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襷を架ける双子

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 もっとも、自分だけ助かろうとしても、結局が敵に取り囲まれて、ネズミ一匹逃走できないのだから、結局、
「玉砕するしかない」
 ということだったに違いない。
 それを考えると、
「大日本帝国」
 というのは、ある意味、
「武士道に基づいての、戦争をしている」
 ということになるのであろう。
 日本が同盟を組んでいた、
「ドイツ」
 や、
「イタリア」
 という国では、それぞれ、ファシズムという考え方があり、それに基づいての戦争であった。
 このファシズムというのは、
「全体主義」
 といってもいいのか、元々、共通しているのは、
「第一次大戦で、割が合わなかった」
 ということである。
 ドイツというのは、完全に戦争に負けて、その賠償を、
「ベルサイユ条約」
 というもので、押さえつけられた形になり、国民は、貧困に苦しみ、まわりの国に対して、卑屈な気持ちにならざるを得なかったのだ。
 それにより、
「ハイパーインフレ」
 であったり、
「極度な失業問題」
 というのが、混乱に拍車をかけて、国民は生きていくだけで大変だったということである。
 だから、
「ナチスの台頭」
 が許されたのだろう。
 ナチスの言い分は、
「一人の責任が取れる政治家によって、強いドイツを作り上げる」
 ということであった。
「強いドイツを作る」
 ということは、
「独裁によることでの、強い政府が必要だ」
 という考え方が、国民に共感を得たのと、その時に一番の大きな問題だったといわれている、
「失業問題」
 というものを解決することができた、
「ナチス党」
 というものの実力を目の当たりにした国民は、
「この男なら、自分たちの未来を託しても」
 ということで、ナチスが、独裁の道を歩むことになったのだ。
 だから、あくまでも、
「ナチスが、ドイツ国内で悪どいことをして、政権を握った」
 というわけではなかった。
 あくまでも、合法的に選挙によって、どんどん勢力をつけていき、最後には、
「一党独裁」
 というものを実現することになったのだ。
 しかも、国民は、それまで、卑屈な精神を持っていたものが、
「ヒトラーの熱弁」
 というものによって、
「自分たちの誇りと自信」
 というもmのを取り戻すことができたのだといえるであろう。
 イタリアの場合には、
「先の大戦では、あまりいい思いもできず、さらに、世界恐慌の煽りで、強国が形成したブロック経済から漏れてしまったことで、一気に、貧困国の仲間入りをすることになった」
 というのが、大きなできごとで、そこに現れたのが、
「ローマ帝国の誇りを取り戻す」
 といっている、
「ムッソリーニ」
 率いる、
「ファシスト党」
 だったのだ。
 だから、ドイツとイタリアは、それぞれに意識をし合い、同盟を結ぶのは最初から、
「なるべくしてなった」
 ということだったに違いない。
 では、大日本帝国は、どうだったのだろう?
「日独伊三国同盟」
 というものが結ばれたが、
「日本もファシズムの世界だった」
 ということであろうか?
 ということであるが、これは、
「半分はそうだった」
 といってもいいかも知れない。
 確かに、日本という国は、大東亜戦争のスローガンとして、
「東アジアから、欧米諸国の勢力を追い払い、自分たちで、東アジア特有の秩序を建設することで、東アジアに共栄圏を建設する」
 ということだった。
 当時の東アジアの国々は、かつての大航海時代に、ヨーロッパに国々に、侵略を受け、
「植民地」
 ということで、完全に、
「属国化」
 していたのである。
 約300年という歳月、支配を受けてきたことで、先の、
「第一次大戦」
 の時には、ヨーロッパの戦争の時には、兵として駆り出されたのも、いい例ではないだろうか。
 しかも、中国においては、
「散々食い物にされた」
 という、清国と、その継承国である、
「中華民国」
 は、問題であった。
 結局日本は、
「最初からの考え方に対して、想定内だったのか、それとも想定がだったのか、中国との、全面戦争に突入してしまった」
 ということである。
 それが、結局、日本の中、いや、
「陸軍内部でも、その方針が分かれていたのだから、本位だったのか不本意だったのかは、陸軍としては、戦争に突入した以上。勝利に向かって邁進するしかないのであった」
 というのが、シナ事変というものであったが、
 そんな日本の行動に、
「中国に、大なり小なり権益を持っている」
 という諸外国から見れば、
「日本のやり方」
 というのは、
「制裁に値する」
 と見えたのだろう。
 だから、中国を支援する、
「援蒋ルート」
 というものを、築いたのであった。
 そんな国において、
「もちろん、租界地への爆撃は注意したであろうが、各国の民族が住んでいる都市に向かっての、無差別爆撃というのは、非難されるべきだったということである」
 それが、余計に、
「他国の、反日」
 というものを招き、諸外国をも、敵に回すきっかけになったのだろう。
 特に日本というところは、
「地理的な問題」
 というのもあり、
「日本国というのは、資源が致命的に少ない国」
 ということであった。
 これをつかない手はないということで、
「経済制裁に乗り出した」
 ということである。
 それまで、
「輸入に頼っていた」
 と言われる資源を、
「輸出禁止」
 ということになれば、日本は当然、資源確保のために、南方進出というのも見えていている。
 しかも、そこにあるのは、
「列強の植民地」
 ということである。
 当然戦争になり、日本を引きずり出すことで、アメリカも、参戦ができるという、計画になるのだった。
 そもそも、アメリカというところは、
「大統領の一存では戦争を始めることはできない」
 ましては、
「アメリカ国内が攻撃されているわけではなく、自分たちに関係のない、ヨーロッパやアジアで、なぜ、自分たちが血を流さなければいけないのか?」
 ということになるわけだ。
 しかし、
「侵略された」
 となると、国民の意見は変わるはずだということで、アメリカに、
「まんまとシナリオ通りに踊らされたのが、大日本帝国だった」
 ということになるわけだ。
 もっとも、これは、
「アメリカのシナリオに乗ってしまった」
 というよりも、もっといえば、
「日本は、なるべくしてなった双六の上にいた」
 といってもいいかも知れない。
 もう、引き返すことができないところまで来ていたということも言えるだろう。
 それは、
「世論の力」
 という言い方もできるし、それに扇動される形になったのが、
「マスコミの影響」
 というのもあっただろう。
 そういう意味で、
「日本が戦争中に、軍から言われ、戦争での過大な報道をさせられたということで、軍は、報道を操った」
 と言われるが、確かにそうではあっただろう。
 しかし、ここで、
「マスコミがかわいそうだ」
 という理屈は成り立つのだろうか?
 というのが、
作品名:襷を架ける双子 作家名:森本晃次