襷を架ける双子
ということで、考えるようになったといってもいいだろう。
博士が生まれた村では、他の村にないほどに、双子が生まれる確率は結構高かった」
ということのようである。
「ここまで高いと、その対応にも、相当な苦労がかかる」
ということであるが、さすがに村の長も、
「毎回のように処理をするのは大変だ」
ということで、結構、大目に見るようになったのだという。
だからといって、
「村に何らかの禍があった」
ということもなかったようで、そもそも、
「どんな禍があるのか?」
ということを知られるということはなかったのだ。
だから、漠然と、
「双子は一緒にしていては危険だ」
というウワサだけが独り歩きをしてしまい、その根拠を調べる暇もないくらいに、対応に追われていた。
「これ以上増えると、もう対応できなくなる」
ということが起こり、
「もう、どうしようもないことだ」
というようになったのであった。
だから、今度は、
「双子の多い村」
ということを、
「世間に知らしめないようにしなければいけない」
と考えるようになったのだ。
だから、方法は二つしかなかった。
一つは、
「開放的な村になり、他との交流を深めることで、まわりを欺くような行動に見せる」
ということであった。
一番、現代っぽくて、
「まわりに対してはいいことだ」
ということなのだろうが、村としては、完全に伝統を犠牲にしているということになるのであった。
もう一つの方法としては、
「今まで以上に閉鎖的な村」
ということで、
「よそ者を入ってこないようにする」
という、まるで、
「鎖国政策」
ということであった。
この村は、その、
「鎖国政策」
というものを取ったのだ。
普通であれば、やはり、
「鎖国政策」
を取ると考えるのだろうが、その理由は違っていた。
「中から表に出ていくものを遮断する」
ということが主であり、
「表から入ってくるものを遮断する」
ということにすると、その趣旨がバレてしまうということで、わざと、中から表に出るものを遮断するという形にしていたのだが、結局、その方法が鎖国政策を目立つ形にすることで、
「双子対策」
ということまでは分からないだろうが、
「この村には何かある」
とは思われていただろう。
だが、そう思わせることが、トラップを生み、
「欺く」
ということに関しては、
「うまく作用している」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「双子というものが、いかに問題なのかということが分かる」
というものであった。
博士は、ひそかに、久保氏を研究した。
久保氏は、自分が双子で生まれたことまでは知っていたが、もう一人が里子に出され、そこからどうなったのかまでは知らなかった。
博士は、その子をひそかに調査していると、
「久保氏と離れてから、2年」
つまりは、まだ、赤ん坊だった頃に、亡くなっているのが分かったのだ。
その里親になった、いわゆる、
「子供を押し付けられることになった親は、子供をかわいそうだといっていた」
のである。
里親として、
「子供を押し付けられた」
ということではあったが、親の剣財力からすれば、家族三人を養っていくくらいの金はあった。
親は会社社長ということで、しかも、会社というのは、
「闇市:
からの発展形だったので、いくらでも何とでもなるということでもあった。
それを思えば、
「里親になるくらいのことは何でもない」
と思っていた。
しかし、いくら里親とはいえ、預かった形の子供を、2年くらいで死なせてしまったことに、かなりの後悔があったようだ、
しかし、社長はそのことに一切を触れず、普通に会社から、見舞金と、家庭から見舞金が贈られた。
しかも、しばらくは、生活費の面倒も見てくれた。里親になった方は、素直に、
「感謝します」
という気持ちになっていたが、実際には、
「里親に出したことは、他言無用だ」
ということが大きかったようだ。
要するに、
「口止め料」
ということである。
しかし、博士はそれを聞いて、
「なるほど、やはり、双子の片方は、短命だという伝説は、ウソではないんだな」
と感じたのだ。
実際に、そのあたりの統計を探ってみると、
「確かに、久保家だけではなく、他のところも、その傾向が強いということであった。そもそも、片方の身体が弱いということを証明しているということであった。
そもそも。そういう伝説として、片方の子供が育ちにくいということを昔の人は分かっているので、
「赤ん坊のうちに、なるべく早くそれを見切って。里子に出す」
ということが、
「双子が生まれた時の対処」
ということが言われるようになったのだ。
ただ、また、
「もう一つの伝説」
として、
「子供が死んでしまったら、同じ瞬間に、どこかで双子が生まれる」
ということであった。
そして、これも同じように、
「どちらかが、身体が弱く、里子に出され、そして、早死にをする」
という伝説が、続いていくということであった。
ということは、
「久保氏のもう一人の兄弟の生まれ変わりが、どこかで生まれた」
ということになるのだろう。
大団円
久保氏は、そんなことをまったく知らないのだろうか?
いや、実はそうではないのであった。
久保氏が、今回、タイムマシンのヒントというものを頭に描いたのは、そんな双子の伝説が頭にあったからであった。
しかも、久保氏を得るために、画策した博士の脳波と、久保氏の考える頭とが、シンクロしたということになるのか、タイムマシンの原型となるものが開発された。
まだまだ不完全な部分があり、飛んでいけるところは、数日という、実におもちゃのような、実験的なものであったが、それまでの、
「夢の大発明」
と言われていたところからの第一歩なのだから、この発明が、どれほどすごいものであったかということである。
「月面着陸」
において、
「この一歩は、タダの一歩でしかないが、人類の未来には大きな一歩だ」
というようなことを言っていた人がいたが、この研究もまさにその通りであった。
「地球と宇宙の架け橋」
というものと、
「異次元への扉」
というものは、本当によく似ているといってもいいだろう。
何といっても、この第一歩が開発されてから、急速に、
「宇宙開発:
であったり、
「タイムトラベル」
などは、ここから時代が進んでも。ほとんど進んでいないというのが、実情であろう。
それは、
「越えなければいけないハードルがいくつもあって、最初のハードルを越えただけで、あとのハードルの存在に気づかずに、どんどん先に勧めると思っているのだろうが、それは実に大きな間違いである」
ということなのだ。
これは、
「ロボット開発」
にも言えることであり、
そもそも、最初の扉を開いたその時というのが、
「一体いつから数えて、新しい扉が開かれたというのか?」
ということが問題だったのだ。
戦後からの開発であれば、
「あっという間に開発された」