襷を架ける双子
ということを研究するようになっていた。
さらに、博士は、
「タイムマシン」
というものに対して、ひときわ造詣が深かったのだ。
というのも、
「タイムトラベルというものにm、タイムトラベルと、タイムリープが存在し、それぞれ別の認識で考えなければいけない」
ということを分かっていた。
そのつもりで研究をしていたのだが、久保氏が、
「それぞれに、違いはあるけど、最後に同じ道を通らなければいけない」
ということを言い出したのだ。
最初は、博士も、
「何を言っているのか?」
と考えたが、よく聞いてみると、
「平行線が、交わることがない」
という発想がそもそも間違っている。
という言い方をしたのだ。
それが、どういうことになるのかということを、すぐには理解できなかった博士は、それだけに、余計に久保氏の意見が気になってくるのであった。
大学時代に研究していた心理学に、
「平行線は、どこかで交わることになる」
という研究をしていた先輩がいたのだったが、その先輩は、大学を卒業すると、自殺をしてしまったのだ。
遺書があったわけではなかったので、誰もその理由を分からなかった。
しかし、数日してから、死んだ先輩から手紙が来たのだった。
そこには、遺書とも思える内容のことが書かれていて、どうやら、博士にだけ、自分が死を選んだ理由を教えたかったということのようだ。
その理由は、
「博士にしかその理由を理解できる人はいない」
ということであろう。
手紙を投函してから、まもなく死を選ぶことになるのだろうが、博士もすぐには、その内容が分かるわけではなかった。
そこに書かれている内容は、
「私は双子だった」
というところから書かれている。
「自分は双子であり、もう一人はどこにいるのか分からない。それは、時代からか、生まれてきてもう一人は、里子に出された」
ということだったのだ。
確かに。昔というのは、双子というのを、
「忌み嫌う」
ということが横行していた。
それが、今の時代にも影響しているということは、実際に、
「忌み嫌うだけの理由」
というものがあるからであろう。
それは迷信というには、あまりにも簡単なものではなく、その根拠や信憑性というものが、一般の人間には受け入れられなくても、この村では、伝説のようになっていたのだろう。
そんな伝説をバカにする人が多いのは、
「今の時代で信じられていることだけが正しい」
という考えがあるからであろう。
昔の人たちは、
「伝説を信じている」
ということが、
「その昔の人たるゆえんだ」
ということになるのだろうが、
「逆も真なり」
ということで、
「伝説を信じない」
ということが、逆に、
「科学を冒涜することに繋がるのではないか?」
と考えるようになっていたのだ。
だから、博士も、
「信憑性というものは、そこに何かの伝説のようなものがあるから、不思議な力が結果として出てくるのだ」
ということである。
特にこの村で言われていることとして、
「双子が生まれれば、片方は、里子に出して、この村とは一線を画さなければいけない」
ということであった。
「里子にやって、出生の秘密を一切知られることなく、お互いに生きていくということを周りが段取りしてあげないといけない」
ということであった。
その根拠として、
「双子がお互いのことを知ってしまったり、自分たちで気づいてしまうと、どちらかが死ぬことになる」
という、
「都市伝説」
があったのだ。
その都市伝説というのはどういうことなのかというと、
「外国でいうところの、ドッペルゲンガー」
のようなものだ。
ということであろう。
「ドッペルゲンガー」
というのは、
「もう一人の自分」
という発想で、
「同一次元の同一時間に、もう一人の自分が存在している」
ということであった。
普通であれば、
「タイムパラドックス」
というものを引き起こすので、
「あってはならないこと」
ということで、
「ドッペルゲンガーの逸話」
として言われていることで、
「ドッペルゲンガーを見ると、死んでしまう」
ということである。
これは、
「タイムパラドックスを引き起こさないようにするため、見えない力が、片方を葬り去ろうということになるのだ」
という説が、結構、信憑性が高いといわれているようだった。
もっとも、
「ドッペルゲンガーというのは、元々、精神疾患ということでの脳の病気なので、死ぬというのは、その病気のために死んだということで、何も不思議なことでもなんでもない」
とも言われている。
それが、
「世の中の道理」
ということに近いのではないかと考えられるのであった。
「ドッペルゲンガー」
というものと、
「双子」
というものの関係は、結びつけるには、
「少し無理があるのではないか?」
と、誰もが、ドッペルゲンガーというものを考えようとした時、頭を双子という発想が駆け巡るのだという。
しかし、その考えはあっという間に消えてしまい、ほとんどの人は、消えてしまってから、もう一度意識をしない限り、
「最初から、そんなことを考えたなどということはなかったに違いない」
と考えるのであった。
確かに、
「ドッペルゲンガー」
と
「双子」
という関係は、まったく筋違いのものであって。それこそ、
「平行線を描いている」
ということで、
「限りなく似ている」
というところまではいくのだが。それを時間をかけて考えていくと、その考えが、結果として、結論までの道に大きな障害を持ち込むことになると思えるのであった。
つまり、
「先に進んでいるようで、考えは停滞している」
といってもいい。
その理由に、
「停滞しているといっても、完全に止まっているわけではなく、ごく微妙に動いている」
ということで。まるで、
「鉄砲の弾が発射されてから、相手に到達するまでに、1分以上が経っているのではないか?」
と言われるゆえんであった。
つまり、
「普段は早すぎて見えないくらいのスピードがスローモーションになっている」
ということであり、それも、遅すぎるせいか、普通のスピードであれば、空気抵抗をもろにうけるので、理屈としては、
「コマ送りのようになっている」
ということであっても、それが分かるというものであるが、実際に超遅いスピードであれば、分かるというものであろう。
ただ、そんなまるで、
「異次元のような空間」
を、この次元で作るには、限度があり、範囲としては、
「一つの小さな村」
というものくらいであり、
「人間間」
ということであれば、
「双子の関係にしかありえないことだ」
ということになるのであろう。
もちろん、そんな都市伝説のような話は、口伝でも、そんなに伝わっていないだろう。
そもそも、
「異次元」
という発想が、昔の人にあったのかどうか、それも怪しいものだ。
ただ、タイムマシンという発想は昔からあったので、
「異次元」
であったり、
「時空の捻じれ」
と、一般的に言われている、
「タイムトラベルの基礎」