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襷を架ける双子

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「大日本帝国が、日本国として変わっても、基本的には変わらないのかも知れないな」
 とも言われたが、
 占領軍としても、
「占領に際して、それまであった組織のようなもので、使えるものがあれば、継続して使う」
 ということは、普通にあった。
 だから、
「天皇制というのが、継続することになった」
 といってもいいだろう。
 天皇制に関しては、連合国内でも、賛否両論があった。
「天皇制をいきなり排除したり、天皇を処刑しようものなら、日本を占領どころではなくなる」
 ということであった。
 他のドイツやイタリアなどは、戦争終結時に、亡くなっている。
「ヒトラーは自殺」
 であり、
「ムッソリーニは処刑」
 だったのだ。
 ムッソリーニに至っては、
「法律による処刑ではなく、国民からの私刑というものが、公然と行われた」
 ということであった。
「ここが、同じ同盟国であっても、日本と、他の国との違いである」
 といってもいいだろう。
 そんな日本には、以前から、
「秘密結社」
 のようなものが存在していたということだ。
 その秘密結社が大日本帝国が崩壊し、一時期、その命令系統が崩壊したことで、組織も空中分解したのだった。
 しかし、また同じような組織ができたことを、知っている人は少なかった。
 大日本帝国時代に、このような組織が存在していたというとは、一定数の人が分かっていた。
 特に、特高警察はもちろん分かっていて、ただ、この組織に関しては、特高警察も、軍から、
「監視することは構わないが、決して手を出してはいけない。あの組織に関しては、我々の命令なくして、少しでもかかわってもいけない」
 というのが、軍、あるいは、大本営からの通達だったのだ。
 どうやら、組織としては、
「似たようなものなのかも知れない」
 ということで、まるで、
「幕末の新選組と、京都見回り組」
 と同じようなものではないか?
 ということであった。
 同じ、思想を持ち、同じような行動をしている二つの団体ということで、
「浪士」
 といってもいいものであった。
 ただ、この時代の秘密結社と、特高警察とでは、幕末の浪士たちとは、少し違っていたといえるだろう。
 特高警察というのは、一般の警察とは違い。
「治安維持法」
 に特化した形で、
「反政府組織」
 であったり、
「反戦論者」
 というものを取り締まるのが、目的だった。
 共産主義、政府や軍に対しての危険分子の取り締まりに特化した警察なのである。
 秘密結社と言われる組織が、
「本当の目的というものが何であり、その命令系統はどこからきているのか?」
 などということは、特高警察においても、諜報組織においても分かるものではなかったのだ。
 ただ、一つ考えられることとして、
「秘密結社」
 と呼ばれる連中は、どうやら、諜報活動に特化しているようだ。
 ということであった。
 しかも、そこに所属している連中は、何か、特殊能力のようなものを、持っていて、まるで、
「諜報活動というものをするために生まれてきたような人たちである」
 ということであった。
 彼らのような人間は、今の時代に生まれてきたのは、自分たちで、
「必然だ」
 と思っている。
 彼らは、戦争前、戦時中を通じて、決して恵まれてはいなかった。世間自体が、
「人のことなど構ってはいられない」
 という時代であっても、
「お互いにかかわりを持たなければ生きていけない」
 ということで、それぞれに、しっかりした時代だった。
 しかし、実際に彼らは、
「一般市民」
 の間においても、どこか迫害されているところがあり、差別的な待遇を受けていた。
 それは、他の人にはない能力を持っているからであり、気持ち悪がられていたというのが、その本音であった。
 だが、
「秘密結社にとっては、彼らほど重宝する存在はなく、しかも、世間から煙たがられているということで、諜報活動にはもってこいの存在だ」
 といってもいいだろう。

                 タイムマシン

 そんな中で、特に優秀だったのが、久保の父親だった。
 父親は、結構早死にであったが、それは最終的には自殺だったのだ。
 遺書というものが存在したわけではなく、
「なぜ死んだのか?」
 ということは、闇に紛れてしまっていた。
 ただ、時代的には、自殺者も少なくない時代だった。
「栄養失調で死んでいく人と、自殺をする人とが、当時の死亡者の多さを引き出す人たちであった。
 この二つは、
「この時代の特徴」
 といってもいいだろう。
 栄養失調は、復興が進み、食料供給がよくなってくると、次第に少なくなってきたことであるし、自殺というのも、結構、遺書のない、つまりは、
「動機がハッキリとしない」
 と言われるものが多かったのだ。
 だから、
「今の時代に特化した自殺原因というのが、きっとあるに違いない」
 と言われていたが、結局、その理由が何なのか分からない。
 確かに、自殺する人で、理由が分からないという人が多いのは間違いないが、その共通性が分からないということは、
「本当に、皆同じ理由だといえないのではないか?」
 とも考えられたのである。
 だから、
「皆死んでいく」
 という事実は、まるで、
「栄養失調」
 のように、
「理由はハッキリしているのだが、自殺の場合は、理由を聞かされても、すぐに納得できるものではない」
 ということになるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「変に詮索しない方がいいのではないだろうか?」
 ということであった。
 ただ、一つ彼らに共通している部分があったのだが、これは、捜査員の中でも、
「すぐに分かる人と、ずっと分からないという人がいる」
 ということであった。
 それら二種類の極端な考え方があるが、一つの共通点としていえることが、
「自殺をする人間」
 というのは、まわりから、
「天才だ」
 と言われているか、
「何を考えているか分からないところがある変わり者だ」
 と言われている人たちばかりだったということである。
 実際に、どこかの大学の研究所で研究を続けている人であったり、実際にそこの長である教授だったりが、自殺のほとんどだった。
 今の時代であれば、
「実に当たり前の普通の人」
 という人も、当時は、
「異端児あつかい」
 をされていた人だった。
 彼らは、
「生まれるのは早すぎたかも知れない」
 と思っていたが、確かに、生まれるのが早すぎたのであり、
「自殺をするのは、生まれ変わった時代で、自分を今度こそ、活性化させたい」
 と思っているからではないだろうか?
 遺書を書かないのは、
「どうせ、遺書を書いても、分かってもらえるわけはないし、書きたい相手もいない」
 ということで、
「この世では、結局孤独でしかなかったな」
 ということだったのだ。
 本来であれば、
「研究に没頭できる」
 という環境であり、ただ、食糧難であったり、
「なかなか認めてもらえる時代背景ではない」
 ということでもあったが、
「俺は、これ以上、この世にいても意味がない」
 ということで、
作品名:襷を架ける双子 作家名:森本晃次