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襷を架ける双子

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 というのだから。さすがに、ほとんどの人が、
「本当に戦争に勝っているのか?」
 と思うのも当たり前だ。
 そこへ持ってきての、大空襲。さすがにおかしいと思うだろう。
 しかも、空襲前には、日々の訓練として、
「防空訓練が中心だった」
 というではないか。
 防空訓練が中心ということは、
「日本国が空襲に遭う」
 ということで、
「日本の戦闘機や、高射砲は、どうなっているんだ?」
 ということである。
 そもそも、戦闘機などは、第一線に回されて、国防のために使うという考えはなかったであろう。
 もっとも、
「日本の性能では、高度一万メートルを飛ぶ、アメリカの最新鋭爆撃機に近づくこともできない」
 ということになるであろう。
 それを考えると、
「もうすでに、常軌を逸した戦争をしている」
 というわけで、
「組織的な戦略に基づく戦闘は、とっくの昔に終わっていた」
 ということだ。
 そうでもなければ、陥落したところで、
「玉砕」
 などということが行われるわけはない。
 何しろ、
「制海権」
「制空権」
 のどちらも日本にはないのだ。
 いくら、援助物資を送ろうとしても、待ち伏せされて、狙い撃ち、大切な食糧は、海の藻屑と消えていくというわけであった。
 そう考えると、
「日本政府や軍が、自分たちの保身を考えずに、戦争を終結させることを考えていれば、あんないたくさんの人が死なずに済んだのではないか?」
 といえるであろう。
 アメリカが、原爆投下の理由として、
「戦争を早く終わらせるため」
 といっていたが、その言葉自体には信憑性がある。
 しかし、実際には、
「対社会主義」
 という、
「戦後の世界情勢」
 というものを見据えた状態で、原爆使用に踏み切ったことで、
「あれは、人体実験だったんだ」
 という話になるのである。
 確かに、
「戦争を早く終わらせて、自国の兵を一人でも救う」
 ということを目的にしているというのであれば、一応の理屈としては、成り立つのかも知れないが、
「実際には、必要なかった」
 ということであれば、話は変わってくるというものだ。
 ただ、日本という国は、
「天皇陛下、国家のためには、死ぬことも恐ろしくない」
 という教育を受けてきたということもあるので、
「玉砕」
 というものも、
「バカなこと」
 といってはいけないのであろう。
「二度と起こしてはいけないことだが、その犠牲があってこその平和、それを考えずに、占領軍に押し付けられた民主主義がすべて正しいと考えるのは、愚かなことではないだろうか?」
 と考えられる。
 大東亜戦争の時代は、ほとんどの子供は戦争に取られて、戦地でどんどん亡くなっていく。そして、次第に一般市民も、
「本土空襲」
 で、死んでいくことになる。
 そんな大量殺戮の時代、子供の出生率もかなり低かっただろう。生まれたとしても、生き残るには、かなりのハードルが高かったことであり、特に戦後の食糧難、
「栄養失調」
 などということで、生まれても生き残ることは難しかった。
 だから、ある家庭で、妊娠した時、双子が生まれるはずだったのだが、実際に生まれ落ちると、一人が死んで、一人が生き残ったということであった。
 ただ、この事実は産婦人科の医者は、本人、つまり親には告げなかった。生まれ落ちてきた子供のみを、最初から、
「一人で生まれてきた」
 ということにしたのだった。
 なぜなら、その理由として、
「生まれてこなかった子供の肌は真っ白で、完全に白人だった」
 ということだからである。
 母親は、決して、白人と性交渉をしたわけではない。当然、戦争中なのだから、そんなことができるわけもなく、そもそも、外人がいるわけもない。そんな状態で双子を宿したことも、その当時の医療では、生まれてくるまでは分からなかっただろう。
 だから、逆に、生まれてくることができなかった子供は、秘密裡に、荼毘にふされ、
「一人っ子が生まれてきた」
 というだけの、普通の妊娠として処理されたのであった。
 戦争が終わって生き残るために、一人でも、食い扶持が少ない方がいいというのは当たり前のことであり、母親と子供は、何とか生き残りを考えていた。
 旦那は、戦地で戦死していて、生き残るために、旦那の実家に身を寄せて、何とか頑張って生き残りをかけたのだ。
 旦那の実家は、決してやさしくはなかった。
 もっとも、時代が時代だったので、実家の方も、
「食い扶持が増える」
 ということは決してうれしいことではなく、本当であれば、
「出ていってほしい」
 と思っていたことだろう。
 それだも、むげに追い出すこともできず何とか暮らしていたが、時代が、
「もはや戦後ではない」
 という頃になって、やっと、二人は自立できるようになったのであった。

                 秘密結社

 時代は進んでいき、
「東京オリンピック」
 あるいは、
「大阪万博」
 などという節目を通り越し、双子として宿したはずなのに、実際に一人っ子として生まれた子供は、すでに、30歳前くらいになっていた。
 その少年の名前は、
「久保豊一郎」
 となずけられた。
 母親は、
「本当は双子だったのでは?」
 という思いがあったのだという。
 それは誰にも言わなかったが、自分で何となく感じていたということもあっただろうが、それ以上に、
「自分の家族には、双子が生まれる可能性が、他の家族よりもかなり高かった」
 というのが分かっていたからであった。
「私は、一人っ子で生まれてきたんだけど、却って、親族から、実に珍しい出産だといわれたものだ」
 ということであったのだ。
 確かに、自分のおじさんのところも双子が生まれ、つまりは、
「従妹は双子だ」
 ということであった。
 それを聞かされた時、
「ああ、だから似てるんだ」
 と、最初に見たその時の直観が間違っていなかったということもすぐに分かった気がしたのだ。
 双子は、
「顔が似ているだけではなく、考え方も性格も似ていて、しかも、会話をしなくても、お互いに考えていることが分かる」
 ということが、当たり前のことのようにあるようだ。
 だから、従妹の双子も、
「最初は双子だけで育ったので、人間というのは、相手が考えていることが分かるという方が当たり前だ」
 と思っていた。
 だから、従妹は、学校に行くようになって、まわりの人が何を考えているのか分からないと思った時、
「自分がおかしくなったのではないか?」
 と感じたという。
 これは、双子同時に考えたことで、
「相手の気持ちが分からない」
 というのがおかしなことだと考えるからそうなるのであって。
「物心がついてから、まわりの人をどんどん知っていくうちに、自分の能力が下がっていくのではないか?」
 と思うようになってきたようだ。
 それは、まるで、
「二十歳過ぎればただの人」
 などという言葉を、まだ小学校に上がるかどうかというような頃に感じていたのだから、それこそ、
「久保少年は天才だ」
 と言われたとしても、無理もないことだろう。
作品名:襷を架ける双子 作家名:森本晃次