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襷を架ける双子

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 そうでなければ、皆記憶を持って生まれ変わっているということであれば、それは、自分だけの問題ではなく、誰もが、
「生まれ変わりだ」
 という意識を持つことで、
「今の時代への生まれ変わりというものは、輪廻転生ではない」
 と考えるからだ。
 生まれ変わりをあくまでも意識させるのは、
「宗教的観点から考えることであり、輪廻転生を宗教の教えとするのであれば、それは、実際に、輪廻転生というものは存在しないということの裏付けというものではないか?」
 という考え方からなのかも知れない。
 それが、
「一種の裏付け」
 ということであり、
「輪廻転生」
 というのは、他の人に、その考えを植え付けるための、
「宗教的な手法」
 だといってもいいのではないだろうか?
 久保氏は。そのことを、自分の中でかみ砕いて考えることができているようであった。
 それらのすべてが分かるわけではなかった。
 ある程度までは、発想がうまくつながっていくのだが、最後になって難しいところで途切れてしまうのだった。
「ジグソーパズルの組み立て」
 であったり、
「損益計算をしている時、少ない数字で差が出た時」
 という感覚に似ている。
 最後の一手で残ったものが小さければ、下手をすれば、
「最初から計算をし直さなければいけない」
 ということになるのであろう。
 数字の組み合わせというものになるので、そこは、
「プラスマイナスの組み合わせ」
 となると、最後の最後で、数字が小さいと、
「プラスマイナスの組み合わせが狂っている」
 ということになる。
 もちろん、ぴったりの数字が存在すれば分かりやすいのだが、
「プラスマイナスの組み合わせ」
 ということになると、どこが間違っているのかということを見つけるのは難しい。
 自分がそこまで計算して組み立ててきていることに、それなりの自信というものが存在していることで、それは、
「双六などをやっていて、最後のさいころの目がピタリとゴールに達しなければ、多い数だけ、後戻りしないといけない」
 という理屈と似ているところがあるというものであろう。
 そんなことを考えていると、
「輪廻転生」
 というものは、本当にあるのだろうか?
 と考えてしまうのだ。
 あくまでも、宗教団体における、
「相手を信じ込ませて、入信させる」
 ということを目的とした一つの考え方を、
「いかにも」
 ということで信じ込ませるということになるのではないだろうか?
 そのような考えを、
「バーナム効果」
 と呼んでいる。
 いかにもその人に当てはまるようなことを、まるで、当たったことが天才的であるというように、相手に思い込ませるテクニックといってもいいだろう。
 それは、
「誰にでも当てはまる」
 ということが、一番の理由だからである。
 そんな時代の中で、久保氏が開発しようとしているものの中に、
「タイムマシン」
 というものがあった。
 その頃の久保氏は、
「タイムマシンの不可能」
 ということもちゃんと把握していた。
 時代的に、
「タイムパラドックス」
 ということが分かっていたのかどうなのか?
 難しいところであった。
 一口に、
「タイムマシン」
 であったり、
「タイムトラベル」
 といっても、いろいろな概念がある。
 基本的によく言われるものは、
「タイムスリップ」
 という概念であろう。
「タイムマシン」
 であったり、
「ワームホール」
 というような媒体を使い、
「時空を旅する」
 というものが、
「タイムスリップ」
 というものだ。
「タイムスリップ」
 とは違い、
「自分の意識だけが、過去の自分に乗り移る」
 という概念として言われているのが、
「タイムリープ」
 と言われるものである。
 これは、
「時空を旅する」
 というわけではなく、
「人生のやり直し」
 という概念である。
 つまりは、
「自分の人生は、どこかの瞬間で狂ってしまったんだ」
 という考えに至った時、普通の人は、
「ああ、あの瞬間から、人生をやり直したい」
 と考えることであろう。
 そんな時に出た発想として。
「その瞬間に、自分だけが元に戻って、どういう失敗をしたのかが分かっているだけに、やり直しができる」
 という、かなり落胆的な発想であった。
 そもそも、
「どこで間違えた」
 ということが分かっているとしても、
「だったら、どうすればよかったのか?」
 ということが分かるというのだろうか?
 可能性というのは無限にある」
 ということではないか?
 確かに、
「その瞬間から、最悪になったのだ」
 ということであれば、それよりも、少しはましになるであろうという選択肢くらいは分かるかも知れない。
 しかし、
「上を見ればきりがないように、下を見てもキリがない」
 というのが、
「無限」
 というものだ。
 自分の中で、
「これだったら、だいぶマシだろう」
 と感じたとしても、それはあくまでも、その間違えたという、
「点としての瞬間」
 というだけで、その瞬間だけを見て、
「これならマシだ」
 と思ったとしても、
「少し広い目で見ると、全体的に狂ってしまうのではないか?」
 と考えるのであった。
 だから、自分の中で、
「これが正しい」
 という答えが確立されていない限り、中途半端な状態で過去に戻ったとしても、結果は同じにしかならないということではないだろうか?
 だから、結局、
「紆余曲折するかも知れないが、結果として、同じところに戻ってくる」
 ということを考えると、
「タイムパラドックスに逆らうことはできない」
 とも考えられる。
 しかし、
「タイムリープ」
 というのは、
「自分の身体に乗り移る」
 というものだから、あくまでも、
「自分の人生における過去や未来に限定される」
 といってもいいだろう。
 だから、実際のタイムリープというものは、
「同一次元の同一時間に、同一の人間が存在する」
 という、
「矛盾」
 は発生しないということになるのだ。
 だから、タイムリープには、タイムマシンや、ワームホールなどという概念は存在しない。
「タイムマシン」
 というのは、
「現在と過去を自由自在に行き来することができるという、人間が考えて開発するであろう、タイムトラベルを可能とするアイテム」
 のことである・。
 逆に、「ワームホール」
 というのは、
「時空を超える」
 という力を持ったものであり、一種のタイムトンネルという発想である。
 トンネルが、
「時空」
 というものであれば、
「タイムトンネル」
 であり、これが、
「距離」
 という概念であれば、
「ワープ航法」
 ということになるのであろう。
 どちらにしても、
「SF小説」
 などに書かれているもので、本当にタイムトラベルが可能かどうかは、問題は、
「タイムパラドックスに掛かっている」
 といってもいいだろう。
「タイムパラドックス」
 というものは、
「タイムトラベルにおける矛盾」
 ということである。
 たとえば、自分が過去に行って、自分の親が知り合うということを邪魔したり、自分が過去に行ってしまったことで、
作品名:襷を架ける双子 作家名:森本晃次