潔く討ち死にをしよう」
 と思う人もいるだろう。
「もし、このまま逃げ切ったとしても、結局落ち武者となり、落ち武者狩りになったり、いずれ見つかって捉えられ、処刑されることを思えば、ここで潔く、最後を迎える」
 ということが、
「武士の本懐だ」
 ということだと考えたとすれば、そこで、自害することができれば、その場で自害して、首を渡さないように、するのだろうが、本陣にまで攻め込まれた時点で、その混乱から、自害も難しいと考えると、あとの行動として、
「潔く打ち取られる」
 という道を考える総大将もいるに違いない。
 その時、こそこそ隠れるということをしないで、
「我こそが、総大将の、〇〇なり」
 といって、名乗り出ることも当然のごとくあるだろう。
 そもそも、日本の武士の戦いの基本というのは、
「平家物語」
 に出ているような、
「お互いに名乗り合っての、一騎打ち」
 ということが当たり前のようになっているのではないだろうか?
 だから、鎌倉時代の末期に起こった。
「元寇」
 と言われる、
「モンゴル帝国」
 という中国王朝が攻めてきた時、日本の武士の特徴である。
「一騎打ち」
 というものが通用せず、相当に苦しめられたという事実が残っているではないだろうか?
 それを考えると、日本の武士というのは、
「伝統的に、卑怯な戦法はすることはなく、武士道に則ったやり方で、潔い」
 というのが基本だったりする。
 もちろん、戦国時代の武将には、卑怯な戦法を用いる人もいた。しかし、それも戦術としては立派な戦術であることに違いはない。要は、
「相手がどう感じるか?」
 ということであり、やはり基本は、武士道に則ったものであった。
 その考えを利用して、天皇制と絡めたのが、大日本帝国の軍や政府であり、
「戦陣訓」
 を始めとした考え方に、
「国民を洗脳した」
 ということになるのだろう。
 戦国時代は、それでも基本は武士道に則った潔さで、
「もうダメだ」
 と思った時に、
「やあやあ、我こそは」
 ということで、総大将を名乗る人もいたはずである。
 しかし、それを逆に利用したのが、
「影武者」
 というもので、影武者が、
「自分はそうだ症だ」
 と言えば、相手は疑うことはないだろう。
 結局、総大将の首ということで、首実検に差し出したとして、中には、そのまま
「大将の首」
 ということで通る場合も中にはあっただろうが、実際には、
「バカ者。これは、〇〇ではない」
 と言われて、蹴り飛ばされるということが多かったのではないだろうか。
 見事に相手にしてやられ、総大将は、まだ生きているということで、戦には勝っても、相手を屈服させるわけではないので、相手の領地を占領もできず、
「論功行賞に使える土地がない」
 ということで、部下からの不満が出てくることになり、
「果たして戦はどっちが勝ったのか?」
 ということになるのであろう。
 それだけ、
「大将の首」
 というのは大きなもので、逆にそれがあれば、
「相手は全滅することもない」
 ということになるといっても過言ではないだろう。
 そんな影武者が、
「実はドッペルゲンガーだったのではないか?」
 と考えるのは、
「あまりにも都合のいい解釈ではないだろうか?」
 ということであるが、やはり、この話には、信憑性が少ないともいえるだろう。
 また、
「影武者」
 というものではないが、昔などは、
「建築物を建てる時というと、工事が難航したり、不吉なことがあったりした時などは、いわゆる、
「人柱」
作品名:都合のいい免罪符 作家名:森本晃次