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襷を架ける双子

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 しかし、自分の考えをあまり表に出すようなことをしなかった久保少年だったので、まわりの人が久保少年の性格について、いちいち考えることもなかったのだ。
 久保少年は、どちらかというと、まわりの人を避けるタイプだった。
 特に、
「同じくらいの年齢の子供とは、あまり自分から近づいて、友達になろう」
 という意識はなかったのだ。
 どちらかというと、
「友達がほしいとは思わない」
 と感じていたようで、その時はまだ。
「人の気持ちが分からない」
 ということを認識する以前のことだった。
 しかし、さすがに小学校にあがると、そうもいかないようで、
「学校では、絶えず集団行動というものを強要されるところだ」
 と思うようになっていた。
「集団登校」
 から始まって、学校ではクラス分けが行われ、
「学校にいる間は、クラスの中でも、班というものに分けられ、数人の団体で行動するということになる」
 ということであった。
 まるで、
「大日本帝国時代の、隣組のようだ」
 といえるであろう。
 ちなみに、隣組という組織は、
「戦時体制において、集団で行動することが、戦意高揚につながり、政府や軍としては、実に都合のいいことであった」
 ということになるのだが、理由はそれだけではなかった。
 というのは、
「当時の治安維持法や、国家総動員法などによって、反政府であったり、戦争反対論者などというものを、特高警察というものが見張り、検挙していたのであるが、それだけでは足りないということで、この隣組という組織を作ることによって、そんな、治安維持を犯す連中を監視する」
 ということを行うための組織ということでもあったのだ。
 これが、
「大日本帝国の戦時体制」
 というものであった。
 しかし、日本は、敗戦ということになり、
「占領軍により、立憲君主体制というものが崩壊した」
 一番の問題であった、
「天皇制」
 というものも、
「大日本帝国時代」
 のような、
「天皇主権」
 というところから、
「国民主権」
 ということになり、新憲法も発布されたことで、
「大日本帝国は、あらたな日本国として生まれ変わった」
 ということで、その主義とすれば、
「完全な民主主義の国」
 ということになったのだ。
 だから、小学校に上がった久保少年も、時代的には、
「まだまだ戦後の混乱が続いていて、やっと、学校らしい授業ができるようになった」
 というくらいの時代だったのだ。
 教科書もまともにあるわけでもなく、食べ物もまともにはなかった。
「とりあえず、学校の再開」
 ということで、教育の現場も、結構混乱していたのかも知れない。
 何といっても、教師のすべてが、
「自分たちが受けてきた教育とは、まったく違った内容のことを教えなけばいけない」
 ということになったのだ。
 そもそも、
「立憲君主」
 という国から、
「民主国家」
 というものに生まれ変わったのだ。
 算数、理科などの、いわゆる、
「理数系」
 というのは、普通に変わりなく教えればいいのだろうが、
@「国語や社会」
 と言われる、
「文系の学問」
 というのは、そうもいかない。
 国家の主義が変わった以上、教育内容が変わってくるのは当たり前、大日本帝国のように、
「国家総動員型の教育」
 つまりは、
「政府や軍に都合のいい」
 という教育を、育むしかなかったのだ。
 特に、
「天皇制を批判する考え方」
 というのは持ってのほかで、そのあたりは、明治時代の、最初の教育方針が固まった時から、数十年と続いてきたことであり、その根本に変わりはなかった。
 しかし、敗戦により、国家の主義を完全に解体し、新たに作るわけなので、
「その時の教育というものがいかに大切であるか?」
 ということが大切になってくる。
 特に、憲法で示された、
「国民主権」
「基本的人権の尊重」
「平和主義」
 という、
「三大方針」
 というのは、実際の授業で教える前に、道徳のような授業で、
「理屈が分からないまでも、精神論として叩き込んでおく」
 という必要がある。
 ということになるのであった。
 だから、小学校に入学した時から、
「まわりとの協調」
 ということが重視された。
「皆で助け合って生きていく」
 というのは、その時代の混乱においては占領軍としては、当たり前のこととして考えていたことだろう。
 というのも、
「占領軍が統治するといっても、その限界というものがあり、それを、国民一人一人がわきまえて、まわりの人と共存していってくれる方が、占領政策でも楽だということになるのだ」
 これは当たり前のことで、
「統治政策だって、いつまでもあるわけではない」
 ということが分かっていたからだ。
 当然、統治をしながら、その国が、
「自立できる」
 という世界を作ることが、
「自分たちの使命だ」
 ということくらいは分かっていたことだろう。
 そして、いずれは、
「独立国」
 ということで、統治を終わり、自分たちの母国に対しての、
「協力国」
 ということにまでなってくれることを期待しているといってもいいだろう。
 特に、大戦後というのは、
「ソ連を中心とした社会主義国家」
 というものが、
「アメリカを中心にした民主主義陣営」
 ということろから見れば、まるで、
「仮想敵」
 ということになるのだ。
 だから、
「極東における日本の存在」
 というのは、ある意味、
「民主主義の防波堤」
 という意味もあった。
「極東におけるアメリカの前線基地」
 ということにしたかったのだろう、
 実際に、戦後、アジアやアフリカに展開されていた、欧米諸国が持っていた、
「植民地」
 というものが、どんどん独立戦争に勝利し、独立を果たしている。
 これこそ、一つの、
「時代の流れ」
 ということであり、さらには、
「中国の国共内戦というもので、共産党が勝利し、中華人民共和国という社会主義国ができてしまった」
 ということ。
 ただ、これは、あくまでも、
「アメリカが本当であれば、国民党をずっと指示してきていたのに、急に、蒋介石がいうことを聞かないという理由で、一方的に支援を打ち切ったことで、一気に共産党が勢力を伸ばしてきて、耐えきれずに、国民党は、台湾に逃げる」
 ということになったのだ。
 そういう意味では、
「中華人民共和国の成立に対して、アメリカに責任がある」
 といってもいいだろう。
 ちなみに、アメリカは、
 「懲りない国」
 ということなのか、
「ベトナムやアフガニスタンなどで、何度も同じことを繰り返す」
 ということになったのだ。
 それはさておき、朝鮮半島も余談を許さない状態だったのだが、
 そもそも、
「戦時中に行われたヤルタ会談」
 というものによって、
「ドイツが降伏して、3か月以内くらいに、ソ連に対して、日本への攻撃を行ってほしいという密約ができていた」
  しかし、それをまったく知らない日本は、さすがに、
「ことここに及んで」
 ということで、国民には、
「一億総火の玉」
 などといっておいて、水面下では、
「何とか和平を模索する」
 ということで、何と、
作品名:襷を架ける双子 作家名:森本晃次