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襷を架ける双子

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「親が事故にでもあって、死んでしまった」
 ということになると、
「自分は生まれてこない」
 ということになる。
 しかし、そうなると、自分がタイムマシンを開発し、過去に行くこともないのだから、自分が生まれてくることになるのだ。
 だとすると、
「タイムマシンを開発し、過去に行って、親が事故に遭って……」
 という矛盾をずっと繰り返すということになるのだ。
 これが、タイムパラドックスになるのだが、別の考え方も出てくる。
「もし、親が死んでしまったとして、どうして自分が生まれてこないという発想になるのか?」
 ということである。
「別に自分が生まれてくるのは、今の両親からである必要はないのではないか?」
 という発想。
 さらに、もう一つは、
「何も、過去に戻るタイムマシンを開発するのが、他の人間になってしまう」
 というだけなのかも知れない。
 つまりは、
「自分が最初に開発したから、自分だけのものだ」
 ということになっただけで、自分がいなくても、自分が開発したとされる時期のちょっど後に誰かがタイムマシンを開発すれば、自然とその人が自分の代わりをするだけで、時代として、そして、空間的にも、別に何ら問題がないのではないかということになるのであろう。
 それを考えると、
「タイムパラドックスというものを、そんなに深刻に考える必要などないのではないだろうか?」
 ということになるであろう。
 この発想が、いわゆる、
「パラレルワールド」
 という発想を生み出すことになる。
 というのは、
「時間の流れというものは、次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
 と言われている。
 だから、今生きている世界は、その可能性の一つでしかなく、そう考えると、
「無限に広がっている可能性」
 というものを、一つの世界と考えれば、それ以外の世界というものが、
「まったく別の世界を形成していて。それぞれに、すべてが存在しているとは考えられないだろうか?」
 というのが、
「パラレルワールド」
 という考え方である。
 だからこそ、
「タイムリープ」
 というものを行って、過去に行ったとしても、そこから先、
「今の方向に向かえば、ろくなことはなかった」
 ということで、その時が
「人生の分岐点だった」
 ということで、やり直したいと思ったとしても、結局、無限に広がる中で、何が、正解だったのか?
 などということが分かるわけはないではないか。
 それこそ、
「無限に可能性は広がっているのである」
 上を見ればきりがないように、下を向いてもキリがない。そのキリがないうえの中から、選んでいるつもりでも、結果としては、下の方の無限から選んでいることだろう。
 しかも、その分岐点で、選んだ道が、
「正しかったのか、間違いだったのか?」
 ということを、誰がどのように証明してくれるというのだろうか?
「ひょっとすると、人生の最後まで行って、すべてを覆すようなことがあるかも知れない。その時に、
「ああ、あのタイムリープが間違いだったんだ」
 と分かったとしても、それこそ、後の祭りだったわけである。
 となると、
「答えが分かるとすれば、死んでからしか分からない」
 ということであり、そうなると、
「死ぬまで分からない」
 ということであり、結局、
「気が付けば死んでいた」
 というような、
「洒落にならない笑い話」
 という結論になるのではないだろうか?
 もし、
「人生をやり直すとすれば、どこからやり直したい」
 という質問に対して、
「いつからやり直したい」
 ということを考えられる人もいるだろうが、実際には、それが分かったとしても、
「どのようにやり直せばいいのか?」
 ということが分かる人はいないということになるだろう。
 それが分かるには、
「死ぬまでの人生という時間」
 を、
「すべての無限に広がる可能性すべてを知ったうえで、その中のどれが一番自分の幸せなのか?」
 ということを考えない限り、
「人生のやり直し」
 などできるわけもないのだ。
「だったら、今よりもマシな人生」
 というものを選べばいいではないか?
 ということになるのだろうが、
 実際には、そうもいかない。
 というのは、
「それぞれのパターンを比較することになるわけで、それが、今よりも、少しでもマシだったということだって、結局は、その全体を知らなければ選択することはできないということになるのだ」
 一つのことをすべてにおいて、
「間違っているのか、どうなのか?」
 ということは、
「すべてにおいての、可能性を表に出して、比較するしかない」
 ということになるのであろう。
 それを考えると、
 それが、
「タイムトラベル」
 という発想からの、
「タイムパラドックス」
 という観点で、こちらは、
「タイムリープというものに対しての、矛盾を考える」
 ということで、結果としては、
「タイムパラドックス」
 というのは健在で、
「タイムスリップ」
 であっても、
「タイムリープ」
 であっても、結局、
「タイムパラドックスというものを超えることができない」
 ということになるのである。
 この考え方は、ロボット工学における、
「フレーム問題」
 と同じで、キーワードは、
「無限」
 ということになるのであろう。
 そんなタイムマシンを開発したのが、久保氏だった。
 ただ、開発したといっても、考え方のヒントを与えただけであった。実際には、大学の研究所での開発ということになり、久保氏には、わずかな金しか入ってこないはずだったのだ。
 しかし、実際に、
「自分が開発者である」
 ということで発表した教授は、そんな久保氏を、
「手厚く保護」
 したのだった。
 久保氏も最初から覚悟はしていた。
「確かに開発のヒントも与え、それによって研究、開発、実験と、スムーズに進んだのは、確かに、俺のおかげなんだろうが、あくまでも、大学の研究室があったから研究ができただけだからな」
 ということで、ある程度のまとまった金くらいはもらえるだろうが、期待しているくらいまでもらえるはずもないのは分かっていたのだ。
 しかし、それでも、博士は久保氏をかなり擁護した。もらえる金も、かなり優遇してもらえるように、大学側に話をしたのだった。
 それを聞いて、久保氏は、
「博士の気遣いにいたく感動した」
 といってもいいだろう。
「ありがとうございます。こんなに優遇してもらってもよろしいので?」
 と博士に聞くと、
「当たり前でしょう、研究したのはあなたなんだから、ここで泣き寝入りをすれば、後進の人たちが、皆ひどい目に遭うことになりますからね」
 という、
「まるで、教科書通りのような答えをする」
 のであった。
 さすがに、
「あまりにも回答が素晴らしいので、少しびっくりさせられた」
 といってもいいだろう。
 だが、そのことを考えていると、
「本当に、額面通りに受け取ってもいいのだろうか?」
 とちょっとした疑いの気持ちになるのであった。
 それを思うと、
「絶えず、博士の様子を垣間見るようになってきた」
 といってもいい。
 すると、そのうちに、
作品名:襷を架ける双子 作家名:森本晃次