襷を架ける双子
「ソ連に、和平の仲介を申し込んでいた」
ということであった。
ソ連としては、うまくはぐらかしながら、
「参戦の機会を狙っていた」
というところで、日本に対して、不可侵条約を一方的に破棄し、
「シベリアから、満州に攻め込む」
という、アメリカから見れば、
「約束通り」
ということで、満州から、朝鮮に攻め込んできたのだった。
満州国は解体し、途中で、
「日本に併合された」
といってもいい朝鮮半島は、
「すでに、どうしようもない状態」
だったのだ。
北部からは、ソ連が侵攻し、南部からはアメリカが入ってくる。
ということでの、
「分割統治」
というややこしいことになったのだ。
ヨーロッパの方では、敗戦国であるドイツが、そのような形であったので、アメリカの目も、ソ連の目も、どうしても、
「ドイツに向いていた」
といってもいいだろう。
その間隙をついて、社会主義国として成立した、いわゆる、
「北朝鮮」
が、南部朝鮮、つまり、大韓民国に、兵を勧め、ついに、
「最初の、冷戦下での戦争」
ということで、
「朝鮮戦争」
というものが勃発したといってもいいだろう。
朝鮮戦争は、そもそも、
「アメリカとすれば、北朝鮮が攻めてくることはない」
と思っていたのが、その甘さに、メンツは丸つぶれで、
「何とか起死回生の手段を余儀なくされた、連合軍は、まずは、
「ソウル奪還」
から始まって、「
北部においつめる」
ということになったのだが、この時も、
「中国の参戦はない」
と見ていた連合軍も、数百万という中国義勇軍が派遣されるとは思ってもいなくて、結局、また、北朝鮮の猛攻が始まることで、
「朝鮮半島は、本当に火の海になってしまった」
ということになったのだった。
それが、朝鮮戦争の特徴で、やはり、
「占領軍の社会主義国に対しての考えの甘さが露呈した」
ということであろう。
そんな時代において、久保は小学校に入学すると、いよいよ天才児的な発想をいろいろ生み出すようになる、
知能が発達しているかどうかというのは、さすがに小学生の、しかも一年生では、教師にそこまでを見抜くのは難しいだろう。
そんな小学校に、ちょうど、
「文部省からの出向ということで、一人の先生が来ていた。その先生は、それまでの教育を正すために、文部省から派遣された人であり、元は、官僚だったという」
その人は、
「先生の中で一番の力を持っている」
ということで、
「校長よりも、権力的には強い」
といってもよかった。
ただ、この男、確かに
「文部省からの出向」
という名目であったが、実際には、
「文部省からの厄介払い」
ということであった。
というのも、彼には、
「一種の疑惑のようなものがあった」
というのだ。
その疑惑というのは、
「国家の秘密を盗み出そうとした」
というものであり、確かに、彼の行動が怪しいということで、実際に、
「政府における諜報員」
というのが見張っていて、この男が怪しい行動をしているのを把握していて、
「盗まれたかもしれない」
ということで、現行犯逮捕したのだが、実際に捕まえてみると、何も持っていなかったのである。
秘密書類を盗んでマイクロカメラに収める」
かのような行動をしていた。
金庫を開けるのも見たし、何かゴソゴソしているのも分かった。
「偽物とすり替えられたか?」
ということで、実際に残っている書類を見る限り、本物でしかなかったのであった。
もっとも、
「盗むのであれば、金庫の中を空にするようなことはしない」
ということである。
「カメラに収めるか?」
あるいは、
「偽物とすり替えるか?」
ということであるが、いつかは見つかることであり、ただ、見つかる前に、その秘密書類を使ってしまえば、政府としても、どうしようもない。
盗難を公表し、窃盗団を捜索できればいいのだろうが、政府としても、
「盗まれた」
ということが国民に分かってしまうと、その権威は失墜してしまい、
「国家の異変は地に落ちてしまう」
ということ。そしてそれよりも、
「無住まれた書類自体を、表に出すことのできない」
というものだったのだ。
だから、
「盗まれても、盗まれたとは言えない」
ということなのであった。
この男は、そんな秘密書類の存在を知っていて、しまっている場所も知っていたのだ。
そのものの存在したいも、それこそ、文部省内でも、一部の閣僚しか知らず、ましてや、他の省庁でも知っている人などいるはずもなかった。
「省庁関係というと、政府の機関の一つということで、それぞれの専門的部分の機関としての存在を示している」
ということで、
「横のつながりも強いのだろう」
と思われがちだが、そんなことはない。
民間でも、同じ会社で、
「営業部と管理部で仲が悪い」
などというのは、当たり前のことのようで、特に公務員の勤めている、
「各省庁」
であったり、出先機関などというと、カッチリしている分、横のつながりは、
「あくまでも、表向きのことだ」
といえるだろう。
警察組織など、昭和の終わりくらいから、テレビドラマになったりして、世紀をまたぐあたりから、
「警察組織のガッチガチな部分をあからさまにして、そこから人間ドラマにしよう」
という動きが主流になってきていて、
「警察というのは、縄張り意識が強かったり、上下関係が厳しかったり」
ということで、その、
「縄張り意識」
というのが、警察における、
「横のつながり」
ということで、
「やっていることは、まるで、小学生の喧嘩ではないか」
ということだったのだ。
もっとも、当時の警察というと、どうしても、戦時中まで存在していた、
「特高警察」
なるものの恐ろしさから、誰もが恐れる存在だった。
もちろん、戦争終結後には、
「軍の解体」
とともに、それら特高警察というものは、なくなっていった。
大日本帝国というのは、
「主権を天皇」
ということにして、政府は、
「国家においてのただの機関」
でしかなかったのだ。
しかも、軍というのは、
「天皇直轄」
ということで、
「軍の作戦や、方針に対して、政府と言えども、口出しはまったくできない」
ということであった。
だから、軍の作戦であったり、戦果というものは、軍によって行われる、
「大本営発表」
というものを、一般国民同様にしか知らされることはなかった。
だから、戦時中、しばらくは、政府も国民同様に、
「軍に騙されていて、勝戦が続いている」
と思っているのであった。
さすがに、そのわりには、物資がなかなか入ってこないどころか、どんどん攻め込まれているのが分かってくると、
「軍もかくしきれなくなった」
ということであろう。
だが、軍によって戦争が難しくなってくると、政府も、戦争継続に反対ができなくなる。
というのも、天皇制の問題であったり、根底から変わってくるということになると、
「簡単に、降伏するというわけにはいかない」
と思ってはいたであろう。
「戦争の収拾を、外交に委ねよう」
と考え、
「ソ連に仲介してもらおう」