歴史が答えを出す周期
基本的に、
「非科学的なことを信じるということをしない」
という典型的な警察や政府なので、及び腰なのは当たり前で、
「混乱を避けるため」
ということで、緘口令を敷いていたはずなのだが、本当は、
「煩わしいことはいやだ」
ということで、下手をすれば、
「ごまかし切ろう」
とでも思っていたに違いない。
しかし、そんなことが許されるわけもなく、だからこそ、余計にそのぎこちなさから、マスゴミならではの、
「鼻が利く」
ということで、簡単にバレたのかも知れない。
「餅は餅屋」
と言われるが、まさにその通りなのだろう。
しかし、いったん引っ張り出したことが、あまりにも不可解で説明がつかないことで、引っ張り出したはいいが、その根拠をいかに証明すればいいのか?
ということが分かっていない。
政府に投げるにしろ、警察相手にしろ、
「とても、扱いきれないものを、引きずり出してしまった」
ということに対しての、罪悪感もあったかも知れない。
マスゴミというのは、
「なかなか自分たちの非は認めない」
というもので、
それは、最初から分かっていたことではなく、後になって分かったこととして、出てきたことに対して逃げることはできるが、今回のように、想像もつかない大きなことであれば、非を認めないわけにはいかない。
だから、マスゴミは、
「振り上げた鉈を振り下ろす場所に困るのだが、振り上げたまま、少し様子を見る」
ということしかできないのであった。
結局、誰にもその処遇にどうすることもできず。
「時間の経過とともに、都市伝説として、ごまかしきろう」
と考えたのかも知れない。
ただ、そんなこともできるわけもなく、マスゴミにしても、政府にしても、警察にしても、それぞれに、
「仕方のないところ」
もあれば、
「自業自得」
あるいは、
「因果応報」
というところになるのではないだろうか?
今までの時間として、いたずらに過ぎてしまうことは分かっているので、それぞれに、
「煙に巻こう」
という考えで、共通していることなのかも知れない。
その3つの中で、一番、事件としてかかわっているのは、警察なので、警察としては、さすがに、
「まともに煙に巻く」
というのは、なかなかうまくはいかないだろう。
ということにしかならない。
それを思うと、警察とすれば、
「誰かを盾にして、何かがあった時は、その人に責任を負わせて、企業の保身を図る」
と考えていたようだった。
警察が、その、
「白羽の矢」
というものを立てたのが、
「警視庁刑事かの、桜井警部」
だった。
桜井警部は、警視庁でも、キャリアとしても、
「数十年に一人の逸材」
と言われていた。
年齢的には、そろそろ40歳に近いくらいで、警察署長から、管理官。さらには、方面本部長と、順調に出世をしてきた。
しかも、彼には、後ろ指をさされるようなところは一切なく、まわりの敵対する連中から見て、
「非の打ちどころのない」
と言われるほどに、
「隙のない」
というところがあったのだ。
だからと言って、
「冷静沈着」
ではあるが、
「感情もないような、マシーンという感じではない」
ということであった。
桜井警部は、捜査においては、確かに冷静沈着なところはあるが、どちらかというと、
「非科学的なものを信じていない」
というわけではないようだった。
さすがに立場上、
「超常現象はあり得る」
とは言えないが、
「あらゆる可能性を考えて、捜査に当たってほしい」
というくらいにしか言えないところがあったのだ。
今回の、
「人間消失事件」
というものが、
「SF小説」
というものを彷彿させると考えると、他の人のように、
「超常現象を信じないわけにはいかないかな?」
と言いながら、自分の中では、
「そんなバカなことはありえない」
という結論に導くという状況を、いかに考えるかということであったのだ。
つまりは、
「桜井警部というのは、結論としては同じでも、世間一般で考えるその考え方とは、まったくの正反対ではないか?」
ということになるのである。
世の中において、
「SF小説としては、面白いのだが、現実としてはありえない」
ということで、
「超常現象だ」
と感じるのだ。
「科学で証明されないことはないと考えていること自体が、科学に対する冒とくではないか?」
という考えを持っている人がいる。
その人たちは、
「なぜそんなに意識をするのか?」
というと、
「虫の知らせ」
というものを信じているからだと言えるからではないだろうか?
もちろん、あとから考えて、
「あれって、虫の知らせではなかったのか?」
ということで、絶対に、後にならないと分からないということであり。それが狂えば、
「辻褄が合わない」
ということになるのであろう。
盾にされることになった桜井警部であったが、まだ、さすがに、警察上層部や、さらには、
「まさか政府が絡んでいる」
などということを分かるはずもなく、いつものように、公務をこなしていた。
ただ、今回の事件のように、
「まるで、神隠し」
というような事件が発覚したことで、
「実際に、事件としては、いかに超常現象だと思っていても、それは口に出せないしな」
と思っていた。
そこで、彼は自分の腹心の部下から、さらに、
「情報屋」
と言われる、警察組織とは直接関係ない人間を、内偵として、組織に潜り込ませる一種の、
「捨て石」
と言ってもいいような、
「諜報活動」
を行う人物を組織的に持っていたのだ。
もちろん、警察内部でも、それこそ、
「都市伝説的」
に、
「そんな組織が暗躍している」
ということで、警察というものの、
「底知れぬ恐ろしさ」
のようなものが蠢いているといってもいいだろう。
それを思うと、
「警察は血も涙もないところ」
ともいえるが、逆に、
「そこまでしないと、検挙することができず、治安を維持することはできない」
と言えるのではないだろうか?
そもそも、
「治安というものは何なのだろう?」
ということである。
かつての大日本帝国時代に存在していた。
「これ以上ない」
というほどの、悪法としての、
「治安維持法」
というものがあった。
それに端を発し、有事が近づいてくるにつれて、
「国家総動員法」
であったり、戦時中にいろいろ制限された法律の原型となったもので、それが、
「治安というものがどういうものか?」
ということを、思い知らせるものだということになるのであろう。
基本的に、
「治安維持法」
というものは、
「治安を守る」
ということで、一番大きなものは、
「国家体制というものが、一丸となって目指している体制に対して、真向から挑戦してくるものを駆除する」
ということになるのだろう。
当時としては、
「共産主義の撲滅」
ということであったり、戦時中ともなれば、
「反戦を訴える人たちに対して、国民が一丸となって、敵国に対しなければいけない事態において、その決意を妨げる思想は許されない」
ということである。
作品名:歴史が答えを出す周期 作家名:森本晃次