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襷を架ける双子

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 といえるのだろうが、ひょっとすると、水面下で研究は、明治政府の時代から行われていたとすれば、
「約100年近く経っている」
 ということになる。
 しかし、それから、今までと考えると、まだ、50年とちょっとというくらいで、まだまだ時代半ばというところではないか?
 それを考えると、
「開発のステップを同じスピードでやっているとすれば、まだまだこれからではないか?」
 ということを考えたとすれば、確かに、簡単なものではないといえるだろう。
 博士も。久保氏も、そのことは分かっている。
 だから、
「そういうことであるなら、次のステップを超えるための研究は、次世代の人に委ねるしかない」
 ということを分かっていたのだ。
 すでに、博士も久保氏も、
「そろそろ引退する時期になってきている」
 といってもいい。
 この辺りの研究員や博士というのは、50歳くらいで第一線からは引退する。
 ただ、研究チームの長としての存在感や、世間一般の顔としては君臨することになる。
 だとすると、
「どうせなら、自分の肉親であったり、教え子が、その中心であり、開発者であってほしい」
 ということを、研究者は、年を取ってくれば考えるようになるのであった。
 だから、博士も、久保氏も同じことを考えていた。
 実は久保氏も、博士同様、
「博士の家のことを調べていた」
 ということである。
 博士も、実は、
「双子が生まれていて、兄弟を里子に出され、同じように、幼くしてなくなっていた」
 という自分と同じ運命であることが分かっていた。
 久保氏は、ちゃんと分かっているのであった。
 しかも、博士は知らないことも知っていた。
 それが、
「死んだ子供が同じ瞬間にどこかで生まれ変わる」
 ということを知っていたということであった。
 しかも、それが、
「双子の家系」
 に多いということである。
 つまり、
「一度でも双子が生まれる家系は、ずっと双子の問題にかかわることになる」
 そして、今の段階で、双子がかかわったことのない家庭では、今後も双子にかかわるということはない」
 ということであった。
 だから、博士と久保氏は、
「双子」
 というキーワードで結ばれているのであった。
 お互いに研究者ということでそれぞれに、相手を尊敬しながらも、さらに探り合うことで、
「自分たちの研究」
 さらには、
「尊厳やプライド」
 というものを保っているということだったのだ。
 だから、
「研究者」
 というものは、
「何を考えているのか分からない」
 ということをよく言われているようだが、それは、当然のことながら、
「一般の人から見ての、やっかみ」
 というものが大きいということは当然のことである、
 一般の人は、
「プライドだけは学者と同じ」
 という人も結構いて、そんな人が、
「俺も学者になりたい」
 と思って頑張ったとしても、そこには、おのずと限界というものがあったりするものであった。
 というのも、
「ここにも、研究しているものと同じで、段階的なステップが存在していて、そのことを分かっていないと、一つの段階だけを乗り越えたとしても、そこから先が今度は見えなくなったことで。どうしていいのか分からなくなる」
 ということだ。
 これは研究者だけにいえることではなく、
「芸術家」
 というものにも言えることだ。
 例えば、作家やマンガ家が、
「プロになりたい」
 ということで、プロになるための、
「登竜門」
 としての、
「新人賞」
 などに応募を重ね、やっとの思いで、賞を受賞することで、
「やっとスタートラインに立てた」
 といってもいいだろう。
 しかし、普通であれば、
「これで俺は一人前のプロだ」
 と思うと、ところがどっこい、
「そうもうまくはいかない」
 ということである。
 というのは、
「新人賞を取ったとしても、問題は、次回作」
 ということであった。
 新人賞を取れば、出版社がスポンサーとなり、いよいよ自分を売り出すということになるのだ。
「スポンサーは金を出す」
 ということなので、
「スポンサーの命令は絶対」
 ということで、自分が書きたいと思う作品を書けるわけではなく、しかも、
「さらに、受賞作よりもいい作品を」
 と言われるのである。
 これは大きなプレッシャーであり、
「受賞だけを目標にしてきた方とすれば、まるで、梯子で昇った頂上で、梯子が音を立てて崩れ落ちる」
 というようなものである。
 それを考えると、
「これこそ、第2のステップではないか?」
 ということである。
「本人に分から第2のステップが、この時は有無も言わせず、すぐに襲ってくる」
 ということになる。
 それを考えると、
「芸術界で、プロになるということも、学者会で、発明、発見をして、その世界での第一人者ということになるということも、ステップがいくつもあるということで、大変な目に遭う」
 ということであると考えると、
「どこまで、その覚悟と、その世界を前もって知っているか?」
 ということであろう。
 実際には、人間というものは、目の前のことだけを目指すものだ。
 将棋のように、
「いくつもの先を計算に入れて勝負をする」
 というものではないので、なかなか、分からないところが多く、結果として、
「生き残ることができる」
 という人は数少ないということになる。
 だから、そんな時代において、その問題を解決できるものとして、
「双子というものが一番の近い存在だ」
 ということになるということを、お互いに、
「双子家系」
 という、数少ない家系が、しかも、偶然といえばいいのか、同じ研究室にいることになるのだ。
「いや、これは偶然ではない」
 と考えたのは、
「双子家系は、引き寄せられるように、研究者であったり、芸術家の世界に知らず知らずのうちに引き込まれるというものだ」
 ということであろう。
 しかも、
「お互いに、生まれ変わるたびに、その立場がコロコロ変わってくる」
 ということなので、それこそ、
「死んだ、その瞬間に、どこかでもう一人として生まれ変わっている」
 ということに繋がっているのだ。
「まるでたすきをかけるかのようではないか?」
 ということが言われている。
 人間というものは、
「知ってはいけないことは、往々にしてあるというもので、本当はこれを二人は知ってはいけないはずのことだ」
 ということだったはずである。
 しかし、
「お互いが知っているということで、うまくいっているとすれば、今度は、久保氏が、自分の息子の生まれ変わりを探すことになるのだろうが、同じように、久保氏の息子が、親の様子を見ていて、
「何をしているのか?」
 ということを、本能のように知るということで、博士の息子に近づいていくのであった。
「今度は、お互いに、次のステップと、さらに、その次のステップをお互いに、たすきを架けながら進んでいくことになる」
 と考えるのであった。

                 (  完  )
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作品名:襷を架ける双子 作家名:森本晃次